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えー、皆さん、こんにちは。今回なんですけど、ちょっとね、考え方の大転換が必要だって話をしたいんですよ。今の経済で何かを作ったり、構築したりするアプローチ、まあ、デザインって呼ばれることが多いんですけど、それがね、もう限界に来てるんじゃないかっていうことを、ちゃんと認識して、受け入れる必要があると思うんです。
えーと、デザインって言うと、問題解決のために必要なものを、部品とか、その相互作用とかを選んで、作り出すことですよね。石器時代からずっと、人間はデザインをしてきたわけです。石斧が良い例で、木を削ったり、石を形作ったり、植物の繊維で結びつけたりするっていう発見と、世界に対する直感的な理解を組み合わせて作ったわけじゃないですか。でもね、発見だけじゃ、役に立つものは作れなかったんですよ。デザインを通して、発見をうまく利用して、因果関係のある機能の連鎖を作り上げたからこそ、石斧ができたわけです。
決定論的なものを作る時は、デザインってすごく有効なんです。決定論的っていうのは、同じインプットに対して、必ず同じアウトプットが出るってことですよね。石斧で言うと、手の力がインプットで、それが柄を伝わって、刃に伝わって、木を切るっていうアウトプットが出る。もちろん、途中でミスもあるかもしれないけど、基本的には、正確な因果関係で動いてるから、完全に決定論的なんです。オフィスビルとか、橋とか、内燃機関とか、ロケットもそうですよね。デザインのおかげで、問題が解決されてきたわけです。
ところがですね、複雑なものを作ろうとすると、デザインが邪魔になるんですよ。複雑なものって、石斧とか、オフィスビルとかとは全然違うんです。自然界にあるものって、複雑じゃないですか。エンジンには歯車とかピストンがあるけど、自然界のものは、もっと滑らかで、有機的なんですよ。自然は、部品を押し込んでアウトプットを出すようなことはしないし、因果関係で動く機械も作らない。自然は、適応性があって、回復力があって、何よりも創発的なんです。
複雑なものには、非決定論的な側面があるんです。つまり、同じインプットでも、いつも同じアウトプットが出るとは限らない。この不正確さこそが、複雑さの本質なんですけどね。でも、複雑だからといって、難しいわけじゃないんですよ。そうじゃなくて、全く違う種類のものなんです。複雑なものは、決定論的なステップでアウトプットを出すんじゃなくて、必要なものが、別のやり方で現れてくる。その「別のやり方」が、すごく重要なテーマになるんです。自然の創造方法は、要素に分解して考えるような、還元主義的な科学では説明できない。創発っていうのは、今の科学者とかエンジニアが、何かを説明したり、システムを作ったりする時の、基本的な考え方とは、真っ向から対立するものなんです。
重要なのは、創発をリバースエンジニアリングして、計画に落とし込むことはできないってことです。非決定論的なものは、人間がものを作り始めてからずっと、エンジニアリングの基本だった、正確さとか制御とかを持ってない。だから、人間は規模の大きいものを作る時に、複雑さを避けることを最優先にしてきたんです。複雑さを避けることで、エラーが入り込んで、システムの信頼性が損なわれるのを防ごうとしてきたんですね。石斧がちゃんと握れなかったり、風で簡単に動いてしまったりしたら、役に立たないどころか、危険ですらあるわけです。
アウトプットを制御できないと、デザインの前提が崩れちゃうんですよ。部品の選択とか、その接続方法とか、計画とかは、そのものがどう動くかを説明できなくなっちゃう。デザインの価値は、どこまで制御できるかにかかってるんです。デザインは、厳密な決定論を要求するんです。部品同士がどう相互作用するか、一連の出来事がどうやって明確な結果に繋がるかを、ちゃんと理解できないと、デザインはできないんです。
でも、創発はデザインできない。なぜなら、創発は、内部の因果関係の話じゃないから。創発は、問題解決をするためにアウトプットを出すって言う点では同じなんですけど、単純な、ものがぶつかり合うっていう考え方には当てはまらない。創発の根底にあるメカニズムは、従来の意味でのメカニズムとしては現れないんです。創発は、部品の集団的な行動を通して現れるんだけど、その部品とは全く違うものに見える。デザインは、創発が意味する全てのものとは、正反対なんです。
で、これからの時代は、複雑なものを作って、今の課題を解決する必要があるんですよ。人間が作るものが、必然的に複雑になっていく時代に入ってるんです。複雑さが必要になるのは、複雑なものでしか、本当に難しい問題は解決できないから。難しい問題っていうのは、単に困難な問題っていう意味じゃないんです。それは、単純なシステムのレンズを通して、複雑さを見ているから生まれる誤解なんです。単純な問題と複雑な問題は全く違うんです。複雑さは、単純なシステムの延長線上にあるわけじゃない。全く違うものなんです。難しい問題は、単純な問題に対するアプローチで解決しようとすると、さらに難しくなる。石斧とか、オフィスビルとかで作られてきたような問題とは、全く違う種類なんです。だから、全く違う種類の解決策が必要になるんです。
これからの複雑性の時代で何かを作るには、私たちが作るシステムに、創発を組み込む必要があります。創発をエンジニアリングするっていうのは、従来のエンジニアにとっては矛盾してるように聞こえるかもしれない。内部構造を理解できないものを、どうやって作るのか?自ずと現れてくるものの、見た目とか、感触をどうやって想像するのか?部品からは想像もできないようなアウトプットを出すシステムを、どうやって理解するのか?でも、まさにこれを達成する必要があるんです。
これは、ほとんど全てを変えてしまいます。科学とかエンジニアリングの新しいパラダイムだけじゃなくて、創発をエンジニアリングする必要があるってことは、能力主義とか、それに基づくスキルの定義を、根本的に見直す必要があるってことです。その影響は広範囲に及びます。結局、全てはものづくりに繋がってるんです。技術だけじゃなくて、制度とか、文化的な規範とか、価値観、ソーシャルネットワーク、知識とか教育システム、経済システム、政治構造、社会的な支援システム、倫理的、法的な枠組みまで、あらゆるものを作ってるんです。創発をエンジニアリングする必要があるってことは、科学とか、エンジニアリングとか、経済の、ほとんど全ての物語を支えている基盤を、否定することになるんです。
最終的に、複雑性の時代は、人間が進化の過程で培ってきた能力、つまり、啓蒙思想とか、産業革命のニーズによって軽視されてきた能力を、再び受け入れることを強いることで、原点回帰することになるでしょう。世界は、人間の偏見とか、ヒューリスティックスへの依存っていう、曖昧なものを病理扱いしてきた。この見下すような視点は、歴史の中で作られてきた単純なシステムの副産物なんです。そこでは、低次元的な思考が、優れた味方になったからです。でも、そんな単純なフレームワークは、複雑な状況で何がうまくいくかを覆い隠してしまう。私たちの曖昧な偏見とか、ヒューリスティックスは、本当に難しい問題を解決するために進化したものなんです。
人間は、細部の知識が、難しい問題を解決するアウトプットを生み出すことに繋がらないからこそ、今の姿に進化したんです。社会は、人間の感情を、劣った形の理性として軽視するように言われてきたけど、実は、最高の理性は、進化の過程で培われた感情的なサインに従いたいっていう、強い願望から生まれてくるものなんです。これは、感傷的な話でもないし、理性に対する反発でもない。全く逆なんです。自然が間違っていると言う、傲慢さと、知的誠実さに反する明確な主張なんです。
現在の科学とかエンジニアリングのパラダイムは、デザインという概念に根ざしています。つまり、自然をリバースエンジニアリングして、その部品を見て、物事がどう動くかを説明して、その説明を使って計画を作ることができるっていう考え方です。私たちは、分業によって、何百万人もの人々の努力を方向づけるためにデザインを使う。デザインは、今日の知識とかスキルの概念の基礎になってる。デザインがなければ、何に取り組むべきか、どうやって修正すべきか、システムをどうやって信頼できるものとして考えるかを理解できない。何かを知るってことは、私たちにインスピレーションを与える現象の内部構造を知ること、そして、そこから私たちが作り出すもの全てを知ることだと言われてるんです。
人間が作った技術的なもののほとんど全てが、機械的で、決定論的でした。それは、私たちが作ってきた機械的、電子的なものは、全て定義上、単純だったからです。ここで言う単純っていうのは、簡単に見つけられるっていう意味じゃなくて、課題を解決するために作られた物理的な解決策が、決定論的な方法でアウトプットを生み出すっていう意味なんです。単純なものは、因果関係で繋がった基本的なステップを使ってアウトプットを生み出す。そんな構造では、根本的に難しい問題は解決できないんです。単純なものは、単純な問題を解決する。複雑なものは、難しい問題を解決する。
自然界の解決策は、最も難しい問題を解決します。これらの自然に難しい問題は、自然環境の中で提示されて、解決されます。単純な部品の組み合わせを使ってインプットをアウトプットに変換するんじゃなくて、創発的な構造を実現することで解決されるんです。自然に難しい問題は、コンピュータサイエンスの「複雑性クラス」とか、問題の難易度を示すために使われる分類には、当てはまらない。自然に難しい問題は、問題を細かく分割して、個別に解決するだけでは解決できないんです。自然は、人間が考え出した、低次元的なアプローチに縛られない。本当に複雑なものが存在することで初めて、自然に難しい問題の解決策がもたらされるんです。
自然に難しい問題を解決する解決策は、人間が伝統的に作ってきたものとは、根本的に異なる物理的な構成を持っています。複雑な解決策の中にある部品とか、相互作用の数は、人間の作った機械をはるかに超えています。でも、人間のエンジニアリングと自然界には共通点がある。より大きな課題を解決するために部品の数を増やすっていうのは、人類が始まった時から、技術の進歩の一部だったんです。
さあ、私たちの旅を始めましょう。人類がより高く、より遠くへ、より速く到達するために、部品を繋ぎ合わせ続けてきた場所から。