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えーと、本の始まりはね、26世紀前のミレトスまで遡るんだよね。量子重力の本なのに、なんでそんな昔の、人とか考え方から始めるの?って思う人もいるかもしれないけど、まあちょっと待ってほしいな。こういう考え方のルーツから話した方が理解しやすいんだよね。世界の理解にすごく大事な考え方って、実は2000年以上前に生まれてるんだよ。その起源をざっと辿るだけで、考え方がクリアになるし、その後の発展も理解しやすくなる、っていうか、自然に頭に入ってくるんだよね。
それにさ、昔からある問題って、今でも世界の理解にすごく重要だったりするんだよね。例えば、空間の構造について、最近の考え方が昔の概念とか問題からヒントを得てたりするんだ。昔の考え方を紹介するときには、量子重力にとってすごく重要な問題点も指摘していくつもりだよ。だから、量子重力を語る上で、2つの視点があるって言えるかな。一つは、あまり知られてないけど、科学思想のルーツまで遡れる考え方。もう一つは、完全に新しい考え方。古代の科学者が提起した問題と、アインシュタインとか量子重力が与えた答えとのつながりっていうのは、本当に驚くほど密接なんだよね。
でね、そもそも、紀元前450年ごろに、ある人がミレトスからアブデラへ船旅に出たっていう話があるんだ。これがね、知識の歴史から見ると、結構重要な旅なんだよね。
その人は、多分ミレトスの政治的な混乱から逃げ出したかったんじゃないかな。当時、ミレトスでは特権階級が暴力的に政権を奪い合ってたんだよね。ミレトスは、昔はすごく栄えたギリシャの都市で、多分アテネとかスパルタの黄金時代よりも前に、ギリシャで一番重要な都市だったんじゃないかな。貿易の中心地として栄えてて、黒海からエジプトまで、100近い集落とか貿易村を支配してたんだ。メソポタミアからのキャラバンとか地中海の船がミレトスに集まって、いろんな考え方が広まったんだよね。
(図1.1 原子論の創始者、ミレトスのレウキッポスの旅(紀元前450年頃))
その前の世紀に、人類にとってすごく重要な思想革命がミレトスで起きたんだよね。アナクシマンドロスっていう、世界に対する問いかけ方とか答えの探し方を根本的に変えた思想家がいたんだ。
昔から、っていうか、少なくとも文字で記録が残るようになってから、人類はずっと、世界はどうやってできたんだろう?何でできてるんだろう?なんでこんな秩序があるんだろう?自然現象はどうして起こるんだろう?って自問自答してきたんだよね。でも、何千年もの間、似たような答えしか出てこなかったんだ。それは精巧な物語っていうか、妖精とか神様とか、想像上の生き物とか、そういうもので説明する話。楔形文字から古代中国の漢字、ピラミッドの象形文字からスー族の神話、古代インドの文献から聖書、アフリカの伝説からオーストラリアの先住民の物語まで…どれも面白そうなんだけど、根本的には結構単調なんだよね。例えば、羽毛を持つ蛇の神様とか、インドの聖なる牛とか、気難しかったり優しかったりする神様が、地獄で息を吸って「光あれ」って言って世界を作ったり、石の卵から世界を誕生させたりするっていう話とかね。
でも紀元前5世紀初頭のミレトスで、タレスとか、その弟子の、アナクシマンドロス、ヘカタイオス、っていう人たちが、答えを探すための、全く新しい方法を見つけたんだよね。この重要な思想革命は、知識とか理解の新しいモデルを開拓して、科学的な思考の、最初の曙光になったんだ。
ミレトスの人たちは、観察と推論を柔軟に使いこなすことによって、空想とか、古い神話とか、宗教に答えを求めるんじゃなくて、批判的な思考を鋭く働かせることによって、世界の捉え方を常に修正して、一般的な考え方の裏に隠された真実を見つけ出すことができて、新しい発見ができるってことに気づいたんだ。
たぶん、もっと決定的なのは、新しい考え方を見つけたことなんだよね。それは、弟子は師匠の考え方をただ受け入れるんじゃなくて、自由に発展させて、改善が必要なところは批判したり、捨てたりしてもいい、っていう考え方。学派に完全に依存することと、その考え方に真っ向から反対することの中間にある、新しい道なんだよね。これは、哲学とか科学思想の発展にとってすごく重要だったんだ。この瞬間から、知識は目まぐるしいスピードで増え始めた。それは過去の知識のおかげでもあるけど、それよりも、批判を通して知識を改善したり、理解を深めたりできるようになったからなんだよね。ヘカタイオスの歴史書は、書き出しからすごいんだ。「私は、自分にとって正しいと思うことを書く。なぜなら、ギリシャ人の記述は矛盾と荒唐無稽に満ちているからだ」って言うんだ。批判的な思考の中核を突いてるし、僕らがどれだけ簡単に間違えるかってことも認識してるんだよね。
伝説によると、ヘラクレスはテナイロン岬から冥界に降りて行ったらしいんだけど、ヘカタイオスは実際にテナイロン岬に行って、冥界に通じる地下通路とかがないことを確認したんだ。それで、この伝説は嘘だって判断したんだよね。これは、新しい時代の到来を告げる出来事だったんだ。
知識を獲得する新しい方法って、効果てきめんだったんだよね。ほんの数年で、アナクシマンドロスは、地球が空中に浮かんでいて、空は地球の下に広がっていること、雨は地表の水が蒸発してできること、世界の物質は、シンプルな統一的な要素で理解できること(それを「アペイロン(無限のもの)」って呼んだんだ)、動物や植物は進化して環境の変化に適応すること、人間も他の動物から進化したに違いないこと、に気づいたんだ。こうして、世界を理解するための基本的な文法っていうのが、少しずつ構築されていったんだよね。そして、それは今でも、大体通用するんだ。
ミレトスは、新興のギリシャ文明と、古代メソポタミアとかエジプト帝国の結びつきの場所にあって、後者の知識に触れることができたし、ギリシャ式の政治的な自由にも浸ってたんだ。社会には王族とか強力な祭司階級が存在しなくて、市民は市場で自由に自分たちの運命について議論できたんだよね。ミレトスは、人々が法律を共同で制定できる最初の場所になったんだ。世界史で初めて、イオニア代表団の集会であるパニオニオンっていう会議が開かれたんだよね。それと同時に、神様だけが世界の謎を解き明かせるのか?っていう疑問が初めて抱かれるようになったんだ。議論を通して、団体にとって一番いい決定ができる。議論を通して、世界を理解することが可能になる。これがミレトスの貴重な遺産なんだよね。哲学、自然科学、地理学、歴史学の揺籃なんだ。地中海から現代までの、科学とか哲学の伝統は、紀元前6世紀のミレトスの思想家の思索の中に、重要なルーツを見つけられる、って言っても過言じゃないと思うな。
でも、輝かしいミレトスは、その後すぐに悲劇的な滅亡を迎えるんだ。紀元前494年、ペルシャ帝国が侵攻して、抵抗の戦いは失敗に終わり、都市は無慈悲に破壊されて、多くの住民が奴隷にされたんだよね。アテネでは、詩人のフリュニコスが悲劇『ミレトスの陥落』を書いて、アテネの人々を深く感動させたんだけど、あまりにも悲しみを呼び起こすから、上演が禁止されたんだ。でも20年後、ギリシャ人はペルシャの侵略者を撃退して、ミレトスは復活して、人々は再びそこに集まって、商業とか理念の中心地として、思想とか精神を再び広めたんだ。
この章の冒頭で話した人物は、きっとこの精神に心を動かされたんだよね。伝説によると、紀元前450年に、ミレトスからアブデラに向けて出発したんだ。彼の名前はレウキッポス。彼の生涯については、ほとんど知られてないんだよね。彼は『宇宙論』っていう本を書いたんだけど、アブデラに着くとすぐに、科学と哲学を教える学校を作ったんだ。そしてすぐに、デモクリトスっていう、後の思想に大きな影響を与えることになる若い弟子を迎えるんだ。
この2人の思想家が、古典原子論の壮大な建物を共同で建設したんだよね。先生はレウキッポスで、デモクリトスは偉大な弟子として、知識のあらゆる分野で多くの著作を書いたから、人々は彼のことをすごく尊敬したんだ。セネカは彼のことを「最も賢い古代人」って呼んだし、キケロは「彼の偉大さは、才能だけではなく、精神にもある。誰が彼に匹敵するだろうか?」って言ったんだよね。
(図1.2 アブデラのデモクリトス)
レウキッポスとデモクリトスは、何を発見したんだろう?ミレトスの人たちは、理性で世界を理解できるってことを知ってて、多様な自然現象は、シンプルな何かに帰着できるって信じて、そのシンプルなものが何なのかを解明しようとしたんだよね。彼らは、万物の構成要素となる基本的な物質を想定したんだ。ミレトス学派のアナクシメネスは、その物質は凝縮したり拡散したりすることで、世界を構成する元素から別の元素に変化する、と考えたんだ。これは、物理学の萌芽だよね。粗削りで原始的だけど、方向性は正しかった。今必要なのは、偉大なアイデアと、世界を理解するための、もっと広い視野。レウキッポスとデモクリトスが、そのアイデアを提示したんだ。
デモクリトスの体系の理念は、すごくシンプルなんだ。宇宙全体は無限の空間で構成されてて、その中に無数の原子が運動してるっていうんだ。空間には限界がなくて、上下も、中心も、境界もない。原子には、形以外の特性はない。重さも、色も、味もない。「甘いとか苦いとか、熱いとか冷たいとか、色とかも、ただの慣習にすぎない。実際にあるのは、原子と虚空だけだ」って言うんだよね。
原子は分割できない。それは、分割できない、存在の基本的な粒子で、万物は原子で構成されてるんだ。原子は空間を自由に移動して、互いに衝突する。互いに繋がり合ったり、引き合ったり、押し合ったりする。似た原子は、互いに引き付け合うんだ。
これが、世界の構成要素であり、現実なんだ。その他のものはすべて、原子の運動とか結合の副産物にすぎず、ランダムで偶然に過ぎないんだ。世界を構成する無限の物質は、原子の結合から生まれるんだ。
原子が集まるときに、基本的なレベルで現れるのは、形、配列、結合の順序だけなんだ。アルファベットを異なる方法で並べ替えて、喜劇とか悲劇とか、不条理劇とか叙事詩とかを作り出すように、基本的な原子も、配列とか組み合わせによって、世界を無限に変化させることができるんだ。デモクリトスは、そういう比喩を使ったんだよね。
この永遠の原子のダンスは、終わりも、目的もない。僕らも、自然界の他の部分と同じように、この終わりのないダンスの、たくさんの副産物の一つに過ぎなくて、偶然の組み合わせから生まれたんだ。自然は、常に形とか構造を試してる。僕らも動物も、太古の昔から、ランダムに、偶然に生まれた産物なんだ。僕らの生命は原子の組み合わせであり、思考はより疎な原子で構成されてて、夢も原子の産物なんだ。希望とか感情は、原子の組み合わせで書かれた言語。僕らが見る映像を可能にする可視光線も、原子で構成されてる。海も、都市も、星も、全部原子でできてるんだ。この視野は、すごく広くて、信じられないくらいシンプルで、ものすごい威力を持ってて、文明の知識は、今後すべて、この上に構築されていくことになるんだよね。
これを土台にして、デモクリトスはたくさんの著作を書いて、物理学、哲学、倫理学、政治学、宇宙論の問題を扱った巨大な体系を説明したんだ。言語の本質とか、宗教とか、人類社会の起源とかについて論じたし、彼の『小宇宙論』の冒頭は印象的で、「この作品ですべてを考察する」って書いてあるんだ。でも、これらの作品は全部失われてしまって、他の古代の作家の引用とか、彼らの理念の要約を通してしか、デモクリトスの思想を知ることができないんだ。彼の思想は、強い人道主義、合理主義、唯物論を示してるんだよね。神話体系の残骸を取り除いたデモクリトスは、簡潔明瞭な自然主義に触発されて、自然を熱心に見つめて、人道に関心を抱いて、生命に対する深い道徳的な配慮を持っていたんだ。これは、18世紀の啓蒙運動で似たような考え方が現れる、約2000年も前のことなんだよね。デモクリトスの道徳的な理想は、節制とバランスを通して、理性への信頼を通して、感情に左右されないようにして、心の平安を達成することなんだ。
プラトンとアリストテレスは、デモクリトスの考え方をよく知ってて、反対したんだよね。彼らは、別の考え方を持ってて、その後、知識の成長を妨げることになった考え方もあった。彼らは、デモクリトスの自然主義的な説明を断固として拒否して、目的論的な観点から世界を理解することを支持したんだ。つまり、何かが起こるには、目的がある、って信じてたんだよね。このような考え方で自然を理解するのは、すごく誤解を招くんだ。善悪の目的論で考えるっていうことは、人間の問題を自然界の問題と混同することになるからね。
アリストテレスは、デモクリトスの考え方を敬意を払いながら詳しく議論したんだけど、プラトンはデモクリトスのことを一度も引用しなかったんだ。今の学者は、プラトンがデモクリトスの作品を知らなかったからじゃなくて、意図的にそうしたんだと考えてるんだよね。デモクリトスの考え方に対する批判は、プラトンの文章の中では、すごく間接的なんだ。まるで、彼が物理学者を批判しているようにね。『パイドン』の中で、プラトンはソクラテスの口を借りて、すべての物理学者に対する批判を説明したんだけど、これは後世に永続的な影響を与えたんだ。彼は、物理学者が地球を丸いものとして説明することに不満を抱いてて、その理由は、丸い形が地球にとってどんな良いことがあるのか、思いつかなかったからなんだよね。プラトンの描くソクラテスは、最初は物理学に期待してたけど、最終的に幻滅した経緯を語ってるんだ。
「彼には、地球が平らなのか丸いのかを教えてほしいと思った。その後、地球がなぜ平らなのか、丸いのか、どんな必要があるのかを説明してほしいと思った。彼は、それがどこが良いのか、なぜ地球が今の形であるのが一番良いのかを教えてくれなければならない。もし彼が、地球は宇宙の中心だと言うなら、なぜ地球が中心にあるのが一番良いのかを言わなければならない」
偉大なプラトンは、完全に方向を見失ってしまったんだね!
分割に限界はあるのか?
20世紀後半で最も偉大な物理学者、リチャード・ファインマンは、彼の物理学の講義の冒頭でこう書いたんだ。
「もし何か大災害があって、すべての科学知識が失われて、次の世代に一言だけ伝えられるとしたら、どうすれば一番少ない言葉で一番多くの情報を伝えられるだろうか?私は、その一言は原子仮説(あるいは原子の事実でもいい)になると思う。すべての物体は、原子で構成されている。原子は小さな粒子で、常に動き続けている。少し離れている時は互いに引き付け合い、近づきすぎると反発し合う。少し考えてみると、この一言には世界に関する大量の情報が含まれていることがわかるだろう」
現代物理学の知識がなくても、デモクリトスは、万物は分割できない粒子で構成されてるっていう結論に達したんだよね。彼は、どうやってそれをやったんだろう?
彼の論証は、観察から生まれたんだ。例えば、彼は、車輪が摩耗したり、洗濯物が乾いたりするのは、木や水の粒子がゆっくりと飛び去るからだって考えたんだよね。それに、哲学的は論拠もあった。これは量子重力にも応用できるから、詳しく見ていこう。
デモクリトスは、物質は連続した全体ではありえない、って発見したんだ。「物質は連続した全体だ」っていう命題には矛盾が含まれているからね。アリストテレスの言葉を借りて、デモクリトスの推論を見てみよう。デモクリトスは、もし物質が無限に分割可能なら、それは何度も分割できるっていうことだ、って言ったんだ。もし物質を無限に分割したら、何が残るだろうか?
次元を持つ小さな粒子が残るだろうか?そうじゃないよね。もしそうなら、物質は無限に分割されたことにならないから。だから、次元を持たない点が残るだけだ。でも、これらの点を集めてみよう。次元を持たない点を2つ集めても、次元を持つものは得られない。3つでも4つでも同じだ。点をいくら集めても、次元を得ることはできない。点自体に次元がないからね。だから、物質は次元を持たない点から構成されることはありえない、って考えられる。なぜなら、点をいくら集めても、次元を持つものは得られないからね。デモクリトスは、唯一の可能性として、すべての物質は有限の数の、不連続な物質で構成されてて、分割できなくて、有限の大きさを持つもの、つまり原子、でできている、って推論したんだ。
この繊細な論証のパターンは、デモクリトスよりも前に生まれたものなんだ。それは、イタリア南部のチレント地方、現在ヴェリアと呼ばれる小さな町から生まれたんだ。紀元前5世紀、そこはエレアと呼ばれてて、ギリシャ人が集まって栄えていたんだ。パルメニデスはそこで生活してて、哲学者として、ミレトスの合理主義とか、そこから生まれた理念を受け継いでいたんだ。つまり、理性は物事の見かけではなく、本来の姿を僕らに教えてくれる、っていうこと。パルメニデスは、純粋な理性で真実にたどり着く方法を追求して、すべての現象は幻影だと主張したんだ。そして、後に「自然科学」と呼ばれるものから遠ざかって、形而上学に向かう思考方法を徐々に明らかにしたんだよね。彼の弟子、ゼノンもエレア出身で、彼は巧妙な論証を提示して、この合理主義を証明して、現象の信憑性に強く反論したんだ。これらの論証の中で、後に「ゼノンのパラドックス」と呼ばれる一連のパラドックスがあった。これらのパラドックスは、すべての現象は真実ではなく、慣性運動の概念はばかげていると主張しようとしたんだ。
ゼノンのパラドックスの中で最も有名なのは、寓話の形で提示されたものなんだ。アキレウスがカメに挑戦して、徒競走をするんだ。カメは10メートル先からスタートする。アキレウスはカメに追いつけるだろうか?ゼノンは、厳密な論理によると、アキレウスは絶対にカメに追いつけない、って主張したんだ。カメに追いつく前に、アキレウスはまず10メートルを走らなければならない。そのためには、時間がかかる。その間に、カメは一定の距離を進む。その距離に追いつくためには、アキレウスはさらに時間が必要になる。でもその間に、カメは進み続ける。こういうことが永遠に続くんだ。だから、アキレウスはカメに追いつくためには、無限の時間が必要になる。ゼノンは、無限の時間の積み重ねは、無限の時間だ、って考えたんだ。だから、厳密な論理によると、アキレウスはカメに追いつくためには無限の時間が必要になる。僕らは、彼がカメに追いつくのを見ることは永遠にないんだ。しかし、僕らは実際にアキレウスがカメに追いつくのを見ることができるし、彼はカメを何匹も追い越すことができる。だから、僕らが見ているものは不合理で、幻影なんだ。
正直言って、これは納得し難いよね。問題はどこにあるんだろう?一つの可能性は、ゼノンが間違っている、っていうことだ。なぜなら、無限の数のものを集めても、無限大のものになるとは限らないからね。ロープを想像してみて。真ん中で切断して、さらに半分に切断して、それを無限に繰り返すと、無限の数の小さなロープができるよね。でも、この無限の数の長さの合計は有限なんだ。なぜなら、それらを繋ぎ合わせれば、最初のロープの長さにしかならないからね。だから、無限の数のロープは、有限の長さのロープになる。無限の数の、徐々に短くなる時間は、有限の時間になる。アキレウスは無限の距離を走る必要があるけど、有限の時間でそれを実行して、カメに追いつけるんだ。
パラドックスは解決したように見えるよね。解決策は、連続体っていう概念にある。どれだけ短い時間でも存在するけど、無限の時間の積み重ねは、有限の時間になる、っていうことだ。アリストテレスは、最初にこのことに直感的に気づいた人で、古代とか現代の数学は、その後これを発展させたんだ。
でも、現実の世界では、答えは本当にそうだろうか?本当に、どれだけ短いロープでも存在するんだろうか?本当に、ロープをどれだけでも分割できるんだろうか?無限小の時間って存在するんだろうか?これこそが、量子重力が向き合わなければならない問題なんだ。
伝説によると、ゼノンはレウキッポスに出会って、彼の先生になったんだ。レウキッポスは、ゼノンの謎をよく知ってて、彼は別の解決策を思いついたんだ。レウキッポスは、もしかしたら、どれだけ小さいものでも存在するわけではない、分割には下限がある、って提案したんだ。
宇宙は、連続ではなくて、離散的なんだ。もし無限小の点があるなら、次元を作り出すことはできない。デモクリトスが論証したように、アリストテレスが引用したようにね。だから、ロープは有限の数の、有限の大きさを持つ物体で構成されてるはずだ。僕らは、ロープをどれだけ切ろうと思っても切ることはできない。物質は連続的ではなくて、有限の大きさを持つ原子で構成されてるんだ。
この抽象的な論証が正しいかどうかは別として、その結論は、僕らが今日知っていることの多くを含んでいるんだよね。物質には、確かに原子構造がある。もし水滴を半分に分割したら、2つの水滴になる。この2つの水滴を、さらに分割することができる。でも、それを無限に繰り返すことはできない。ある時点まで分割すると、分子が1つだけ残って、そこで終わりになるんだ。水分子よりも小さい水滴は存在しないんだよね。
どうしてそれがわかるんだろう?僕らは何世紀にもわたって証拠を積み重ねてきて、そのほとんどは化学から得られたものなんだ。化学物質は、いくつかの元素が化合してできていて、その割合は整数で割り振られる。化学者は、物質は分子で構成されていて、ある分子は、一定の割合の原子で構成されている、という考え方を作り出したんだ。例えば水、H2Oは、水素2と酸素1で構成されてるんだよね。
でも、これらは手がかりにすぎないんだ。20世紀初頭になっても、原子仮説を信用してない科学者や哲学者がたくさんいたんだ。その中には、空間の概念でアインシュタインに重要な影響を与えた、有名な物理学者、哲学者エルンスト・マッハもいた。ルートヴィヒ・ボルツマンがウィーンの王立科学アカデミーで講演をしていると、終盤にマッハが公然と「私は原子の存在を信じない!」って言ったんだよね。これは1897年のこと。マッハのような科学者は、化学記号は化学反応の法則をまとめるための便利な方法にすぎない、って考えてて、水素原子2つと酸素原子1つから構成される水分子が実際に存在するという証拠だとは考えていなかったんだ。彼らは、原子は見えない、永遠に見ることはできない、って言うだろうね。そして、原子はどれくらいの大きさなんだろう?って問うだろうね。デモクリトスは原子の大きさを測ったことはないんだから…
でも、誰かがそれをやったんだ。「原子仮説」の確実な証拠は、1905年になって、25歳の反抗的な若者によって発見されたんだ。彼は物理学を研究してたけど、科学者の職を得ることができなくて、ベルンにある特許庁で、雇われ職員として生活していたんだよね。この本の後半では、この若者について、彼が当時最も権威のあった物理学雑誌、『物理学年報』に送った3つの論文についてたくさん語るつもりだ。その論文の1つに、原子の存在の決定的な証拠が含まれてて、原子の大きさも計算されてて、レウキッポスとデモクリトスが23世紀前に提起した問題が解決されたんだ。
この25歳の若者の名前は、皆さんご存知の通り、アルベルト・アインシュタインだ。
彼は、どうやってそれをやったんだろう?彼のアイデアは驚くほどシンプルで、デモクリトスの時代から、誰でもできたことなんだ。アインシュタインのように賢くて、数学を使って、難しくない計算を巧みにこなせる人ならね。彼のアイデアは、こうなんだ。もし僕らが、空気中とか液体中に漂っている埃とか花粉のような、すごく小さな粒子を注意深く観察すると、それらが振動したり跳ねたりしてるのを見ることができる。振動によって、粒子はランダムに動き回って、ゆっくりと漂って、徐々に元の位置から離れていく。液体中の粒子の動きは、生物学者のロバート・ブラウンによってブラウン運動って呼ばれてて、彼は19世紀にこの現象を詳しく記述したんだ。粒子の典型的な軌跡は、図1.4のようになっている。粒子は、ランダムにあらゆる方向に妨害されてるように見えるんだ。実際、「~のように見える」んじゃなくて、本当に妨害されてるんだよね。粒子の振動は、空気分子が妨害してるからなんだ。空気分子が左右にぶつかって、粒子と衝突するんだ。
(図1.3 アルベルト・アインシュタイン)
(図1.4 典型的なブラウン運動)
巧妙なのはここから。空気中には大量の気体分子が存在してて、左から微粒子に衝突する分子の数と、右から衝突する分子の数は、ほぼ同じなんだ。もし気体分子が無限に小さくて、無限にたくさんあるなら、左右から衝突する作用は均衡して、それぞれの瞬間で互いに打ち消しあって、微粒子は移動しない。でも、分子の大きさは有限で、数も有限なんだ。無限じゃないから、変動が起きるんだよね。これがキーワード。つまり、衝突は完全に打ち消し合うことはなくて、ほとんど打ち消し合うだけなんだ。ある瞬間に、分子の数が有限で、体積が大きいと、微粒子はランダムに、すごく目立つ衝突を受けると想像してみて。少しの間左から来て、少しの間右から来る。2回の衝突の間で、サッカーボールのように、大きく動き回る。一方、分子が小さければ小さいほど、2回の衝突の間隔は短くなって、異なる方向からの衝突は、より簡単に均衡して互いに打ち消し合う。そして、微粒子は移動しなくなる。
少しの数学知識を使えば、このことを計算できる。観察可能な微粒子の運動から、分子の大きさを推測できるんだ。前に言ったように、アインシュタインは25歳の時にそれをやった。液体中に漂う微粒子を観察して、「漂流」がどれくらいあるか、つまり、ある位置からどれだけ移動するかを測定して、デモクリトスの原子の大きさ、物質を構成する基本的な微粒子の大きさを計算したんだ。2300年後に、彼はデモクリトスの洞察を証明したんだ。つまり、物質は微粒子でできている、ってことだ。
物性論
世界が滅びる時にのみ、ルクレティウスの詩は消滅する。
— オウィディウス
僕はいつも、デモクリトスのすべての作品が失われたことは、古典文明が崩壊する中で最も悲痛な思想的悲劇だ、って思ってるんだ。脚注で彼の作品のリストを見てみて。古代の科学的な思考があれほど広大だったのに、それを失ってしまったことを想像すると、落胆しないではいられないよね。
アリストテレスの作品はすべて保存されて、西洋思想はデモクリトスではなく、アリストテレスの作品に基づいて再構築されたんだ。もしかしたら、もしデモクリトスの作品がすべて残ってて、アリストテレスの作品がすべて失われていたら、西洋文明の思想史は、もっと良いものになっていたかもしれない…
でも、一神教が支配した数世紀の間は、デモクリトスの自然主義は生き残ることができなかったんだ。390年、テオドシウス1世は、キリスト教を唯一の合法的な宗教とする法令を公布して、異教徒を残酷に弾圧した。アテネとアレクサンドリアの古代の学校は閉鎖されて、キリスト教の教義と一致しないすべてのテキストは破棄された。魂の不滅とか、第一原因の存在を信じる異教徒、例えばプラトンとかアリストテレスは、キリスト教徒に受け入れられたけど、デモクリトスはそうじゃなかったんだ。
しかし、1つの作品が災難を逃れて、完全に生き残ったんだよね。そのおかげで、僕らは古典原子論を少し知ることができたし、重要なのは、その科学精神を知ることができた、ってことなんだ。その作品とは、古代ローマの詩人ルクレティウスの壮大な詩、『物の本質について』なんだ。
ルクレティウスは、エピクロス哲学を受け継いだんだ。エピクロスは、デモクリトスの弟子の弟子だった。科学的な問題よりも、エピクロスは倫理学に興味があったんだよね。彼は、デモクリトスの深さに達することはできなかったし、デモクリトスの原子論を、少し浅く説明することもあったけど、自然世界に対する彼の考え方は、アブデラの偉大な哲学者の考え方と大体同じだったんだ。ルクレティウスは、エピクロスとデモクリトスの原子論を詩で表現したんだ。そのおかげで、とても奥深い哲学が、暗黒時代の思想的な大惨事から生き残ることができたんだよね。ルクレティウスは、自然の原子、海、空を称賛した。彼は、哲学的な問題、科学的な視点、繊細な論証を、知的な詩句で表現したんだ。
「…私はまた、自然という舵取りが太陽の運行と月の旅を導く力とは何かを明らかにします。それは、私たちが、それらが自由意志によって軌道上を毎年回っているのだと思わないようにするためであり…あるいは、私たちが、それらが神々の取り決めによって運行しているのだと思わないようにするためでもあります。」
詩の美しさは、原子論の壮大な視野の中にある、奇跡に対する認識にある。つまり、万物は深く一体化しているという認識だ。僕らも星も海も、同じ物質で構成されているってことを知っているからね。
「私たちは皆、同じ種から生まれ、同じ父を持ち、母のように私たちを育む大地から生まれた。清らかな雨粒を受け、明るい麦穂を産み、緑豊かな木々を産み、人間も、あらゆる野獣も産み、食物を供給し、生物を養い、幸福な生活を送り、子孫を繁栄させて…」
この詩は、心を落ち着かせてくれるよね。それは、僕らに難しいことを要求して、僕らを罰する気まぐれな神様は存在しない、って理解することから来るんだ。ルクレティウスにとって、宗教は無知であり、理性こそが光をもたらす松明なんだ。
ルクレティウスの作品は、何世紀も忘れ去られていたんだけど、人文主義者のポッジョ・ブラッチョリーニによって、1417年1月、ドイツの修道院の図書館で発見されたんだ。ポッジョは、多くの教皇の秘書を務めていて、フランチェスコ・ペトラルカの有名な再発見に倣って、古代の書物を熱心に収集したんだ。彼が発見したクインティリアヌスの論文は、ヨーロッパ全体の大学の法学コースを改善した。彼が発見したウィトルウィウスの建築学の専門書は、建物の設計と建設の方法を改善した。でも、彼の最大の功績は、ルクレティウスを再発見したことにあるんだよね。ポッジョが発見した古代写本はすでに失われているんだけど、彼の友人ニッコロ・ニッコリが作った複製は、フィレンツェのラウレンツィアーナ図書館に完全に保存されている。
ポッジョがルクレティウスの本を人々の目に触れさせた時、新しいものを受け入れる土壌はすでに形成されていたんだよね。ダンテの時代から、すでに明らかに異質な声が聞こえていたんだ。
「あなたの瞳が私の心を射抜き、眠っていた私の思考を呼び覚ます。見てください、私の生活をバラバラにする愛を、私はとても絶望して狂っている」
『物の本質について』の再発見は、イタリアとヨーロッパのルネサンスに大きな影響を与えて、直接的にも間接的にも、ガリレオからケプラー、ベーコンからマキャベリまで、多くの作家の著作に反映されたんだ。ポッジョが『物の本質について』を発見してから1世紀後、原子はシェイクスピアの劇にも登場したんだ。
マキューシオ:「ああ、わたしには妖精の女王マブが見える。彼女は妖精たちの産婆だ。彼女の体は、郡吏の指にある瑪瑙の指輪よりも小さい。蟻ほどの小さな馬が、彼女の車を引いて、熟睡している人たちの鼻梁を越えていく……」
モンテーニュのエッセイには、少なくとも100箇所でルクレティウスが引用されてて、ルクレティウスの直接的な影響は、ニュートン、ドルトン、スピノザ、ダーウィン、そしてアインシュタインまで及んだんだ。液体中の微小粒子のブラウン運動が原子の存在を明らかにした、というアインシュタインのアイデアは、ルクレティウスに遡ることができるかもしれないね。ルクレティウスの言葉の中に、原子の概念を生き生きと描写している部分があるんだ。
「私がここで描写している事実について、似たような状況がしばしば私たちの目の前に現れる。見てごらん、太陽の光線が差し込んで、屋内の暗い広間を斜めに通り抜ける時、たくさんの微粒子がいろいろな方法で混ざり合っているのを見ることができるだろう。光線が照らしている空間の中で、それらはまるで永遠の戦争の中にいるかのように、絶え間なく互いに衝突し合って、一団となって角突き合って、止まることがない。時に出会い、時に離れて、押し上げられたり押し下げられたりする。この光景から、あなたは推測することができるだろう。その、より大きな虚空の中で、どんな永遠に止まらない運動があるのかを。少なくとも、小さなこと一つでも、大きな道理を示唆することができる限り、この例はあなたを知識の足跡をたどるように導いてくれるだろう。また、この理由から、あなたはこれらの物体をもっと注意深く観察しなければならない。それらは太陽の下で踊り、互いに押し合い、これらの押し合いは、秘密で目に見えない物質の運動を、その下で、背後で示しているのに十分だ。なぜなら、ここではたくさんの微粒子が、目に見えない力によって退いてはぶつかり合い、それによって、その小さな進路を変えさせられ、後退させられたり、再び戻ってきたり、時にこちらに、時にあちらにと、四方八方に飛び散っているのを見ることができるだろう。知っておくべきことは、それらすべての