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えーっと、今回はですね、第23章、大地の移動、についてお話しようかなと、思います。えー、1955年、アインシュタインがね、亡くなる前に、最後にした専門的な仕事っていうのがあって。それが、チャールズ・ハプグッドっていう地質学者の書いた本の序文を書くことだったんですよね。その本のタイトルがね、『移動する地殻:地球科学の諸問題への解答』っていう、まあ、ちょっと難しい感じの本なんですけど。
ハプグッドさんはね、その本の中で、大陸移動説を、こう、強く否定してるんですよ。で、なんかね、ちょっと皮肉っぽく、「一部の騙されやすい人が、『大陸の形が明らかに一致する』なんて言ってるけど」みたいな感じでね、書いてるんです。「南米とアフリカがパズルみたいに繋がる、とかね、大西洋の両側の岩石構造が完全に一致する、とか言う人もいるけど、ありえない」みたいな。
で、ハプグッドさんは、K.E.カスターとJ.C.メンデスっていう地質学者がね、大西洋の両側で大規模な調査をして、そんな類似点は全く存在しないってことを確認した、って言ってるんですけど、これがね、ちょっと怪しいんですよね。だって、実際、大西洋の両側には、本当にそっくりな岩石構造があるんですよ。しかも、ただ似てるだけじゃなくて、完全に同じものもね、あったりするんです。
でも、ハプグッドさんも、当時の多くの地質学者も、大陸が移動するなんて考え、全然受け入れられなかったんですよね。
ハプグッドさんが言ってる理論、つまり大陸移動説っていうのは、元々は、フランク・バースリー・テイラーっていうアメリカの、アマチュアの地質学者さんが1908年に提唱したんですよ。このテイラーさんはね、お金持ちの家に生まれて、研究の自由もあったから、変わった方法で研究を進めることができたんですね。
で、彼は、アフリカの海岸線と、その反対側の南米の海岸線が、すごく似てることに気づいたんです。で、この観察から、大陸は昔、あちこちを移動してた、っていう考えに至ったんですね。大陸同士がぶつかり合って、山脈を作ったんだ、っていう説も唱えたんですよ。これがね、結構先見の明があったんです。ただ、証拠が少なかったから、当時は現実的じゃないって思われて、全然相手にされなかったんです。
ところがね、ドイツで、アルフレッド・ヴェーゲナーっていうマルブルク大学の気象学者が、テイラーさんの考えに注目したんですよ。ヴェーゲナーさんは、いろんな植物とか化石の奇妙な分布を見て、当時の地球の歴史の標準モデルじゃ説明できないことに気づいたんですね。
動物の化石がね、広い海を挟んだ両側で見つかったり、フクロネコがどうやって南米からオーストラリアに行ったのか、とか、同じ種類のカタツムリがスカンジナビア半島とニューイングランドにいたり、とかね。あと、石炭層とか亜熱帯の植物の化石が、スピッツベルゲン島みたいな寒い地域で見つかったり。これ、どう考えてもおかしい、って思ったんですね。
それで、ヴェーゲナーさんはね、昔、地球上の大陸は全部繋がってて、「パンゲア」っていう一つの大陸だった、っていう説を唱えたんです。パンゲアっていう大陸だった頃は、植物とか動物は自由に行き来できたんだけど、それが、後になってバラバラになって、今の位置に移動した、っていう。で、その考えをまとめた本がね、『大陸と海洋の起源』っていう本なんです。1912年にドイツ語で出版されて、第一次世界大戦を挟んで、3年後には英語訳も出たんですよね。
戦争のせいで、ヴェーゲナーの理論は最初はあまり注目されなかったんですけど、1920年に改訂版が出たら、すぐに話題になったんですよ。当時はね、大陸は移動するっていう考え方はあったんです。ただ、それは、左右じゃなくて、上下に移動するっていう考え方だったんですね。地殻均衡っていうんですけど、それが、何世代にもわたる地質学の信念の基礎になってたんです。
ただ、それがどうやって起こるのか、なぜ起こるのか、誰も納得のいく説明ができなかったんですよね。私が小学校の頃の教科書にはね、オーストリアのエドアルト・ジュースっていう人が提唱した「プルーン」理論っていうのが載ってたんですよ。地球が冷えていくにつれて、プルーンみたいにシワシワになって、海とか山脈ができた、っていう。
でもね、ジェームズ・ハットンっていう人が昔から言ってるように、もし、地球がそんな風に静止してたら、侵食作用で凸凹がなくなって、平らな球体になるはずなんですよね。それに、ラザフォードとかソディっていう人が20世紀初めに指摘したように、地球の中には、ものすごい熱が蓄えられてるんです。ジュースの言う冷却と収縮なんて、ありえない。
それに、もしジュースの理論が正しければ、山脈は地球の表面に均等に分布してるはずなんですけど、実際は全然違うんですよね。山脈の年齢もバラバラで、例えば、ウラル山脈とかアパラチア山脈は、アルプス山脈とかロッキー山脈よりも、何億年も古いことが分かってるんです。
だから、新しい理論が必要だってことは、明らかだったんですね。ただ、地質学者たちは、その新しい理論を、アルフレッド・ヴェーゲナーに作って欲しくなかったんです。
まずね、ヴェーゲナーの考え方は、あまりにも急進的で、自分たちの学問の基礎を揺るがすものだったから、聞く耳を持つ人が少なかったんですよね。それに、地質学者ならまだしも、ヴェーゲナーは、地質学の専門家じゃなかったんです。彼はね、気象学者だったんですよ。ドイツの気象学者。それが、もう、大きなマイナスだったんですね。
だから、地質学者たちは、ヴェーゲナーの証拠を否定したり、彼の考えを貶めたりしようとしたんです。化石の分布の問題を解決するために、都合よく古代の「陸橋」を作ったんですよ。例えば、「ヒッパリオン」っていう古代の馬が、フランスとアメリカのフロリダ州で同時に生息していたことが分かったら、大西洋に陸橋を作ったり。古代のバクが、南米と東南アジアに生息していたことが分かったら、また陸橋を作ったり。
そのうちね、先史時代の海洋の地図は、ほとんど全部、架空の陸橋で埋め尽くされたんです。北米からヨーロッパ、ブラジルからアフリカ、東南アジアからオーストラリア、オーストラリアから南極大陸まで。もう、どこでも必要なところに、陸橋がポンポン現れて、生物を運んだら、すぐに消えちゃう、っていう。もちろんね、そんなものは、全く根拠がないんです。
でも、その後、半世紀にわたって、それが地質学の正統な考え方だったんです。
陸橋でも説明できないこともありました。ヨーロッパで有名な三葉虫が、ニューファンドランド島にも生息してたんですけど、その島の片側だけにしかいなかったんですよ。三葉虫がどうやって3000キロも離れた海を渡って、300キロの島を迂回できたのか、誰にも納得のいく説明ができなかったんです。別の三葉虫は、ヨーロッパとアメリカの北西部の太平洋岸に現れたんですけど、その中間地帯にはいなかったんですよ。これはもう、陸橋じゃなくて、ジャンクションが必要ですよね。
でもね、1964年のブリタニカ百科事典では、いろんな理論を説明する中で、ヴェーゲナーの理論は「多くの深刻な理論的問題に満ちている」って書かれてたんですよ。ヴェーゲナーが間違ってた部分もあったのは事実なんです。例えば、グリーンランドが年間約1.6キロのスピードで西に移動してるって言ってたんですけど、それは、完全に嘘なんです。(実際は、1センチくらい。)それに、大陸移動のメカニズムについて、説得力のある説明ができなかったんです。
ヴェーゲナーの理論を信じるためには、大陸が耕うん機みたいに、固い地殻を無理やり押し進んでる、ってことを認めざるを得なかったんです。当時の知識では、そんな大規模な移動を可能にする力が何なのか、説明できなかったんですね。
イギリスの地質学者アーサー・ホームズは、地球の年齢を特定するのに大きく貢献した人なんですけど、今度は、大陸を平面上で滑らせる強力な力が働くかもしれないという考えを提唱したんです。ホームズは、放射性物質の熱が、地球の内部で対流を引き起こすってことを最初に指摘した科学者だったんです。
で、1944年に、彼は、教科書『物理地質学の原理』を出版して、その中で、大陸移動説を唱えたんです。彼の理論の基本的な考え方は、今でも広く受け入れられてます。でも、当時はまだ過激な考え方だったから、多くの人から批判されました。特に、アメリカでは、大陸移動説への抵抗が強かったんです。あるアメリカの評論家は、「ホームズの議論は明快で説得力があるから、学生たちが信じてしまうのではないか」って心配したくらいです。
一方、イギリスでは、新しい理論に対して、慎重ながらも支持する人が増えていったんですね。1950年には、イギリス科学振興協会が、大陸移動説を受け入れる準備ができている代表者が約半数に達したことを示す投票を行ったんです。(ハプグッドは、後に、イギリスの地質学者がいかに悲惨なほど道を誤っているかの証拠として、この数字を引用しました。)
面白いことに、ホームズ自身も、自分の考えに迷うことがあったんです。1953年に、「私は大陸移動説に対して、常に不安を感じている。地質学者としての本能から言うと、申し訳ないが、この仮説は荒唐無稽なものだと思っている」って認めてるんです。
アメリカでも、大陸移動説を支持する人が全くいなかったわけじゃありません。ハーバード大学のレジナルド・デイリーは、大陸移動説を擁護しました。ただ、彼は、月は宇宙の衝突によってできた、って説を唱えた人でもあったんですよね。デイリーの考え方は面白いし、価値もあるけど、ちょっと突飛すぎて、真剣に受け止めるべきじゃない、って思われてたんです。だから、ほとんどのアメリカの研究者は、大陸は最初から今の場所にあって、表面の地形は、水平方向の移動以外の原因で説明できる、って主張したんですね。
面白いことに、石油会社で働く地質学者は、石油を探すためには、プレートテクトニクスが示唆する地表の移動を考慮する必要があることを、何年も前から知っていたんです。でも、石油地質学者は学術論文を書かないんですよ。彼らはただ、石油を探すだけなんです。
地球の理論には、もう一つ、誰も解決できていない、あるいは解決に近づけていない問題がありました。それは、大量の堆積物はどこへ行ったのか、っていう問題です。地球上の川は、毎年、大量の侵食された物質、例えば、5億トンものカルシウムを海に運び込んでるんです。もし、このプロセスにかかる年数を、堆積速度で掛け合わせたら、途方もない数字が出てきます。海底には、約20キロの厚さの堆積物が積もってるはずなんです。つまり、海底は、今頃、海面よりもずっと高くなってるはずなんです。
科学者たちは、この不可解な問題を、一番簡単な方法で処理しました。無視したんです。でも、無視できない時がついに来たんです。
第二次世界大戦中、プリンストン大学の鉱物学者ハリー・ヘスは、攻撃輸送艦「ケープ・ジョンソン」号の指揮官を務めていました。その船には、上陸作戦を円滑に進めるために、高度な新型の測深器、エコー測深儀が搭載されていました。ヘスは、この装置を科学的な目的にも使えることに気づいたので、遠洋に出てからも、戦闘が激しい時でも、絶対に電源を切らなかったんです。そして、予想外の発見をしたんです。
もし、海底がみんなが思ってるように古いのなら、川底や湖底の泥みたいに、分厚い堆積物が積もってるはずなんです。でも、ヘスの測定結果によると、海底には、ねっとりとした、平らな古代の泥が、薄く積もってるだけだったんです。それに、崖や溝や割れ目がたくさんあって、海底火山があちこちに点在していたんです。彼は、それを、初期のプリンストン大学の地質学者アーノルド・ガイヨーにちなんで、ガイヨーと名付けました。
何もかもが謎だったんですけど、ヘスの任務は戦争だったから、その考えを一旦、頭の片隅に置いておいたんです。
戦争が終わって、ヘスはプリンストン大学に戻って、主に教鞭を執りましたが、海底の謎は、ずっと彼の心の中にありました。その間、20世紀50年代を通じて、海洋学者は海底の調査をどんどん進めていました。その過程で、彼らは、さらに驚くべきことを発見しました。地球上で最も壮大で、巨大な山脈は、水中にあったんです。それは、テニスボールの模様みたいに、世界中の海底にずっと伸びていました。
もし、アイスランドから南に向かって、この山脈を辿っていくと、大西洋の真ん中を通って、アフリカの南端を回り込み、インド洋と南太平洋を横切り、オーストラリアの下の太平洋に入っていきます。そして、太平洋を斜めに横断して、カリフォルニア半島に向かうかのように見えますが、突然隆起して、アメリカ本土からアラスカにかけての西海岸になるんです。
時々、その山頂が海面から突き出して、島や群島になります。例えば、大西洋のアゾレス諸島とかカナリア諸島、太平洋のハワイ諸島とかね。でも、ほとんどが数キロメートルの深さの海に沈んでいて、誰も知らないし、誰も想像もしなかったんです。全ての支脈を合わせると、その山脈の全長は7万5000キロにも及びます。
しばらくの間、人々はこれらのことについてほとんど知りませんでした。19世紀に海底ケーブルを敷設した人々は、大西洋の中央にケーブルの敷設を妨げる山脈があることに気づいていましたが、山脈の連続性や全体的な範囲は完全に予想外でした。それに、その形は非常に不規則で、説明が難しかったんです。大西洋の中央の山脈の中央部には、幅20キロ、全長1万9000キロにも及ぶ峡谷、亀裂があったんです。これはまるで、地球が亀裂に沿って真っ二つに割れてるみたいに見えました。
1960年に、採取された岩石のサンプルから、大西洋の中央の海底山脈は比較的若いものの、そこから東西に離れるにつれて、古くなっていくことが分かったんです。ハリー・ヘスは、この事態を考慮した結果、ある結論に達しました。新しい海底地殻が中央の裂け目の両側で形成され、その後、すぐに生成されるより新しい地殻によって外側に押し出されている、って言う事なんです。大西洋の海底は、実際には2つの大きなベルトコンベアで、1つは地殻を北米に向かって運び、もう1つは地殻をヨーロッパに向かって運んでいる、って言う事なんです。このプロセスは、後に海底拡大と呼ばれるようになりました。
大陸との境界に達すると、地殻は地球の内部に戻っていきます。このプロセスは、沈み込みと呼ばれています。この理論は、大量の堆積物がどこへ行ったのかを説明しました。それは、絶えず地球の中に帰っていたのです。また、海底が比較的若い理由も説明しました。海底の年齢は、いずれも1億7500万年以下でした。大陸の岩石の年齢が数十億年に達することが多いのに対して、これは謎でした。しかし、ヘスはついに、海底の岩石が存在するのは、海岸に来るまでの時間だけだと理解したのです。
これは素晴らしい理論で、多くのことを説明できました。ヘスは、重要な論文の中で自分の考えを説明しました。しかし、これらの考えはほとんど広範な注意を引きませんでした。時には、世界は良いアイデアに対する準備ができていないことがあるのです。
その間、独立して研究を進めていた2人の研究者は、何十年も前に発見された興味深い地球史実を利用して、驚くべき結果を得ていました。1906年に、フランスの物理学者ベルナール・ブリュネスは、地球の磁場が時々、自発的に逆転することを発見しました。その逆転の証拠は、形成されつつある岩石の中に記録として残っていました。具体的には、岩石の中にある鉄鉱石の小さな粒子は磁極を指しており、磁極が形成された時にどこにあったとしても、その方向を指し示し、岩石が冷却して固まる過程で、その方向を永遠に指し示すのです。岩石は、自分が形成された時の磁極の方向を「記憶」しているのです。長年にわたり、人々はこれを興味深いことだと思っていました。
しかし、20世紀50年代、ロンドン大学のパトリック・ブラケットと、ニューカッスル大学のS.K.ランコーンは、イギリスの岩石に記録された古代の磁場のパターンを研究した結果、控えめに言っても非常に驚いたことに、それらの岩石は、遠い過去のある時点で、イギリスが自転し、ケーブルから外れたように北に移動したことを示していたのです。さらに、彼らは、ヨーロッパの磁場パターン図を、同時期のアメリカの磁場パターン図の隣に置くと、2つが引き裂かれた手紙のように完全に一致することを発見しました。これは少し奇妙でした。彼らの発見も注目されませんでした。
結局、ケンブリッジ大学の2人の研究者が、これらの糸をまとめました。1人は地質学者のドラモンド・マシューズで、もう1人は彼の大学院生のフレッド・バインでした。彼らは、大西洋の海底の磁場に関する研究成果を利用して、海底がヘスが推測した方法で拡大しており、大陸も移動していることを説得力のある形で示しました。カナダの地質学者ローレンス・モーリーは不運にも、同時期に同じ結論に達しましたが、論文を発表してくれる人を見つけることができませんでした。地球物理学研究誌の編集者は、彼にこう言いました。「これらの推測は、カクテルパーティーでの談話の種としては面白いかもしれないが、真面目な科学雑誌に発表するべきではない。」この出来事は、彼を冷遇した有名な例となりました。ある地質学者は、後にそれを「おそらく、史上最も重要な地球科学論文で、掲載を拒否されたもの」と評しました。
とにかく、地殻移動の考え方を提示する時がついに来ました。1964年、この分野の最も重要な人物の多くが、ロンドンの英国王立協会が主催するシンポジウムに出席しました。突然、誰もが考え方を変えたようでした。会議は、地球が相互に接続された断片からなるモザイクであるという点で合意しました。それらが押し合いへし合いする様子は、地球表面の多くの現象を説明しました。
すぐに、「大陸移動」という名前は使われなくなりました。移動していたのは大陸だけではなく、地殻全体だと理解されたからです。しかし、その断片に名前が付けられるまでには、しばらく時間がかかりました。最初は、「地殻の構成要素」とか「敷石」と呼ばれていました。1968年末になって、3人のアメリカの地震学者が地球物理学研究誌に論文を発表し、それ以降、その断片は現在の名前であるプレートと呼ばれるようになりました。同じ論文で、この新しい断片を「プレートテクトニクス」と呼んだのです。
古い考え方はなかなか死なず、誰もがすぐにこのエキサイティングな新しい理論を受け入れたわけではありません。20世紀70年代まで、著名なハロルド・ジェフリーズが書いた人気の高い地質学の教科書は、1924年の初版と同じように、プレートテクトニクスの理論は物理的に成立しないと主張していました。対流理論と海底拡大理論も同様に認めていませんでした。1980年に出版された「海と山」という本の中で、ジョン・マクフィーは、当時でも、アメリカの地質学者の8人に1人がプレートテクトニクスの理論を信じていなかったことを指摘しました。
今日、私たちは、地球の表面が8〜12個の大きなプレート(大きさの定義によって異なります)で構成されていることを知っています。それらはすべて、異なる速度で異なる方向に移動しています。大きいプレートもあれば、活発でないものもあります。小さいプレートもありますが、エネルギーは非常に大きいです。それらは、地塊との偶発的な関係しか持っていません。たとえば、北米プレートは、それに関連する大陸よりもはるかに大きいです。それは、その大陸の西海岸に沿ってほぼ伸びていますが(プレートの境界で衝突するため、その地域では頻繁に地震が発生します)、東海岸とは全く関係がなく、大西洋を半分以上横切って、大西洋の中央の山脈に達しています。アイスランドは真ん中から二つに割れており、プレート上で半分はアメリカ大陸に、半分はヨーロッパ大陸に属しています。一方、ニュージーランドは、巨大なインド洋プレートの一部ですが、その国はインド洋から遠く離れています。ほとんどのプレートが、このような状況になっています。
現代の地塊と古代の地塊の関係は、想像以上に複雑であることがわかりました。カザフスタンはかつて、ノルウェーとニューイングランドに繋がっていました。スタテンアイランドの一角、ほんの一角ですが、ヨーロッパに属しています。ニューファンドランド島の一部もそうです。マサチューセッツ州の海岸で石を拾うと、最近の親戚が現在アフリカにいることがわかるでしょう。スコットランド高地とスカンジナビア半島の多くの地域には、アメリカ大陸に属する部分がかなりあります。南極大陸のシャクルトン山脈のいくつかの地域は、かつてアメリカ東部のアパラチア山脈に属していた可能性があると考えられています。要するに、岩石は行き来するのです。
絶え間ない変動により、これらのプレートは静止したプレートに統合されることはありません。ほぼ現在の状況で進んだ場合、大西洋は最終的に太平洋よりもはるかに大きくなります。カリフォルニア州の大部分は大陸から離れて、太平洋のマダガスカル島になります。アフリカは北に向かってヨーロッパに押し寄せ、地中海を押し出し、パリとカルカッタの間に壮大なヒマラヤ山脈を隆起させるでしょう。オーストリアは北の島と一体化し、狭い地峡を挟んでアジアと向かい合うでしょう。これらはすべて未来の結果であり、未来の出来事ではありません。事態は現在進行中です。私たちがここに座っている間にも、大陸は池に浮かぶ葉っぱのように漂っています。グローバル・ポジショニング・システムのおかげで、ヨーロッパと北米が爪が伸びる速さで、つまり人の一生で2メートルほどの速さで、徐々に離れていくのを見ることができます。辛抱強く待つ気があれば、ロサンゼルスからサンフランシスコまでずっと車で行くことができます。ただ、人の寿命があまりにも短いので、この変化を楽しむことができないのです。もし地球儀を見たら、それは地球史の千分の1の時間における大陸の状態を記録したスナップショットにすぎないのです。
岩石質の惑星の中で、地球だけがプレートを持っています。なぜそうなのかは、多少の謎です。これは単に大きさや密度の問題ではありません。これらの点で、金星は地球のほぼ双子の兄弟ですが、プレートの活動はありません。プレートは、地球の機体にとって重要な部分であると考えられています。物理学者兼作家のジェームズ・トレフィルが言ったように、「構造プレートの移動が地球の生命の発展に影響を与えなかったとは想像しにくい」のです。彼は、構造地質学が引き起こす課題、たとえば気候変動などは、知識の進歩にとって重要な促進要因であると考えています。大陸移動が、少なくとも地球上のいくつかの絶滅現象の原因であると考える人もいます。2002年11月、ケンブリッジ大学のトニー・ディクソンはサイエンス誌に、岩石の歴史と生命の歴史は関連性があるかもしれないと強く主張する記事を書きました。ディクソンは、過去50億年間で、世界の海洋の化学構造は時々、劇的に変化したことを確認しました。これらの変化はしばしば、生物学的な歴史上の大きな出来事と関連していました。たとえば、微生物が大量に出現し、後にイングランド南部の海岸に白い崖を形成したり、カンブリア紀の貝類動物が海洋生物で突然増加したりなどです。海洋の化学成分が時々、劇的に変化する原因が何なのか、誰にもわかりません。しかし、海嶺の開閉が原因である可能性は明らかにあります。
とにかく、プレートテクトニクスは、地球の表面の力学、例えば、古代のヒッパリオンがどうやってフランスからフロリダに渡ったのかなどを説明するだけでなく、その内部の活動の多くも説明します。地震、群島の形成、炭素循環、山脈の位置、氷河期の到来、生命そのものの起源など、この素晴らしい新しい理論の影響を直接受けていないものはありません。マクフィーは、地質学者たちは目がくらむほど、「地球全体が突然理解できるようになった」と指摘しています。
しかし、それはある程度までです。以前の時代の大陸分布は、地球物理学界以外の人々が考えるほどよく解決されているわけではありません。教科書にローラシア大陸、ゴンドワナ大陸、ロディニア大陸、パンゲア大陸など、古代の地塊が非常に確信をもってリストされているように見えますが、それらは時々、完全に成立しない結論に基づいています。ジョージ・ゲイロード・シンプソンは、「化石と生命の歴史」の中で、古代世界の多くの動植物は、存在すべきではない場所に現れ、存在すべき場所に現れていないと指摘しています。
ゴンドワナ大陸は、オーストラリア、アフリカ、南極大陸、南米を結ぶ大きな地塊でした。その版図は、主に古代のグロッソプテリスという舌羊歯属植物の分布に基づいて決定されました。グロッソプテリスは、発見された場所すべてで発見されました。しかし、ずっと後になって、世界の他の場所、ゴンドワナ大陸と繋がっていない場所でも舌羊歯属植物が発見されました。この厄介な矛盾は、過去において、そして現在も、ほとんど無視されています。同様に、三畳紀の爬虫類であるリストロサウルスは、南極大陸からアジアまで発見されましたが、これら2つの場所は同時期に同じ大陸に属していたと考えられています。
プレートテクトニクスで説明できない地形も数多くあります。例えば、アメリカのコロラド州デンバーを例にとってみましょう。デンバーの標高は1500メートルですが、それは最近のことです。恐竜が地球を歩き回っていた時代、デンバーは海底の一部であり、数千メートルの深さの海中にありました。しかし、デンバーの地下の岩石は摩耗しておらず、変形もしていません。もしデンバーが互いに衝突するプレートによって押し上げられたのなら、そうなるはずではありません。とにかく、デンバーはプレートの端から遠く離れており、その影響を受ける可能性はありません。それは、カーペットの端を押して、反対側の端にひだを作ろうとするようなものです。数百万年の間、デンバーはまるでトーストのように、神秘的に上昇し続けているのです。アフリカ南部