Chapter Content
えーと、ロバート・エバンス牧師っていう、あんまりおしゃべりじゃないんだけど、性格はすごく明るい人がいてね。オーストラリアのブルーマウンテンズっていう、シドニーから西に80キロぐらいのところに住んでるんだけど。空が晴れてて、月の明かりがあんまりない夜に、すごいデカくて重い望遠鏡を自宅のベランダに持ってきて、ちょっと変わったことをしてたんだよね。遠い過去を観察して、寿命が尽きかけてる星を探してたんだ。
過去を観察するのは、まあ、ある意味簡単なんだよね。夜空をちらっと見るだけでも、もう歴史を見てるようなもんで。星の光って、今現在の姿じゃなくて、光が発せられた時の姿を見せてくれてるんだよね。たとえば、みんなが知ってる北極星も、もしかしたら去年の1月とか、1854年とか、14世紀初頭とか、もういつ消えちゃったかわかんない。その情報が届くまでに時間がかかるから。だから、僕らが言えるのは、せいぜい「680年前に光ってた」ってことだけ。星って常に死んでるんだよね。で、ロバート・エバンス牧師が他の人よりすごかったのは、星がまさに「さよなら」を言う瞬間を見つけるのが得意だったってこと。
昼間は、オーストラリア統一教会の、もうすぐ退職する優しい牧師さんで、アルバイトしたり、19世紀の宗教運動の歴史を研究したりしてたんだけど、夜になると、こっそり空の神様みたいになって、超新星を探してたんだよね。
巨大な星、太陽よりもずっと大きい星がね、潰れる時に、ドーン!ってすごい爆発を起こすんだ。一瞬で太陽1000億個分のエネルギーを放出するから、その星がある銀河全体の星よりも明るくなるんだって。それが超新星爆発。「まるで1兆個の水素爆弾が突然爆発したみたいだ」ってエバンス牧師は言ってたよ。もし超新星爆発が500光年くらいの距離で起こったら、僕らはもう終わりだって。「完全にアウトだよ!」って笑ってたけど。でも、宇宙は本当に広いから、超新星ってだいたいものすごく遠いところで起こるから、僕らに害はないんだよね。遠すぎて、光が届いてもほんの一瞬光るだけ。それでも1ヶ月くらいは見ることができるらしい。空にある他の星との違いは、そこが前は何もなかった場所だってこと。エバンス牧師は、夜空の星がいっぱいある中で、そんな珍しくて、偶然に起こる光を探してたんだ。
それがどれだけすごいことかって言うと、普通の食卓に黒いテーブルクロスを敷いて、そこに塩をパラパラって撒くとするじゃない?その塩粒を銀河の星だと考えてみて。で、さらに、そういう食卓を1500個用意するんだよ。それが3キロメートルくらいの直線になるくらい。で、全部の食卓にまた塩をパラパラ撒いて、その中のどれか一つの食卓に、もう一粒だけ塩を足すんだ。で、ロバート・エバンス牧師がその真ん中を歩くとするでしょ?そしたら、彼はその一粒の塩を見つけるんだよ。その一粒の塩が超新星なんだ。
エバンス牧師は本当にすごい人だよ。オリバー・サックスの「火星の人類学者」っていう本に、ちょっと変わった学者さんの話が出てくるんだけど、その中にエバンス牧師のことも少し書かれてるんだ。「でも、別に彼が変人だって言ってるわけじゃないよ」って付け加えてたけどね。エバンス牧師はサックスに会ったこともないし、自分が変人だって言われたり、学者だって言われたりしても、ただ笑うだけだって。でも、なんで自分にそんな才能があるのか、あんまりよくわかってないみたい。
エバンス牧師の家は、ヘーゼルブルックっていう村の端にある平屋で、静かで景色もすごくいいんだ。シドニーはここまで、ここから先はオーストラリアの広大なブッシュが広がってる。一度、奥さんのエレインと一緒に訪問したんだけど、彼は「たまたま星の配置を覚えるのが得意なんだ」って、ちょっと恥ずかしそうに言ってた。「他のことは全然得意じゃないんだけどね。人の名前もあんまり覚えられないし」って。
そしたら、エレイン奥さんがキッチンから「物の場所も覚えられないのよ」って叫んでた(笑)。
彼はまた正直にうなずいて、ニカっと笑って、僕に望遠鏡を見せてくれるかって聞いてきたんだ。僕は、エバンス牧師が裏庭に立派な天文台を持ってるんだと思ってたんだよね。小さいウィルソン山天文台とか、パロマ天文台みたいな、スライド式のドームがあって、動かしやすい機械式の椅子があるような。でも、実際は、外に連れて行かれることもなく、キッチンからすぐの、本とか資料でいっぱいになった狭い倉庫に案内されたんだ。彼の望遠鏡は、白い筒で、家庭用温水器みたいな大きさで、自分で作った合板の回転台の上に乗ってた。観測する時は、それを2回に分けて、キッチンから近いベランダに運ぶんだって。斜面の下にはユーカリの木が生えてて、屋根と木の梢の間に、郵便受けくらいの大きさの空が見えるだけなんだけど、彼はそれが観測には十分だって言ってた。そこで、空が晴れてて、月の明かりがあんまりない時に、彼は超新星を探してたんだ。
超新星っていう名前は、20世紀30年代にフリッツ・ツビッキーっていう、すごく変わった天体物理学者が作ったんだ。彼はブルガリアで生まれて、スイスで育って、20世紀20年代にカリフォルニア工科大学に来たんだけど、すぐにその乱暴な性格とすごい才能で有名になったんだ。彼は特別頭がいいわけじゃなくて、同僚からはただの「迷惑な道化師」だと思われてたみたい。すごい筋トレマニアで、カリフォルニア工科大学の食堂とか、公共の場所で、片手腕立て伏せをして、疑う人たちに自分の男らしさを見せつけたりしてたんだって。すごく攻撃的で、最後はすごく横柄になったから、一番親しい協力者だった、穏やかなウォルター・バーデさえも、彼と二人きりになりたがらなかったんだって。ツビッキーはバーデがドイツ人だからナチスだって非難したらしいけど、実際は違ったんだよね。バーデは山の上のウィルソン山天文台で働いてたんだけど、ツビッキーは、カリフォルニア工科大学のキャンパスで見つけたら殺すって何度も脅してたんだって。
でも、ツビッキーはすごく頭が良くて、鋭い洞察力を持っていたんだよね。20世紀30年代初頭に、彼は天文学者を悩ませていた問題、つまり、空に時々現れる、説明のつかない光の点、「新しい星」に注目したんだ。信じられないことに、彼は問題の核心は中性子にあるんじゃないかって疑ったんだよね。中性子は、イギリスのジェームズ・チャドウィックが発見したばかりで、新しくて流行りの亜原子粒子だったから。彼は、星が原子核みたいな密度まで潰れると、ものすごく硬い核になるんじゃないかって突然思ったんだ。原子が実際には押しつぶされて、電子が核子になって、中性子が作られる。それで中性子星ができるんだ。想像してみて、100万個の重い砲弾をビー玉くらいの大きさに押し込むようなもん。いや、それよりもっとすごいんだけど。中性子星の核の密度はすごく高くて、スプーン一杯分の物質が900億キログラムもあるんだって。たったスプーン一杯だよ!しかも、それだけじゃない。ツビッキーは、そんな星が潰れると、宇宙最大の爆発を起こすのに十分なエネルギーを放出することに気づいたんだ。彼はその爆発を超新星と呼んだんだよね。それは、宇宙を創造する過程で起こる一番大きな出来事なんだ。
1934年1月15日、「フィジカル・レビュー」っていう雑誌に論文の短い要約が掲載されたんだ。その論文は、ツビッキーとバーデが1ヶ月前にスタンフォード大学で発表したものだったんだけど、その要約はすごく短かったんだけど、たくさんの新しい科学知識が含まれてたんだ。初めて超新星と中性子星について言及してて、それがどうやってできるのか説得力のある説明をしてて、爆発の規模を正確に計算してて、最後に、超新星爆発と、宇宙線っていう、謎の新しい現象の発生を結びつけてたんだ。宇宙線は宇宙を大量に通過していて、最近発見されたばかりだったんだよね。これらの考えは、少なくとも革命的だった。中性子の存在は、それから34年後に確認されたんだ。宇宙線の考え方は理にかなってるとは思われたけど、まだ証明されてなかった。カリフォルニア工科大学の天体物理学者キップ・S・ソーンの言葉を借りれば、この要約は「物理学と天文学の歴史の中で、最も先見の明のある文献の一つ」なんだ。
面白いのは、ツビッキーはなぜそうなったのかほとんどわかっていなかったってことなんだよね。ソーンによると、「彼は物理法則をあまり理解していなかったから、自分の考えを証明できなかった。ツビッキーの才能は、大きな問題を考えることにあって、データを集めるのは他の人、主にバーデの仕事だった」んだって。
ツビッキーは、宇宙にある見える物質だけでは宇宙を一つに繋ぎ止めるには足りなくて、何か別の引力の影響がある、つまり、今僕らが暗黒物質って呼んでるものがあることに最初に気づいた人でもあったんだ。彼が気づかなかったのは、中性子星はすごく小さく潰れてて、密度が高すぎるから、光さえもその強い引力から逃れることができないってこと。それがブラックホールになるんだけどね。残念ながら、彼の同僚のほとんどは彼を軽蔑してたから、彼の考えはほとんど注目されなかったんだ。5年後、偉大なロバート・オッペンハイマーが画期的な論文で中性子星に注目した時も、ツビッキーの業績には一度も触れなかったんだって。ツビッキーは何年も同じ問題に取り組んでて、すぐ近くのオフィスにいたのにね。約40年間、ツビッキーの暗黒物質に関する推論は真剣に受け止められなかったんだ。その間、彼はたくさんの腕立て伏せをしていたんだろうね。
驚くことに、僕らが空を見上げても、宇宙のほんの一部しか見ることができないんだ。地球から肉眼で見える星は、約6000個で、ある角度から見えるのは約2000個。望遠鏡を使えば、一箇所から見える星は、約5000個に増える。5センチの小型望遠鏡を使えば、その数は30万個に跳ね上がる。エバンス牧師が使ってたような40センチの望遠鏡を使えば、星の数を数えるだけじゃなくて、銀河の数も数えることができる。エバンス牧師は、ベランダから見える銀河は5万から10万個もあると見積もってたんだ。それぞれの銀河は何百億個もの星で構成されてるんだよ。それは確かにすごい数だけど、それだけたくさんの星が見えても、超新星はすごく珍しいんだ。星は何十億年も燃え続けることができるけど、死は一瞬で終わる。ほんの一握りの星が爆発して、ほとんどは夜明けの焚き火みたいに静かに消えていく。何千億個もの星で構成された典型的な銀河では、平均して2、300年に一度超新星が現れる。だから、超新星を探すのは、ニューヨークのエンパイアステートビルの展望台に立って、窓の外のマンハッタンを探し回って、誰かが21歳の誕生日のケーキに火をつけてるのを見つけるようなもんなんだ。
だから、もし希望に満ち溢れてて、小さな声の牧師さんが連絡してきて、「超新星を探すために使える星図はありませんか?」って聞いたら、天文学界はきっと彼の頭がおかしいと思うだろうね。当時、エバンス牧師は5センチの望遠鏡しか持ってなかったんだ。アマチュアの星空観察には十分だけど、本格的な宇宙研究には程遠い。それなのに、彼は宇宙で珍しい現象を探そうとしたんだ。エバンス牧師が観測を始めた1980年以前に、天文学の歴史の中で発見された超新星は60個もなかった。(僕が2001年8月に彼を訪問した時、彼は34回目の目視観測を記録してた。3ヶ月後には35回目の発見があって、2003年初頭には36回目の発見があった。)でも、エバンス牧師にはいくつか有利な点があったんだ。ほとんどの観測者は人口のほとんどと同じように北半球にいるから、南半球にいる彼は、特に最初は、広大な空を独り占めしていた。それに、彼はスピードと超人的な記憶力を持っていた。大型の望遠鏡は重くて、移動させるのに時間がかかる。エバンス牧師は、近接航空戦の機銃手みたいに、5センチの小型望遠鏡をあっちこっちに動かして、数秒で空の特定の場所を狙うことができたんだ。だから、彼は一晩に400個くらいの銀河を観測することができたんだ。大型の専門的な望遠鏡は、5、60個観測できればいい方だったのに。
超新星を探す仕事は、ほとんどが無駄に終わる。1980年から1996年まで、彼は平均して年に2回しか発見しなかったんだ。何百もの夜を観測に費やして、全然割に合わない。15日間で3回発見したこともあったけど、3年間一度も発見できなかったこともあったんだって。
「実際には、何も得られないことにも価値があるんだ」って彼は言ってた。「それは宇宙学者が銀河の進化の速度を計算するのに役立つ。何も兆候がない領域には、兆候がないこと自体が兆候なんだ」って。
望遠鏡の横のテーブルには、彼の研究に関連する写真とか資料が山積みになってた。彼はその中からいくつか見せてくれたんだ。もし天文学の一般向けの本を読んだことがあれば、遠くの星雲とかのカラフルな写真を見たことがあると思う。光の雲が作ったカラフルな雲で、すごく美しくて、壮観なんだ。エバンス牧師が撮った写真は、それとは全然比べ物にならない。ぼんやりした白黒写真で、光の輪がある小さな点があるだけ。彼は僕に写真を見せてくれたんだけど、たくさんの星があって、その中に小さな炎のようなものがあるんだ。よく見ないとわからなかった。エバンス牧師は、それはろ座にある星で、天文学的にはNGC1365って言うんだって教えてくれた。(NGCは「ニュージェネラルカタログ」の略で、そこに記録されてるんだ。昔はダブリンの誰かの机の上にある分厚い本だったけど、今はデータベースになってるんだね。)その星が壮大な死を遂げる時に発した光は、6000万年間、宇宙を旅して、2001年8月の夜に、かすかな光となって地球に届いたんだ。もちろん、ユーカリの香りがする丘の上にいたロバート・エバンスがそれを見つけたんだ。
「これは満足できることだと思うよ」ってエバンス牧師は言ってた。「考えてみて、その光は何百万年も宇宙を旅して、地球に届いた時、たまたま誰かがその空を見ていて、それを見たんだ。そんな大きな出来事を目の当たりにできるのは、いいことだと思うよ」って。
超新星は、ただ驚きを与えるだけじゃないんだ。超新星にはいくつかの種類があって(エバンス牧師が発見したものもある)、その中の一つにIa型超新星っていうのがあるんだけど、それは天文学にとって特に重要なんだ。なぜなら、この種類の超新星は常に同じように爆発して、同じ重要な質量を持ってるから。だから、それは「標準光源」として使うことができるんだ。他の星の明るさを測る基準(だから、相対的な距離も測れる)として使って、宇宙の膨張率を測ることができるんだ。
1987年、目視で得られるよりも多くの超新星が必要になったから、カリフォルニア州のローレンス・バークレー研究所のソール・パールマターは、もっと組織的な検索方法を探し始めたんだ。パールマターは、高度なコンピューターとCCD(電荷結合素子)を使って、素晴らしいシステムを設計したんだ。それは、基本的に一流のデジタルカメラみたいなもの。それによって、超新星を探す作業が自動化されたんだ。望遠鏡は何千枚もの写真を撮って、コンピューターが超新星爆発が起こったことを示す光の点を見つける。5年間で、パールマターと彼の同僚は、バークレーでこの新しい技術を使って42個の超新星を発見したんだ。今では、アマチュアの人もCCDを使って超新星を発見してるんだ。「CCDを使えば、望遠鏡を空に向けて、テレビを見に行けるんだ」ってエバンス牧師はちょっと不満そうに言ってた。「そんな魔法みたいなものはもうなくなってしまったんだ」って。
エバンス牧師に、この新しい技術を採用したいかって聞いてみたんだ。「いや、いいよ」って彼は言ってた。「自分のやり方が好きだし」って、最近撮った超新星の写真に目を向けて、微笑んで言ってた。「たまには、彼らよりもいい結果を出せることもあるからね」って。
当然、次のような疑問が湧いてくる。もし星が近くで爆発したらどうなるんだろう?僕らはすでに、一番近い星はアルファ星で、4.3光年離れてるって知ってるよね。もしそこで爆発が起こったら、4.3年間、大爆発の光が空一面に降り注ぐのを見ることができるんじゃないかって想像したんだ。まるで大きな缶からこぼれ出したみたいに。もし僕らが4年4ヶ月かけて、逃れられない終末が近づいてくるのを見て、それが最後に到着した時に、僕らの肉を骨から剥ぎ取るのを知ったら、どうなるんだろう?人々はまだ仕事に行くんだろうか?農民はまだ作物を育てるんだろうか?誰かが農産物を店に運ぶんだろうか?
数週間後、僕が住んでるニューハンプシャー州の小さな町に戻って、ダートマス大学の天文学者ジョン・ソーシュタイソンにこれらの質問を投げかけてみたんだ。「ああ、そんなことないよ」って彼は笑って言ってた。「そんな大きなことの情報は光の速さで伝わるし、その破壊的な威力には、聞いたらすぐに怖くなるよ。でも、心配しないで。そんなことは起こらないから」って。
超新星爆発の衝撃波で死ぬかどうかについて、彼は、それは「ばかばかしいくらい近くないと」いけないって説明してくれたんだ。おそらく10光年くらい以内かなって。「危険は宇宙線とかの放射線から来るんだ」って。放射線はすごいオーロラを生み出すんだ。キラキラ光る奇妙な光の幕が空一面に広がる。それはいいことじゃない。そんな光景を作り出すようなことが起こったら、磁気圏、つまり地球の上空にある、紫外線とか宇宙からの攻撃から僕らを守ってくれてる磁場が吹き飛ばされてしまうんだ。磁気圏がなくなったら、太陽の光を浴びた人は、例えば、焦げ付いたピザみたいになっちゃうんだって。
ソーシュタイソンは、銀河の僕らのあたりでは、そんなことは起こらないと信じる理由があるって言ってた。まず、超新星を作るには特別な星が必要なんだ。星は太陽の10倍から20倍の大きさがないと資格がないんだけど、「僕らの近くには、それに当てはまる星はないんだ」って。すごく運がいいことに、宇宙は広いんだよ。彼が続けて言ったのは、一番近い、可能性がある星はオリオン座なんだって。長年、いろんなものを噴き出していて、不安定だから、みんなの注目を集めてる。でも、オリオン座は5万光年も離れてるんだって。
記録に残ってる歴史の中で、肉眼で見えるほど近くで起こった超新星は5、6回しかない。一つは1054年の爆発で、カニ星雲ができたんだ。もう一つは1604年に起こって、3週間以上昼間でも見えるほど明るい星ができたんだ。一番最近では1987年に、大マゼラン雲っていう宇宙の場所で超新星が光ったんだけど、それは辛うじて見える程度で、しかも南半球だけでしか見えなかったんだ。16万9000光年も離れてるから、僕らに危険はないんだ。
超新星には、僕らにとって絶対に重要な側面もあるんだ。もし超新星がなかったら、僕らはこの世界に生まれてこなかったんだ。第一章の終わりで、宇宙の謎、つまり、ビッグバンはたくさんの軽い気体を作ったけど、重い元素を作らなかったって話をしたのを覚えてるかな?重い元素は後からできたんだけど、長い間、それがどうやってできたのか誰もわからなかったんだ。問題は、炭素とか鉄とかの元素を鍛造するには、ものすごく高い温度のものが必要だってこと。一番熱い星の中心の温度よりも高い温度じゃないと作れない。もしそんな元素がなかったら、僕らは残念ながら存在しないんだ。超新星がその説明を提供してくれたんだ。その説明は、フリッツ・ツビッキーと同じくらい変わったイギリスの宇宙学者が作ったんだ。
彼の名前はフレッド・ホイル。ヨークシャー出身。ホイルは2001年に亡くなったんだけど、「ネイチャー」っていう雑誌の追悼記事で「宇宙学者で論争好き」だって書かれてたんだ。どちらも彼にふさわしい言葉だね。「ネイチャー」の追悼記事によると、彼は「人生のほとんどを論争に巻き込まれて」いて、「自分の評判を傷つけた」らしいんだ。例えば、彼はロンドンの自然史博物館に所蔵されてる始祖鳥の化石は偽物だって、証拠もなく主張したんだ。ピルトダウン人の頭蓋骨詐欺と同じだってね。博物館の古生物学者たちはすごく迷惑して、世界中の記者からの電話に対応するのに何日もかかったんだ。彼はまた、地球は宇宙から生命の種子を受け取っただけじゃなくて、風邪とか腺ペストとかの多くの病気も受け取ったって考えてたんだ。彼は、人間が進化の過程で突き出た鼻と下向きの鼻の穴を持ったのは、宇宙の病原菌がそこから入るのを防ぐためだって主張したこともあったんだって。
彼が1952年のラジオの原稿の中で、冗談でビッグバンっていう名前を作ったんだ。彼は、僕らが物理学を理解してるのに、なぜすべてが一つの点に集まって、突然劇的に膨張し始めたのか説明できないって指摘したんだ。ホイルは定常宇宙論を支持してたんだ。定常宇宙論は、宇宙は常に膨張していて、その過程で常に新しい物質を作り出しているっていう考え方なんだ。ホイルはまた、星が爆縮すると、大量の熱、1億度以上の温度を放出することに気づいたんだ。それは核融合っていう過程で、より重い元素を生成するのに十分な熱なんだ。1957年、ホイルは他の人と一緒に、重い元素が超新星爆発でどのように作られるかを示したんだ。この仕事のおかげで、彼の共同研究者のW.A.ファウラーはノーベル賞を受賞したんだけど、ホイルは受賞できなくて、すごく恥ずかしかったんだ。
ホイルの理論によると、爆発している星は、すべての新しい元素を作り出して、それを宇宙に撒き散らすのに十分な熱を放出するんだ。それらの元素は、ガス雲、つまり星間物質を形成して、最終的には新しい太陽系に集まる。これらの理論のおかげで、僕らはどうやってこの世界にやってきたのかについて、もっともらしい仮説を立てることができるようになったんだ。僕らが今知ってると思ってる状況はこうだ。
約46億年前、直径約240億キロメートルの巨大な渦巻きが、僕らが今いる場所に蓄積し始めて、集まり始めた。太陽系のすべての物質、99.9%の物質は、太陽を作るために使われた。残りの浮遊物質の中で、2つの微粒子がすごく近い場所に漂流して、静電気で引き寄せられた。
これが僕らの惑星が誕生した瞬間だ。初期の太陽系全体で、同じことが起こっていた。塵の粒子が互いに衝突して、ますます大きな塊を作った。最後に、これらの塊は微惑星と呼ばれるほど大きくなった。これらの微惑星が果てしなく衝突するにつれて、壊れたり、分解したり、果てしなくランダムな置換で再結合したりしたけど、常に勝者がいて、どんどん大きくなって、最終的にはその軌道を支配した。
これらすべてはかなり早く起こった。小さな塵の塊から、直径数百キロメートルの幼星になるのに、数万年しかかからないと考えられてる。2億年以内、もしかしたらもっと短い時間で、地球はほぼ完成したんだけど、それでもまだ熱くて、あちこちに漂ってる破片からの衝撃を常に受けてたんだ。
この時、約45億年前、火星くらいの大きさの物体が地球に衝突して、伴星、つまり月を形成するのに十分な材料を吹き飛ばしたんだ。吹き飛ばされた材料は、数週間以内に再び集まってきて、1年以内には、僕らと一緒に今も存在してる岩の球体になったと考えられてる。月を構成してる材料の大部分は、地球の地殻から来たものだと考えられてる。核からじゃなくてね。だから、月には鉄がほとんどなくて、地球にはたくさんあるんだ。ちなみに、この理論はほとんどいつも最近提唱されたって言われるけど、実際には、ハーバード大学のレジナルド・デイリーが20世紀40年代に最初に提唱したものなんだ。この理論について最近のことと言えば、人々があまり重視しなくなったってことくらいかな。
地球が最終的な大きさの約3分の1だった時、二酸化炭素、窒素、メタン、硫黄を主成分とする大気が形成され始めたと考えられてる。僕らはこれらの物質と生命を結びつけることはほとんどないけど、これらの有毒な混合物の中で、生命が形成されたんだ。二酸化炭素は強力な温室効果ガスなんだ。それはいいことだった。なぜなら、当時の太陽は今よりもずっと弱かったから。もし僕らが温室効果の恩恵を受けてなかったら、地球は永久に氷に覆われていたかもしれない。生命は足場を見つけることができなかったかもしれない。でも、生命は何らかの方法で現れたんだ。
その後5億年間、若い地球は彗星、隕石、銀河系の他の破片からの容赦ない衝撃を受け続けた。
この過程で、海を満たす水が作られ、生命の形成に不可欠な成分が作られた。それは極めて敵対的な環境だったけど、生命は何らかの方法で始まったんだ。化学物質の小さな袋が痙攣して、生きたものになった。僕らはもうすぐこの世界にやってくる。
40億年後、人々は、これらすべてがどうやって起こったのか考え始めたんだ。これから、その物語を話そうと思う。