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ええと、今回はですね、第6章、プロローグということで、ちょっとお話していこうかなと思います。まあ、人生を変えた旅、みたいなね。
「あなたがご両親に会えるのは、あと15回しかない」
…これ、本当にね、衝撃的な言葉だったんですよね。僕の人生、完全に変えちゃった言葉で、もしかしたら、あなたの人生も変えるかもしれない。そんな話なんです。
えーと、2021年の5月、カリフォルニアの暖かい夜だったんですけど、旧友とね、ちょっと飲みに行ったんですよ。席について、近況報告みたいなのするじゃないですか。で、最初はね、いつものように「元気だよ、忙しいけど!」って答えたんですよね。皮肉なもんで、現代では「忙しい」っていうのが一種の勲章みたいになってるじゃないですか。「俺、こんなに頑張ってるんだぜ」みたいな。
で、同じように彼に「どう?」って聞いたら、よくある「俺の方がもっと忙しいぜ!」みたいなマウンティング(笑)じゃなくて、「大切なことに時間を使うようにしてるよ」って言ったんですよ。彼のお父さんが病気になったらしくて。その、意外なほど率直な言葉に、なんか、いつもの会話の流れから、ちょっと外れちゃったんですよね。新しい道が開けた、みたいな。
それで、僕も正直に、カリフォルニアでの生活が、だんだん辛くなってきたって話をしたんです。東海岸にいる両親から、ものすごく遠いじゃないですか。
で、その、珍しいほど感情的な会話の中で、人生を変える言葉が飛び出したんです。
「両親には、どれくらいの頻度で会ってるの?」って聞かれて、「まあ、年に1回くらいかな」って答えたんですよ。そしたら、「ご両親、おいくつ?」って。「60代半ばくらいかな」って言ったら…彼が、こう言ったんです。「じゃあ、あなたがご両親に会えるのは、あと15回しかないね」って。
…もう、言葉を失いましたよね。
思わず、怒りそうになったんですけど、グッと堪えました。昔からの友達だし、両親のこともよく知ってる。別に、意地悪で言ったわけじゃないんですよ。ただの…計算、ですよね。平均寿命が80歳くらいで、両親が60代半ば。年に1回しか会わないから、計算上は、あと15回しか会えない。
その計算が、僕を打ちのめしたんです。人生を変えたんです。本当に。
でね、そもそも僕の人生って、ちょっと変わった二つの世界がぶつかり合って生まれたようなもんなんですよ。常識を拒否するっていうDNAが、組み込まれてるんですよね、きっと(笑)。
1978年、僕の母、ラクシュミ・レッディは、インドのバンガロールで生まれ育ったんですけど、片道切符でアメリカのマウント・ホリヨーク大学に留学したんです。両親は、そりゃあ心配したみたいですよ。「もう帰ってこないんじゃないか」って。友達にも、「アメリカ人の男の人と出会って、恋に落ちて、そのままあっちで暮らすんじゃないか」って言われたらしいんです。…で、まさにその通りになったんですけどね。
僕の父は、ニューヨークのブロンクスで、ユダヤ人家庭に生まれ育ったんです。父親から、「ユダヤ人の女性と結婚して、安定した仕事に就きなさい」って、人生設計をされてたんです。まあ、僕にとっては、運命のいたずら、とでも言いましょうか。全然違う展開になったんですけどね。
まるで映画みたいな話なんですけど、1980年に、プリンストン大学の図書館で、二人は出会ったんです。母は、学費を稼ぐために働いていて、父は博士論文の仕上げをしていた。母は勇気を振り絞って、父をデートに誘ったらしいんです。アイスクリームを食べながら、父は、遠回しな言い方はしない人で、「僕の家族は、絶対に君たちのことを認めないだろう」って言ったんです。でも、母は「私たち」っていう言葉に興奮して、そのメッセージを、完全に聞き逃したんですって(笑)。
残念ながら、父の予感は的中しました。理由は今となっては理解できないんですけど、父の家族は、二人の交際を認めなかったんです。それが原因で、大喧嘩になって、父は家族と母のどちらかを選ばなければならなくなった。僕は、父方の祖父母に会ったことがないし、父も二度と会うことはなかったんですけど、真実の愛を選んだ父の決断が、僕が生まれる世界を、大きく変えたんです。
子供の頃から、僕は、教科書通りの「成功」を目指して、ひたすら努力を続けてきました。勉強も、まあ、そこそこできたんですよ。インド人の母からすると、「どうして医学部を目指さないの?」って、今でも言われるんですけど(笑)。でも、僕の頭の中は、いつも野球のことばっかりだったんですよね。才能もあったし、死ぬほど努力もしたから、スタンフォード大学に野球の奨学生として入学することができたんです。合格通知を見せた時の母の顔は、忘れられないですね。「いつも遊んでばかりで、勉強もしない息子が、スタンフォードに受かるなんて!」って、信じられない、みたいな顔してました(笑)。
カリフォルニアに渡って、プロ野球選手になることを夢見てたんですけど、3年生の時に肩を怪我して、夢を諦めざるを得なくなったんです。それで、仕方なく、勉強に力を入れて、別の道を探すことにしたんですけど、将来、何がしたいのか、全く分からなかったんですよね。
そこで、僕は、野心的な若者なら誰でもするだろうと思ったことをしたんです。つまり、金持ちに、仕事の話を聞きに行ったんです。投資の世界で成功した家族の友人に、話を聞いたことがあるんですけど、彼は、「大学を出たら、すぐに投資会社に入るべきだ」って言ったんです。「最初は年収1000万円くらい稼げるし、すぐに5000万円くらいになる。30歳になる頃には、使い切れないほどのお金を稼げるようになるぞ」って。
それを聞いた僕は、「お金があれば、成功して幸せになれる」って、単純に信じてしまったんです。
もちろん、小さい頃から、そう思っていたわけじゃないんですよ。父は大学教授で、母は小さなビジネスを経営してたから、生活には困らなかったけど、決して裕福ではなかった。子供の頃に、すごくお金持ちの友達がいて、彼は、素晴らしい家に住んでいて、最新のおもちゃをたくさん持っていて、いつも最新のスポーツ用具を買ってもらってた。僕は、彼の生活を羨ましく思ってたんです。でも、その「物」が、本当に彼を幸せにしているのか、考えたことはなかったんですよね。シェフが作った夕食を一人で食べるよりも、家族みんなで囲むテイクアウトの食事の方が、幸せなんじゃないか、とか。
大学に行くと、周りの学生は、ゴールドマン・サックスやマッキンゼーから、どれだけ高い給料を提示されたかを競い合っていたから、お金があれば成功して幸せになれるっていう考え方は、僕の中で、完全に定着してしまったんです。
マーク・トウェインは、「人を悩ませるのは、知らないことではなく、知っていると信じていることが、実は間違っていることだ」って言ったそうなんですけど、まさにその通りで。家族の友人のアドバイスを聞いて、カリフォルニアで高収入の仕事に就いた時、僕は、人生の成功への道が始まったと信じていたんです。時間をかければ、ストレスのない、お金と幸せに満ちた未来にたどり着ける、って。
でも、僕が「知っている」と信じていたことは、間違っていた。それに、まだ気づいていなかっただけなんです。
30歳になる頃には、成功の基準を、すべて満たしていました。高収入の仕事、肩書き、家、車…全部手に入れたんです。でも、心の奥底では、惨めだった。自分は何かおかしいんじゃないかって、思い始めたんです。何年も、ひたすら頑張って、長時間労働も厭わなかった。成功という理想郷は、すぐそこにあると信じていたから。一歩進むたびに、「ボーナスをもらえば、昇進すれば、高級ワインを飲めば、きっと辿り着ける」って言い聞かせていた。
でも、ある日、すべてを手に入れたことに気づいて、思ったのは、「…これが、すべてなのか?」って。
アライバル・ fallacyって言って、目標を達成すれば、持続的な満足感や幸福感が得られる、っていう誤った思い込みがあるんです。目標を達成すれば、「ついに辿り着いた!」っていう感覚を味わえるはずだ、って、勝手に思い込んでるんですよね。僕は30歳で、何億円も稼いでいた。目標を達成したはずなのに、期待していた幸福感や充実感は、どこにもなかった。代わりに感じたのは、「もっと頑張らなきゃ」「まだ足りない」っていう、いつもの焦燥感だったんです。
きっと、僕だけじゃないと思うんですよね。若い頃に夢見ていたものが、手に入れた途端に、不満の種になることって、よくあるじゃないですか。憧れていた家が、狭いとか、修理が必要だとか、文句ばかり言うようになる。欲しかった車が、すぐに買い替えたくなったり、修理に出しっぱなしになったりする。婚約指輪も、最初はキラキラ輝いて見えたのに、欠点ばかりが気になって、グレードアップしたくなる。
さらに悪いことに、もっともっと、っていう欲に目が眩んで、目の前にある大切なものが見えなくなっていたんです。プラトンの初期の作品に収録されている寓話に、タレスっていう哲学者が、星ばかりを見て歩いていたせいで、足元にある井戸に落ちてしまった、っていう話があるんです。ラ・フォンテーヌっていう詩人が、それを詩的に語り直していて、こんな風に締めくくられています。
「ああ、なんと多くの人が、
大事なことをないがしろにして、
空に城を築こうとして、
目の前の家を、朽ちさせてしまうのだろうか?」
僕は、まさに、その「空に築かれた城」を追いかけて、目の前の現実が見えなくなっていたんです。健康状態は、睡眠不足と運動不足で悪化し、人間関係は、エネルギー不足で疎かになり、大切な人たちと過ごせる時間は、どんどん少なくなっていたんです。
お金を追い求めるあまり、充実した人生を、少しずつ、確実に、奪われていたんです。
5月の暖かい夜、友人が帰った後も、僕は一人で何杯も飲み続けました。「何かを変えなければ」って、強く思いました。一つのことばかりに気を取られて、他のすべてを犠牲にしてきたんです。
傍から見れば、僕は「勝ち組」だった。でも、「勝つ」っていうのが、こんな気持ちなのなら、そもそも、自分がプレイしているゲームが間違っているんじゃないかって、思い始めたんです。
人生で最も偉大な発見は、正しい答えを見つけることではなく、正しい質問をすることから生まれる、って言いますよね。
僕が間違ったゲームをしていたのなら、正しいゲームって、一体何なんだろう?
そこから、僕の探求の旅が始まったんです。正しいゲーム、つまり、本当に望む人生に繋がるゲームを、定義する必要があった。手当たり次第に本を読み漁りました。古代の自己啓発書から、現代のベストセラーまで。歴史上の偉人たちの伝記。宗教的なテキスト、様々な文化の叙事詩、英雄の物語。
でも、読書だけでは、限界があることに気づきました。人間のことを深く理解するためには、人間の経験に、身を置く必要があるんです。
僕は、様々な人生を歩んでいる人たちと、話をするようにしました。自分から会いに行ったり、わざわざ飛行機に乗って会いに行ったりもしました。そして、ただひたすら、話を聞いたんです。大学生から、フォーチュン100企業のCEOまで。専業主婦から、生活のために複数の仕事を掛け持ちしている人まで。スーツケース一つで生活するプロのアスリートから、スキー場で働く人、デジタルノマドまで。ライフコーチやスピリチュアル・ガイドから、工場の労働者、自動車整備工まで。僕は、人間の経験を学ぶ学生になったんです。
妻を亡くしたばかりで、幼い娘と二人で、悲しみに暮れている男性と、何時間も話をしたことがあります。彼は、私たち人間が、もっと深く愛することができるんだ、っていうことを教えてくれました。夢だった仕事に就く直前に、手術不可能な脳腫瘍が見つかり、人生設計をやり直さざるを得なくなった28歳の若者とも、親しくなりました。仕事と母親業の両立に苦悩する女性にも会いました。CEOとしての責任と、母親として子供のそばにいたいという気持ちの間で、揺れ動いているんです。25年の刑期を終えて出所したばかりの男性の話も聞きました。時間の流れは、常に変化していて、精神的な目的を追求することで、安定を得ることができた、っていう話に、引き込まれました。46歳の理容師は、「生活費は稼げるし、年に2回は娘たちと旅行に行ける。俺は金持ちだよ」って、笑顔で言っていました。90歳の女性は、最近、絵を描き始めたらしくて、創造性とコミュニティが、生きる喜びを与えてくれる、って、嬉しそうに話してくれました。将来について悩んでいる若い人たちとも話しました。家族や社会の期待と、自分が本当にやりたいことの間で、葛藤しているんです。双子の息子を亡くした父親は、悲しみの中でも、自然の中を散歩することで、癒しや喜びを見出している、って話してくれました。
彼らとの会話の中で、メンターから教えてもらった、あるイメージングのエクササイズをしたんです。「目を閉じて、80歳(90歳の人には100歳って言いましたけど(笑))の理想的な一日を想像してください。何をしてますか?誰といますか?どこにいますか?どんな気持ちですか?」っていうエクササイズなんです。理想的な未来から逆算して、今、何をすべきか?を考える。つまり、人生の成功を、自分で定義するんです。
このエクササイズを通して、そして、何百冊の本を読んだり、何千時間も会話したりする中で、僕は、あることに気づいたんです。
僕たちが本当に求めているものは、みんな同じ。そして、それは、お金とは、ほとんど関係がない。
若い起業家から、引退したばかりの人まで。母親になったばかりの人から、子育てを終えた人まで。お金持ちの弁護士から、普通の教師まで。理想の未来は、驚くほど似通っているんです。
時間、人、目的、健康。
例外なく、すべての人が、この4つの柱を、理想の未来の中心に置いていたんです。愛する人たちに囲まれて、目的や成長に繋がる活動をして、心身ともに健康であること。
お金は、それを実現するための手段であって、目的ではないんです。
それに気づいた時、「間違ったゲームをしていたのではなく、ゲームのやり方を間違えていたんだ」って、ハッとしたんです。
問題は、スコアボードだったんです。
僕たちのスコアボードは、壊れている。お金だけを基準にして、成功、幸福、充実感を測ろうとする。そして、何を測るかが、重要なんです。経営学者のピーター・ドラッカーは、「測定されるものが、管理される」って言ったそうなんですけど、つまり、測定される指標が、私たちの優先順位を決めるってことなんです。スコアボードが重要だっていうのは、それが、私たちの行動を決定するからなんです。つまり、ゲームのやり方を決めるから。
壊れたスコアボードは、「あなたは勝っている」って教えてくれるかもしれない。でも、その先には、落とし穴が待っている。
時間が、指の間から、こぼれ落ちていく。
人間関係に、ひびが入る。
目的や成長意欲が、萎えてしまう。
肉体的な活力も、衰えてしまう。
スコアボードが壊れているから、行動もおかしくなる。お金だけを測っていたら、行動は、お金を中心に回ってしまう。ゲームのやり方を、間違えてしまう。
スコアボードを修正して、より包括的に、豊かさを測るようにすれば、行動も変わってくる。正しいゲームのやり方ができるようになる。正しいスコアボードがあれば、正しい行動ができるんです。
そこで、僕は、人生を測るための新しいツールを作ることにしました。読書や会話を通して、繰り返し出てきた「時間、人、目的、健康」っていう、普遍的な柱を軸にしたツールです。これらの柱が重要だってことを知るだけじゃなくて、それを測る方法、つまり、日々の行動が、それぞれの柱に、どれだけ影響を与えているのかを、評価する方法が必要だったんです。
で、この本は、その旅の記録なんです。
この本は、すべての人に向けられています。
キャリアの優先順位に悩んでいる大学生。仕事と子育ての両立に苦労している母親。人生の後半をどう過ごすべきか考えている退職者。犠牲を払う価値があるのか疑問に思い始めたベテラン経営者。新しい国でのキャリアチャンスと、家族との距離に悩む移民。キャリアを築きながら、子供の成長を見守りたい父親。長時間労働と、パートナーを見つけたいという願望の間で葛藤している企業のエース。第二の人生をどう築くか考えている熟年夫婦。
この本に出てくる物語、質問、フレームワークに対する見方は、人それぞれだと思いますが、ツールは普遍的なものです。
「5つの富」は、正しいことを測り、より良い決断をし、富、成功、幸福、充実感へと繋がる道筋を設計するための、新しい方法を提供します。また、これらの目標を達成するために役立つ、ハイレバレッジな原則、アイデア、システム、フレームワークも紹介します。
これは旅です。でも、今日から始めることができる旅で、想像以上に早く、世界を変えることができる旅なんです。
1週間で、行動を加速させることができる。1ヶ月で、変化を実感することができる。1年で、すべてが変わる。
人生は、1年で変わるんです。10年でも、5年でも、3年でもない。たったの1年。正しい質問をする1年。正しいことを測定し、優先順位をつける1年。正しい行動に、毎日、集中して努力する1年。
信じてください。僕自身が、それを経験してきたんですから。
2021年の5月、僕は、壊れたスコアボードと優先順位のせいで、静かに不幸を感じていました。
1週間後には、行動を加速させることができました。妻と、人生をどう測りたいのか、という辛くて深い会話をして、これからの行動を導く優先順位と価値観を共有しました。
1ヶ月後には、変化を実感することができました。前向きな影響を与えるという、人生の目的に基づいて、新しいキャリアをスタートさせるという、難しいけど重要な決断をしたんです。健康を最優先にして、運動、食事、睡眠といった基本的なことに取り組みました。そして最も重要なこととして、カリフォルニアの家を売って、両親の近くに引っ越すことにしたんです。「あなたがご両親に会えるのは、あと15回しかない」っていう厳しい現実を、過去の出来事に変えたんです。
1年後には、すべてが変わりました。新しい起業家としての活動は成功し、毎日散歩したり、健康的な生活を送ったり、喜びを感じるプロジェクトや人々に集中したりする自由を得ることができました。カリフォルニアでは、なかなか子供を授かれなかったのに、ニューヨークに引っ越してすぐに、妻の妊娠が発覚したんです。2022年5月16日には、息子、ローマンが誕生しました。病院から帰ってきて、自宅の通りに入ると、ローマンの両親、つまり僕の両親と義理の両親が、出迎えてくれたんです。家族みんなで、ローマンを、そして、私たちを歓迎してくれたんです。
その月の暖かい金曜日の午後、ローマンと散歩していると、おじいさんが歩み寄ってきて、「私も昔、ここで生まれたばかりの娘と立っていたんだよ。もう45歳になるけどね。あっという間だから、大切にしなさい」って言われたんです。その言葉が、胸に突き刺さりました。次の日の朝、僕は、息子をベッドに連れて行きました。妻は、まだ気持ちよさそうに眠っていました。春の太陽が、寝室の窓から差し込んできていた。僕は、目を閉じている息子を見下ろしました。息子の口元には、小さな、満足そうな笑みが浮かんでいました。その瞬間、僕は、深い感動に包まれました。「ああ、やっと辿り着いたんだ」って。そして、人生で初めて、「もう何も欲しくない」って思ったんです。
…もう、これで十分だ、って。
もっともっと、っていう欲に目が眩んで、目の前にある美しいものを見失わないでください。
僕の名前、サヒルの意味は、「旅の終わり」です。この本は、僕にとって、最初の旅の終わりを意味します。壊れたスコアボードを捨てて、新しいスコアボードを中心に人生を築いたからこそ、辿り着くことができた、最初の旅の終わりです。この本では、あなたにも、それができるように、その方法を、お伝えしていきます。
これは、人生を変える旅です。楽しんでいただけたら嬉しいです。