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Calculating...

えーっと、今回は、チャプター12っていうことで、えー、まず「カスパ―」と「C-Dog(シードッグ)」っていう、まあ、2人の名前から始まる話なんですね。

で、えーと、冒頭にね、「まるで山火事のようだった。みんな、そのゲームに飛び込んでいったんだ」っていう、ちょっとこう、意味深な言葉が出てくるんですけれど。

1983年の11月29日の午後早めに、FBIのロサンゼルス支局に電話がかかってきたらしいんですよ。で、それは、メルローズ地区のバンク・オブ・アメリカからの電話で、リンダ・ウェブスターっていうFBI捜査官が受けたらしいんですね。彼女は、その支局でいわゆる「2-11」っていう、銀行強盗の報告を受ける担当だったんですって。で、電話の内容は、「銀行強盗があった」っていうことだったんです。で、容疑者は若い白人の男性で、ニューヨーク・ヤンキースの野球帽をかぶっていて、まあ、痩せてて、丁寧で、南部訛りがあって、服装もきちんとしていて、「お願いします」とか「ありがとう」とか言ってたらしいんですよね。

で、ウェブスターはそのことを、地元の銀行強盗部門を率いるウィリアム・レーダーっていう同僚に伝えたんです。「ビル、ヤンキーよ」って。

実は、「ヤンキー・バンディット(ヤンキー強盗)」っていうのが、その年の7月からロサンゼルスで活動していたらしくて。次々と銀行を襲って、毎回、革のスーツケースに何千ドルも入れて逃げていたらしいんですよね。レーダーはだんだんイライラしてきて、「一体、こいつは何者なんだ?」って思ったみたいです。FBIが頼りにできるのは、その特徴的な野球帽だけだったから、それで「ヤンキー・バンディット」っていうニックネームがついたんですね。

30分後、ウェブスターはまた「2-11」の電話を受けたんです。今回は、フェアファックス地区にあるシティ・ナショナル・バンクからで、2349ドルを奪われたらしいんですね。電話の相手が詳細を伝えたので、ウェブスターはレーダーを見たんです。「ビル、またヤンキーよ」。

その45分後、ヤンキーはセンチュリー・シティのセキュリティ・パシフィック・ナショナル・バンクを襲撃し、すぐに、通りのすぐそばにあるファースト・インターステート・バンクを襲って、2505ドルを奪ったんです。「ビル、ヤンキーよ。2回。連続で」。

さらに1時間も経たないうちに、また電話が鳴りました。ヤンキーはウィルシャー・ブールバードのインペリアル・バンクを襲ったんです。センチュリー・シティからウィルシャーのインペリアル・バンクまで車で行くと、FBIの事務所のすぐそばを通るんですよね。「彼はたぶん、私たちに手を振っただろうな」ってレーダーはウェブスターに言ったそうです。

彼らは警戒態勢に入りました。歴史が作られつつあるって感じですね。で、彼らは待ったんです。「ヤンキーは、またやるんだろうか?」って。午後5時30分に電話が鳴りました。白人の男性(痩せていて、南部訛りで、ヤンキーの帽子をかぶっている)が、405号線を15分北にあるエンシーノのファースト・インターステート・バンクを襲って、2413ドルを奪ったらしいんです。「ビル、ヤンキーよ」。

1人の男が、4時間で、6つの銀行を襲ったんです。「これは新しい世界記録だ」ってレーダーは回顧録に書いているんです。「いまだに破られていない」って。

まあ、そんな感じで、物語が始まるわけですね。えー、次のセクションでは、犯罪者の中で、銀行強盗っていうのが、アメリカ文化の中で、どんな位置を占めているのかっていうことが語られるんです。南北戦争後、ジェームズ=ヤンガー・ギャングみたいなグループの活躍に国中が夢中になったって言うんですね。彼らは銀行強盗とか列車強盗でワイルド・ウエストを恐怖に陥れたらしいです。で、大恐慌時代には、銀行強盗が有名人になったりもしたみたいですね。ボニーとクライドとか、ジョン・デリンジャーとか、「プリティ・ボーイ」・フロイドとか。でも、第二次世界大戦後には、この犯罪は衰退していったように見えたらしいんですよ。

1965年には、全米で合計847件の銀行強盗が発生したらしいんですが、国の規模から考えると、まあ、少ない数ですよね。銀行強盗は絶滅に向かっているんじゃないかっていう憶測もあったんですって。主要な犯罪の中で、逮捕・有罪判決率が最も高かったんですよね。銀行は、自分たちを守る方法を学んだと思っていたんです。1968年の銀行強盗に関する決定的な研究は、「失うものは何もない」っていうタイトルだったらしいんですけど、これは、その行為があまりにも非合理的で、実行犯には他に選択肢がなかったに違いないっていう意味だったんですって。20世紀版の牛泥棒みたいなものだっていう風に言われていたみたいですね。「今どき、そんなことする奴いるのか?」みたいな。

ところがですね、そこから、流行が始まったんです。1969年から1970年までの1年間で、銀行強盗の件数はほぼ倍増し、1971年、1972年と再び増加したらしいんですね。1974年には3517件の銀行が襲われ、1976年には4565件に達したらしいんです。1980年代初頭には、1960年代末に比べて5倍も銀行強盗が増加していたっていうんですから、これは、前例のない犯罪の波ですよね。で、それは、まだ始まったばかりだったらしいんです。1991年には、FBIは全米のどこかの銀行から「2-11」の電話を9388回も受けたらしいんですね。

そして、この驚くべき急増の中心地は、ロサンゼルスだったっていうことなんです。

当時のアメリカの銀行強盗の4分の1は、ロサンゼルスで起きていたらしいんですよ。地元のFBI支局が2600件もの銀行強盗を処理した年もあったっていうんですから、本当にすごい数ですよね。あまりにも多くの強盗が、あまりにも多くの銀行を襲ったため、レーダーとFBIは、彼らを区別するためにニックネームを付けることを余儀なくされたらしいんですよね。手術用のガーゼで変装した男は「ミイラ強盗」、手袋を片方だけはめていた男は「マイケル・ジャクソン強盗」、偽の口ひげをつけていた2人組は「マルクス兄弟」、太った小柄な強盗は「ミス・ピギー」、美しい強盗は「ミス・アメリカ強盗」、ナイフを振り回していた男は「ベニハナ強盗」って呼ばれてたみたいですね。ジョニー・キャッシュとか、ロバート・デ・ニーロっていう名前の強盗もいたみたいですよ。3人組で強盗を働くグループもいて、1人はバイカー、1人は警官、もう1人は建設作業員の格好をしていたらしいんですけど、彼らが何と呼ばれていたかは言うまでもないですよね?1980年代だから、「ヴィレッジ・ピープル」って呼ばれてたらしいんですよ。

「まるで山火事のようだった」と、ロサンゼルスの銀行強盗の急増に関する非公式な歴史家の1人であるピーター・フーラハンは回想しています。「みんな、そのゲームに飛び込んでいったんだ」。

急増から10年後、信じられないことに、事態はさらに悪化したらしいんですね。そのきっかけは、「ウェスト・ヒルズ・バンディッツ」っていう2人組の登場だったらしいんですよ。ロサンゼルスの強盗の第一世代は、ヤンキー・バンディットのように、窓口の係員に近づき、「銃を持っている」と言って、手元にある現金をかき集めて逃げるっていう感じだったんですけど、人々は彼らを少し軽蔑的に「ノート・パッサーズ」って呼んでたらしいんですね。でも、ウェスト・ヒルズ・ギャングは、ジェシー・ジェームズとかボニーとクライドのような、昔ながらのやり方に戻ったんです。彼らは、かつらやマスクをつけ、アサルト・ウェポンを振り回して、派手に押し入ってきたらしいんですよね。窓口の係員の檻に無理やり侵入して、銀行全体を空っぽにして、可能であれば金庫室も空にして、綿密に計画された脱出を実行するっていう感じだったらしいんですよ。強盗たちは、サンフェルナンド・バレーに、軍用グレードの武器とか、2万7000発の弾薬でいっぱいの地下壕を持っていて、リーダーが信じていた差し迫ったハルマゲドンに備えていたみたいですね。1990年代のロサンゼルスの基準から見ても、ウェスト・ヒルズ・ギャングはちょっとクレイジーだったみたいです。

5回目の強盗で、ウェスト・ヒルズのメンバーはターザナにあるウェルズ・ファーゴ銀行の金庫室に侵入し、43万7000ドル(現在の100万ドル以上)を奪ったらしいんですね。で、ウェルズ・ファーゴは重大なミスを犯したらしいんですよ。銀行は、ウェスト・ヒルズ・ギャングがどれだけの金額を盗んだかを、正確に報道機関に伝えてしまったんですね。それは、まるで、たき火に火をつけるようなものだったらしいんですよ。「43万7000ドル?冗談だろ?」って感じですよね。

最初にそれに気づいたのは、ロバート・シェルドン・ブラウンっていう、カスパ―っていう通り名を持つ、野心的な23歳の男だったらしいんですね。カスパ―は計算をしたんです。「俺は強盗とか、窃盗とか、いろいろなことをやってきた」と彼は後で説明したらしいんですね。「でも、銀行のお金にはかなわない。銀行に入って2分で、ストリートで6週間とか7週間かけて稼ぐ金額を手に入れることができるんだ」って。

カスパ―を最終的に裁判にかけた検察官の1人は、彼を「傑出した存在」だったと回想しています。(その検察官は名前を伏せてほしいと頼んだらしいので、仮にマークと呼びます。)マークは、「カスパ―は本当に頭がよくて、筋肉隆々だった」と言ったらしいですね。

彼は、銀行強盗の問題は銀行に入ることだと考えたんです。だから、誰か他の人にそれをやらせることにしたんですね。「どうすれば、誰かに銀行強盗をさせることができるのか?」って思うかもしれないけど、それが彼の才能だったんですって。彼のために銀行を襲う人を募集する才能があったらしいんですね。「彼は信じられないほどの数の人々を集めた。ハリウッドで言うと、プロデューサーみたいなものだった」ってマークは言ったらしいです。

カスパ―には、C-Dog(シードッグ)としても知られる、ドンゼル・トンプソンっていう犯罪仲間がいたらしいんですね。彼らは、襲撃に適していると思う銀行を選び、ギャング用語で「Gライド」と呼ばれる、逃走用の車を見つけたらしいんですよ。1990年代初頭、ロサンゼルスでは自動車強盗が驚くほど急増したらしいんですが、それは、無差別に街を席巻する混乱の別の兆候として報道機関で扱われていたらしいんですね。でも、そのかなりの部分は、実はカスパ―とC-Dogの仕業だったんです。彼らは、Gライドを手に入れるために金を払っていた男がいたんですって。カスパ―がやっていた銀行強盗の数を考えると、たくさんの車が必要だったんですね。そして、彼は、メンバーを選んだんです。検察官のマークは、こう言っています。「彼の強盗の多くは、ただの子供だった。おそらく、彼らに何も払っていなかったと思う。彼は、彼らを脅して強盗をさせたんだ。彼は、大柄で、脅迫的な男で、ローリング・シックスティーズのメンバーだったんだ。それは、非常に悪名高いクリップス・ギャングだった」。

マークは、特に「非常に若い」リクルートを回想しました。13歳か14歳くらいの若さだったらしいんですね。「彼を学校から連れ出して、『いつ、この銀行を襲ってくれるんだ?』って聞いたのを覚えている。すると、その男は『栄養補給の時間に』って言ったんだ。だから、栄養補給の時間に彼を迎えに行き、ブラウンとC-Dogは、彼にやり方を説明した。中に入って、みんなを怖がらせて、金を手に入れて、出てくるんだ、って」。

カスパ―は、リクルートに「カミカゼ作戦」と呼ぶテクニックを教えたらしいんですね。彼の子供たちは、マシンピストルとかアサルト・ライフルを振り回して、天井に弾丸を撃ち込みながら、わめき散らしながら突入してきたらしいんです。「床に伏せろ、この野郎!」って。彼らは、見つけた現金をすべて枕カバーに詰め込み、財布を奪い、ちょっとしたお宝が欲しければ、女性の指から指輪を剥ぎ取ったらしいんですよ。

少なくとも2回の仕事で、カスパ―は若い部下たちを安全な場所に運ぶために、スクールバスを「借りた」らしいんですね。また、別の時には、郵便局のトラックを「借りた」らしいです。カスパ―には想像力があったんですね。彼は、安全な場所から自分の作戦を管理・監督していて、通りのずっと先に車を停めて、自分で選んだチームが街を駆け抜けるのを見守っていたらしいんです。

「彼らは、もしお金を全部持ち逃げしようとしたら、2人のクリップスが追いかけてくることを知っていた。そして、それは彼らの人生を良くすることはないだろう」ってマークは言ったらしいですね。

Gライドは乗り捨てられた。メンバー全員がカスパ―の隠れ家に引き上げ、通常はモーテルだったらしいんですが、そこで彼は彼らにわずかな金額を払い、解放したらしいんですね。彼らは子供だったから、捕まる可能性が高かった。でも、カスパ―は気にしなかった。彼の態度は、マークが言うには、「まあ、それは良くなかった。俺の部下は捕まったけど、新しい部下を手に入れる必要がある。でも、俺たちはいつもそうしているんだ」って感じだったみたいですね。

わずか4年間で、カスパ―は175件の強盗を「プロデュース」したんですって。これは、銀行強盗の生涯記録としては、いまだに破られていない記録で、ヤンキー・バンディットの以前の記録である72件を圧倒的に上回っているらしいんですね。カスパ―とC-Dogは、ヤンキー・バンディットの1日の記録である6件に迫ったことさえあるらしいんですよ。1991年の8月のある日には、ラ・シエネガ・ブールバードのファースト・インターステート・バンクとか、イーグル・ロックとか、パサデナとか、モントレー・パークとか、モンテベロにある銀行で、5件の強盗を「プロデュース」したらしいんですよ。で、ヤンキー・バンディットは、1人でやっていたことを覚えておいてくださいね。カスパ―は、もっと難しいことをしていたんです。強盗チームを組織して監督していたんですからね。

カスパ―が銀行を乗っ取るのがいかに簡単かを世界に示した後、他のギャングも飛び込んできたらしいんですよ。エイト・トレイ・ギャングスター・クリップスは、メンバーを集め始めたらしいですね。ナスティ・ボーイズと呼ばれるデュオは、1年足らずで30件近くの乗っ取りを行ったらしいんですよ。たった2人で。ナスティ・ボーイズは、本当に「ナスティ(意地悪)」だったらしいんですよね。彼らは、全員を銀行の金庫室に閉じ込め、処刑について大声で話し、ただ面白半分に人の耳の近くで銃を発砲するのが好きだったらしいんです。

「振り返ってみると、1992年は銀行強盗のピークだった。1年間で2641件の強盗があった」ってマークは言ったらしいですね。「つまり、銀行の営業日ごとに45分に1回の銀行強盗が起きていたことになる。そして、最悪の日は1日に28件の銀行強盗があった。これはFBIを完全に狂わせた。彼らは完全に疲弊していたんだ」って。

銀行強盗は数分で終わるけど、銀行強盗の捜査には何時間もかかるんですね。強盗事件が積み重なるにつれて、FBIはどんどん遅れを取っていったらしいんですよ。

「もし1日に27件の強盗が起きていて、1つのチームが1日に5件の強盗を犯しているとしたら、物理的にそれをどう捜査するのかを考えてみてほしい。彼らは街中をできるだけ早く運転して、強盗をしているんだ。だから、ロサンゼルスの交通渋滞の中で彼らに追いつくだけでも大変なんだ。銀行に着くと、何人の人が強盗を目撃している?銀行には何人いた?20人とかだよね。だから、20人の証人から証言を取る必要がある。これは大変なプロジェクトなんだ」って。

そして、やっと捜査を始めたと思ったら、どうなるかっていうと?

「現場に5分か10分いると、街の反対側で別の銀行強盗事件が発生する。FBIは疲れ果てていた」って。

ロサンゼルス市は、銀行強盗の世界的な中心地だったんです。「それがピークを迎えるとは考えられなかった」ってマークは続けたらしいんですね。彼は、1970年代から1990年代までのロサンゼルスの銀行強盗のチャートを掲げました。「トレンドラインを見ると、まるで月に向かっているように見える」って。

でも、実際には、月に向かわなかったらしいんですよ。熱は冷めたんですね。FBIは50人の捜査官をこの事件に投入したらしいんですね。何ヶ月もかけて、カスパ―とC-Dogの恐怖に怯えるリクルートからできる限りの情報を集め、2人が資産を隠すために使った欺瞞の層を整理し、南ロサンゼルスのあちこちにある住所を追跡したらしいんですね。カスパ―とC-Dogを起訴するために大陪審を招集するのに時間がかかったのは、彼らが何をしたのか?何もしていないからなんですって。彼らは銀行強盗をしていないんです。彼らはただ、通りの先の車の中に座っていただけなんです。FBIが持っていたのは、昼食と休憩の間に学校をサボった、恐怖に怯えるティーンエイジャーの証言だけだったらしいんですね。

最終的に、検察官は十分な証拠があると判断したらしいんですね。彼らは、カーソンの祖母の家でC-Dogを見つけ、カスパ―がタクシーから降りてきたところを逮捕したらしいんですね。2人が刑務所に入れられたことで、ロサンゼルスを襲った銀行強盗の熱はついに冷めたらしいんです。約1年以内に、市内の強盗の件数は30%減少し、さらに減少したらしいんですね。

カスパ―とC-Dogが2023年の夏に連邦刑務所から出所すると、彼らは自分たちの話をハリウッドに売り込み、映画プロデューサーとのミーティングを行ったらしいんですね。彼らの話を聞いた映画幹部は信じられない様子だったらしいんです。「そんなことがここで起きていたのか?」って。

「はい、起きていました」って。

えー、次は、この話がこの本のテーマにつながっていくんですね。

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