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ええと、みなさん、こんにちは。今日はちょっとね、人生とか幸福について、まあ、僕が考えてることをつらつらと話してみようかなと思います。
よくね、嫉妬は幸福の敵だって言いますよね。本当にそうだなあって思うんですよ。そもそも、人生ってそんなに難しくないんじゃないかな、って思うんです。むしろ、自分たちで難しくしてるんじゃないかなって。で、僕が日頃から心がけているのは、「~すべき」っていう言葉をできるだけ頭から追い出すことなんです。
「~すべき」って言葉が頭に浮かんだ時、その裏には必ず罪悪感とか、社会的な規範っていうものが隠れてるんですよね。何かを「~すべき」だからやる、っていうのは、本当は心の中でやりたくないことなんです。で、自分の心に逆らうと、すごく苦しくなる。だから、できるだけ「~すべき」っていうことを減らすようにしてるんです。
心の平和の敵って、結局のところ、社会とか他人から植え付けられた期待なんですよね。社会は「もっと運動すべきだ」とか、「もっとおしゃれをすべきだ」とか言う。これは、他人と競い合うゲームで、僕らの出来栄えは他人によって評価されます。それから、「もっとお金を稼ぐべきだ」とか、「もっと大きな家を買うべきだ」とかも言われますよね。これもまた、外的な多人数の競争ゲームで、参加者は他人から評価されます。
でも、幸福感を得るための訓練って、完全に内的なもので、外部の評価とか、誰かの承認って必要ないんですよね。自分自身との競争なんです。これは、完全に一人でやるゲーム。
人間って、ミツバチとかアリと同じように、社会的な生き物じゃないですか。だから、ある程度の社会ルールに従うし、社会からのフィードバックに左右される。その結果、僕らは、この一人でやるゲームの遊び方とか、勝ち方っていうのを知らなくなっちゃったんじゃないかなって思うんですよね。完全に多人数の競争ゲームに没頭しちゃってる。
でもね、現実は、人生は一人でやるゲームなんです。人は一人で生まれて、一人で死ぬ。そして、この世のすべてを一人で解釈する。自分の記憶は自分だけのもの。生まれる前は誰も気にしてないし、死んだ後も誰も気にしてない。この世に存在する数十年間って、本当に短い時間で、それはもう、完全に一人でやるゲームなんです。
ヨガとか瞑想がなかなか続けられない大きな理由の一つって、もしかしたら、それが内面的なことだけで、外的な価値がない、純粋な一人ゲームだからかもしれないですよね。
ウォーレン・バフェットが、こんな質問をしたことがあるんです。「世間から見て最低だけど、自分自身が最高だと思う恋人になりたいか、それとも、世間から見て最高だけど、自分自身が最低だと思う恋人になりたいか」。これは、内的な評価基準と外的な評価基準の存在を示唆する良い例ですよね。
この質問は、すべての本当の評価基準は内にある、という点を完全に捉えていると思います。
嫉妬って、本当に克服するのが難しい感情ですよね。僕も若い頃は、すごく嫉妬深かったんです。でも、経験を積むにつれて、徐々に嫉妬心を克服する方法を学んできたつもりです。もちろん、今でも時々、嫉妬心が湧き上がってくることはありますけどね。
嫉妬って、結局のところ、自分の生活を改善するわけでもなく、ただただ不幸になるだけじゃないですか。そして、嫉妬している相手は、相変わらず成功しているし、美しいし、あなたが嫉妬しているものを持っている。
ある日、僕は気づいたんです。僕が他人を嫉妬しているのは、彼らの特定の側面だけで、僕は自分が嫉妬しているそれだけのものを手に入れることはできないんだ、って。僕は、その人の体型とか、富とか、性格だけを欲しいわけじゃない。もし人生を交換するなら、相手の反応とか、欲望とか、家族とか、幸福感とか、人生観とか、自己イメージとか、その人の人生すべてを受け入れなければならない。それを受け入れられますか?もし、100%の交換を望まないなら、嫉妬する意味なんてないんです。
このことに気づいた時、嫉妬心は一瞬で消えました。なぜなら、僕は他の誰にもなりたくないからです。僕は、自分が自分であることが嬉しい。ちなみに、「自分らしくいることが嬉しい」っていうことさえも、自分のコントロール下にあるんです。ただ、社会はそれに対して、何の報酬も与えてくれないんですよね。まあ、そんなもんだってことですよね。