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Calculating...

ええと、ですね、あの、僕の書いた『マネー・ボール』っていう本があるんですけどね。まあ、あれは、オークランド・アスレチックスっていう野球チームが、選手の価値をどうやって評価するかとか、試合の戦略をどう立てるかとか、色々新しい試みをした話なんです。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますけど。

そのチームは、お金がないんで、高い選手を買えない。だから、ちょっと違うやり方で、歴史的なデータとか、最近のデータとか、それから外部の人による統計的な分析を活用して、今までとは全然違う野球の知識を手に入れたんです。

それで、他のチームのフロントの人たちも、すごい興味を持つようになったんですね。要するに、今まで見捨てられてたり、無視されてた選手の中に、実はすごい価値があるってことを発見した。これは、当時の野球界の常識とは真逆のことだったんです。

本が出た後、一部の野球界の専門家、まあ、古い考えの人たち、スカウトとか記者とかは、あんまり興味なさそうだったんですけど、ほとんどの読者は、僕と同じように、その話に面白さを感じてくれたみたいで。

オークランドの選手の選び方を見て、多くの人が気づいたのは、もし19世紀からあるような会社で、高い給料をもらって、選ばれた人たちが市場で評価されないなら、誰が評価されるんだ?とか、野球の市場がこんなに非効率なら、他の市場は本当に効率的なのか?とか、新しい分析方法で野球の見方が変わるなら、他の分野でも、同じように可能性が開かれてるんじゃないか?ってことだったんです。

で、ここ10年くらいの間、オークランドの経験は、色んな分野で応用されてるみたいで。教育機関をどう運営するか、映画をどう作るか、医療保険をどうするか、ゴルフをどう上手くやるか、農業をどうやるか、出版業界をどう回すか、大統領選挙の準備をどうするか、政府の管理をどう改善するか、銀行家としてどう成功するか、みたいな記事をたくさん読んだことがありますね。

ニューヨーク・ジェッツっていうアメリカンフットボールのチームのコーチが、「オフェンスの選手をみんな『マネー・ボール』方式にするのか?」って不満を言ってたこともありましたし。コメディアンのジョン・オリバーは、ノースカロライナ州の議会が「人種問題で『マネー・ボール』を成功させた」って“お祝い”してましたね。データ分析を使って、黒人の投票権を制限する法律を巧妙に作ったから、っていう意味で。

まあ、そうは言っても、古い経験的なやり方を、新しいデータ分析で完全に置き換えようとするのは、あんまりうまくいってないみたいなんですけどね。データに基づいた方法が、リスクの高い意思決定に使われて、すぐに結果が出ないと、色んな批判を受けちゃう。でも、昔ながらのやり方だったら、そういう批判は受けないんです。

例えば、ボストン・レッドソックスは、オークランドの方法を真似して、2004年に86年ぶりにワールドシリーズで優勝した。2007年と2013年にも勝ったんですけど、2016年には、3年間成績が悪かったから、データ分析をやめて、野球の専門家の判断に戻したんです。「データを使いすぎたのかも…」ってチームのオーナーが言ってましたね。

それから、ネイト・シルバーっていう人が、野球のデータ分析の方法を使って、ニューヨーク・タイムズで大統領選挙の予測をして、何年も信じられないくらい的中させた。新聞が選挙でこんなに影響力を持つなんて、初めてのことだったんです。でも、その後、シルバーはニューヨーク・タイムズを辞めて、ドナルド・トランプの勝利を予測できなかった。それで、選挙予測のデータ分析は、ニューヨーク・タイムズから批判されたんです。「政治は人間の基本的な領域だから、理性を超えて、予測できない。だから、現場の取材の価値は、何にも代えられない」って、ニューヨーク・タイムズのコラムニストが言ってましたね。まあ、現場の記者も、トランプの台頭を予測できた人は少なかったんですけどね。シルバーも、自分の予測に、主観的な判断が混じってたって認めてました。トランプがあまりにも異例だったから、って言ってましたけど。

データを活用して、業界の非効率な部分を見つけて、そこにつけ込む人たちへの批判は、ある程度正しいと思うんです。でも、オークランドがどんな人間の心理を利用したとしても、結局、絶対的な専門家を求める気持ちが、うまくいかない時でも、どうしても勝ってしまう。まるで映画の中で、倒されるはずの怪物が、どういうわけか最後まで生き残るみたいな感じなんです。

僕の前の本に対する議論の中で、特に印象に残ったのは、シカゴ大学の学者のコメントです。経済学者のリチャード・セイラーと、法学教授のキャス・サンスティーンっていう2人が、2003年8月31日の『ニュー・リパブリック』っていう雑誌に書いた記事なんですけど。

その記事は、褒めたりけなしたり、持ち上げたり落としたりするような、ちょっと複雑な書き方をしてて。2人とも、オークランドみたいな小さなチームが、業界の非効率性を利用して、強いチームに勝ったり、プロスポーツ市場全体を揺さぶったりするのは面白い、って認めてるんです。でも、すぐに、『マネー・ボール』の著者は、野球選手の市場の非効率性の根本的な原因に気づいてない、って指摘してるんです。その原因は、人間の思考の内部の働き方と深く関わってる、と。

何年も前に、2人のイスラエルの心理学者が、野球の専門家が選手を誤って評価してしまう理由を分析した。それは、専門家の思考が、どうやって誤った判断を引き起こすか、っていう研究だったんです。その2人っていうのは、ダニエル・カーネマンとアモス・トベルスキーっていう人たちなんですけど。『マネー・ボール』の内容は、僕がオリジナルで考えたわけじゃなくて、何十年も前から言われてるのに、あんまり理解されてないことを、ただ広めただけなんです。

それだけじゃなくて、実は、それまでカーネマンとかトベルスキーの名前すら聞いたことがなかったんです。カーネマンは、確かノーベル経済学賞をもらってるはずなんですけどね。あの、それで、『マネー・ボール』の内容について、心理学的な視点から深く考えたことはなかったんです。野球選手の市場が非効率なのはなぜか?オークランドのフロントは、市場の偏見のせいだって言ってた。例えば、足の速さを重視しすぎたり、バッターのフォアボールを選ぶ能力を軽視したり。足の速さは目に見えるけど、フォアボールは目立たないから。太ってたり、見た目が良くない選手は評価が低くなりがちで、体格が良かったり、顔が良い選手は評価が高くなりがち。オークランドのフロントがまとめたこういう偏見は、確かに面白かったけど、それがどこから来るのか?なぜ人はそういう偏見を持つのか?って深く考えなかったんです。僕は、ただ、市場の動き、特に選手の価値を評価する時に、うまくいったり、うまくいかなかったりする話を語りたかっただけなんです。でも、その話には、もう一つの話が隠されてたんです。それは、僕が深く考えなかった、語らなかった話で、人間の思考が、判断や意思決定をする時に、どんな風に良い影響を与えたり、悪い影響を与えたりするか、っていう話なんです。投資とか、採用とか、仕事とかで、迷った時に、思考は、どうやって最終的な決断に導くのか?思考は、どんな風にデータを処理するのか?そのデータは、野球の試合だったり、収入報告だったり、選考会だったり、健康診断だったり、合コンだったりするんですけどね。その時に、人の脳みそ、特に専門家の脳みそが、一体何をしてるから、他の人たち(データだけを信じる人たち)がつけ込めるような誤った判断をしてしまうのか?

2人のイスラエルの心理学者は、なぜそういう問題に、そんなに興味を持ったのか?それが、何十年も経ってから、アメリカ野球についての本を書くことにつながったのか?中東に住んでる科学者が、思考について研究したのはなぜか?野球選手を評価する時、投資するかどうか決める時、大統領候補について考える時、思考は一体何をしてるのか?あと、心理学者が、なぜノーベル経済学賞をもらうことができたのか?そういうことを、これからこの本で解き明かしていきたいと思っています。

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