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えーっと、今日は瞑想と精神力っていうテーマでお話してみようかな。
あのね、感情って、ほら、生物が進化する過程で生まれたものじゃないですか。だから、今の出来事が将来にどんな影響を与えるか、それを予測する役割があるんですよね。でも、現代社会って環境が全然違うから、感情の反応が誇張されちゃったり、間違ってたりすることも、まあ、よくあることだと思うんですよ。
で、なんで瞑想の力ってそんなにすごいんだろうって話なんですけど、人間の体って、周りにある神経系が、自律神経系と随意神経系っていう二つの部分に分かれてるんですね。この二つって、ちょっとだけ重なってる部分があって、呼吸がまさにそうなんです。呼吸って、意識しなくても勝手にやってるけど、脳で意識的にコントロールすることもできるじゃないですか。
多くの瞑想の練習が呼吸を重視してるのは、呼吸が自律神経系への入り口だからなんですね。医学とか精神的な文献にも、自分で体の機能を深くコントロールできる人がいるっていう例がたくさん載ってるんですよ。本来は無意識に動くはずの機能を、自分でコントロールするっていう。
人の思考の力って、本当にすごいんですよ。前頭前野から菱脳っていうところに信号が送られて、そこから全身に資源が分配されるわけです。じゃあ、このプロセスってどうやって調整されてるの?何か特別なことってあるの?って話ですよね。
実は、呼吸をすることで、この資源の配分をうまく調整できるんです。リラックスした呼吸をすると、体は「今は安全な状態だよ」って認識するんです。そうすると、前頭前野が必要とする資源が普段より少なくなるんですね。余ったエネルギーは菱脳に送られて、そこから体の他の部分に再分配される、みたいなイメージです。
だからって、菱脳を活性化するだけでどんな病気にも勝てるってわけじゃないんですよ。そうじゃなくて、普段、外の環境に気を配るために使ってるエネルギーを、免疫システムに回せるようにするっていうことなんです。それで、体の機能が全体的に向上するっていう。
あのね、ぜひ皆さんに聞いてほしいポッドキャストがあるんですよ。ティム・フェリスとヴィム・ホフっていう人が一緒に録音したやつなんですけど。ヴィム・ホフって、本当に奇跡みたいな人なんですよ。別名「アイスマン」って呼ばれてて、氷水に浸かる時間とか、氷水の中を泳ぐ時間とかで、世界記録をたくさん持ってるんです。彼から本当にたくさんの刺激を受けたんです。超人的な体力的な偉業を成し遂げてるってだけじゃなくて、性格がものすごく穏やかで楽観的なんですよね。それって、なかなかできないことじゃないですか。
彼は低温に触れることを推奨してるんですよ。なぜかっていうと、人間は自然から離れすぎてるって考えてるからなんです。お腹が空いたらすぐ食べるし、寒くなったらすぐ服を着るし、常に暖かい状態にいようとするから、体が寒さを忘れちゃってるんですね。でも、寒さって僕たちにとってすごく大事で、免疫システムを活性化してくれるんです。
だから、彼は長い時間氷水に浸かることを勧めてるんです。僕はインド亜大陸で育ったから、氷水に浸かるなんて、もう、考えられなかったんですよ。でも、ヴィムに触発されて、水風呂を試してみることにしたんです。そしたらね、ヴィム・ホフ呼吸法っていうのを使うことで、それができるようになったんです。この呼吸法は、強めの呼吸を繰り返して、血液の中に酸素をたくさん取り込んで、体の中心部の温度を上げるっていうものなんです。体の芯が温まったら、冷たいシャワーを浴びる、みたいな。
最初の何回かは、もう、本当に滑稽でしたよ。ビクビクしながら、震えながら、シャワーの下にちょっとずつ入って、ゆっくりリラックスしていく、みたいな感じでした。水風呂を始めたのは、4、5ヶ月前かな。今はね、シャワーを全開にして、躊躇なく飛び込めるようになりましたよ。脳みそが「水がめっちゃ冷たい!」って言い始めたら、もう、絶対に入らなきゃいけないって思うんです。
この経験からすごく大事なことを学びました。僕たちの苦しみのほとんどは、逃避から来てるんだなって。冷たいシャワーの苦しみって、冷たい水にそろりそろりと入ろうとするから生まれるんですね。思い切って冷たい水の下に立ってしまえば、実は全然苦しくなくて、ただちょっと冷たいだけなんです。体が感じる冷たさと、頭の中で想像する冷たさって、全然違うんですよね。体が冷たいと感じてることを認めて、その感覚に真正面から向き合って、受け入れる。でも、それによって精神的に苦しんではいけないんです。2分間冷たいシャワーを浴びたからって死ぬわけじゃないんですから。
毎朝冷たいシャワーを浴びることで、この教訓を何度も復習できます。今は、もう、熱いシャワーは生活から排除しました。僕のニーズがまた一つ減ったってことですね。
瞑想っていうのは、思考意識の断食みたいなもんなんですよ。
糖分を取りすぎると体が太っちゃうように、邪魔な情報が多すぎると、脳がパンクしちゃうんです。
だから、一人で時間を作って、集中的に内省したり、日記を書いたり、瞑想したりする。そうすることで、解決してない問題を解決したり、オーバーヒートした精神をクリアにしたりできるんです。
今、瞑想の練習ってしてますか?
瞑想って、まるでダイエットみたいで、みんなそれぞれやり方を持ってるみたいなんですよね。誰もがダイエットしてるって言うけど、実際には誰も本気でやってない、みたいな。同じように、本当に定期的に瞑想してる人って、ごくわずかだと思うんです。瞑想については、僕もいろいろ調べて、少なくとも4種類は試してみました。
僕にとって一番効果的な瞑想は、「無選択的気づき」とか「無批判的気づき」って呼ばれる瞑想法ですね。これは、日常のタスクをこなしながら、できれば自然と触れ合う機会を持ちながら、誰とも話さずに、今この瞬間に自分がいる場所を受け入れて、何も判断しないっていう練習なんです。「あそこにホームレスがいる。向こう側に渡ろう」とか、「あのランナー、体型が崩れてるな。俺の方がスタイルいいじゃん」とか、そういうことを考えないんです。
昔の僕は、髪の毛が薄い人を見ると、まず最初に「ハハハ、あの人、髪の毛が薄いな」って思ったんです。なんで他人を嘲笑することで、自分を良く見せようとするんだろう?なんで自分が髪の毛が多いって感じる必要があるんだろう?って考えたら、それは、僕自身が薄毛になり始めてて、髪の毛が全部抜け落ちてしまうんじゃないかって心配だったから、髪の毛が少ない人をからかうことで、安心感を得ようとしてたからなんですね。自分の考えの9割は恐怖に突き動かされてて、残りの1割は欲望に突き動かされてることに気づいたんです。
でも、無選択的気づきの瞑想を練習する時は、何も決めつけない。何も判断しない。ただ、すべてを受け入れるんです。散歩をしながら、それを10分から15分でもやれば、すごく穏やかで、感謝の気持ちでいっぱいになる状態になれるんです。無選択的気づきっていう瞑想法は、僕にはすごく効果がありました。
二番目の方法は、超越瞑想ですね。これは、繰り返しマントラを唱えることで、頭の中にホワイトノイズを作り出して、自分の考えを覆い隠すっていう方法です。三番目の方法は、自分の考えに常に意識を向けて、警戒を怠らないっていう方法です。自分の考えを観察することで、多くの考えが恐怖から生まれてることに気づくんですね。恐怖を認識した瞬間、恐怖感は自然と消えるんです。しばらくすると、心が落ち着いてきます。
心が落ち着いてくると、周りのすべてのことが当たり前じゃないことに気づくんです。生活の中のちょっとしたことに目を向けるようになる。「わあ、自分が住んでるところって、こんなに綺麗だったんだ。服を着られて、本当にありがたいな。いつでもスタバでコーヒーを飲めるんだ」って。周りの人を見て、「一人ひとりの頭の中に、鮮やかで豊かで、完璧な人生があるんだな」って思うんです。
日常生活では、誰もが絶え間なく自分と対話をして、自分で作り上げた物語に浸ってるけど、周りのことに意識を向けることで、そこから抜け出すことができるんです。たとえ10分間だけでも、自分がもうマズローの欲求段階の上の方にいるってことに気づいて、人生はすごく素晴らしいって思えるようになるんです。
生活のちょっとしたコツなんですけど、ベッドに横になってる時に、瞑想を試してみるといいですよ。そうすれば、深い瞑想に入るか、眠ってしまうかのどっちかになる。どっちの結果になっても、全然オッケーなんです。
僕が学んだ四番目の瞑想の方法は、ただそこに座って、目を閉じて、毎日少なくとも1時間、何が起きても受け入れるっていう方法です。何かを勝ち取ろうとしない。抵抗しない。考えが頭に浮かんでくるなら、ただ浮かんでくるに任せるんです。
人の一生には、大小様々な出来事がありますよね。いいこともあれば、悪いこともある。そのほとんどは、処理されて解決されていくけど、中には、ずっと付きまとうものもあるんです。時間が経つにつれて、そういう出来事がどんどん積み重なって、まるで蔓のように、自分を何重にも縛り付けてしまうんです。
解決されなかった苦しみ、間違い、恐怖、欲望。それが、自分の一部になって、蔓のように体中に絡み付いて、子供の頃の好奇心を奪い、今を生きる能力を奪い、心の底からの喜びを奪ってしまうんです。
じゃあ、どうすれば、この蔓を体から引き剥がせるのか?その答えが、瞑想なんです。瞑想をする時は、ただそこに座って、自分の思考と戦わない。そうすると、これらの出来事が頭の中で渦巻き始めるんです。まるで、未読のメールでいっぱいの巨大な受信箱に直面してるみたいに、それらのメールは、自分の子供時代にまで遡るんです。問題が次から次へと姿を現して、一つひとつ処理せざるを得なくなるんです。
他に選択肢はないんです。これらの問題を解決するしかない。でも、解決するために何か努力する必要はないんです。ただ静かに観察するだけでいいんです。もう大人になったあなたは、昔の出来事から距離を置いて、時間と空間を超えて、より客観的にそれらの問題を見つめて、真正面から向き合って、解決することができるんです。
そうすることで、脳の中に深く根付いてるけど、まだ解決できていない多くの問題を、少しずつ解決していくことができるんです。いつか、すべての問題が解決されて、その時に、瞑想のために座ると、脳が「受信箱は空っぽ」の状態になるんです。脳の「メールボックス」を開いた時に、メールが何もない時の感覚は、本当に素晴らしいんです。
それは、喜び、幸福、平静の状態です。一度この状態を手に入れたら、もう手放したくなくなる。もし、毎朝目を閉じて座ってるだけで、1時間の幸福が得られるなら、それはどれほど貴重なことでしょう。それは、あなたの人生を変えるはずです。
毎日朝に1時間瞑想することを勧めます。1時間よりも短い時間では、本当に深い瞑想に入ることはできません。もし、本気で瞑想を試してみたいと思ってるなら、60日間を1つのサイクルとして、毎日1時間、朝起きたらまず瞑想するっていうのを試してみてください。約60日後には、自分の心の声を聞くことに飽きてくるはずです。あなたはもう、たくさんの問題を解決したか、自分の心の声を聞き飽きたか、恐怖や問題を見抜いてるはずです。
瞑想は難しくありません。あなたがやることは、ただそこに座って、何もしないことだけなんです。ただ座って、目を閉じて、自分にこう言い聞かせるんです。「私はただ1時間、休息したいだけなんだ。これは、騒がしい生活から離れた1時間なんだ。この1時間、私は何もしない」
「もし、考えが湧き上がってきたら、ただ湧き上がってくるに任せよう。それと戦ったり、深く考えたりはしない。受け入れもしないし、拒否もしない。ただそこに座って、目を閉じて1時間、何もしない」そうすることって、そんなに難しいことですか?あなたは1時間、何もできないんですか?自分に1時間の休息を与えることが、そんなに難しいことなんですか?
何かを理解するってことを、自分でコントロールできるって気づいた瞬間って、ありますか?普遍的な問題の一つは、人は自分が出来事の理解や対応をコントロールできるってことに気づいてないことだと思うんですよね。
実はみんな知ってるんじゃないかなって思うんですよ。ある程度ね。ドラッグの魅力って、精神的なものじゃないですか。人は精神状態とか反応をコントロールしようとして、ドラッグ(アルコール、幻覚剤、大麻など)を摂取するわけです。麻痺したいからお酒を飲む人もいれば、感覚をなくしたいから薬をやる人もいる。幻覚剤を使って、今この瞬間とか現実との強いつながり、自然とのつながりを感じようとする人もいますよね。だから、ドラッグの魅力って、精神的なものなんですよ。
ある意味、社会全体が依存症みたいな症状を抱えてますよね。人は刺激的なこととか、フロー状態とか、オーガズムを追求するけど、その目的は、自分の思考から解放されること、頭の中の声から解放されること、過剰に強い自我意識から解放されることなんです。
僕の最低限の目標は、自我意識が年齢とともに発達し続けて、強化されないようにすることなんです。自我意識を弱めて、柔らかくして、今の現実生活により良く溶け込めるようにしたいんです。自然とか、この世界のありのままの姿を受け入れて、子供みたいに自由に、無邪気に、すべてを鑑賞したいんです。
そして、この目標を達成するためには、まず、自分の精神状態を観察できるってことに気づかなきゃいけないんです。瞑想は、一瞬にして、内なる状態をコントロールする超能力をあなたに与えてくれるわけじゃないんです。でも、自分の思考意識がどれだけコントロールを失ってるかに気づかせてくれるんです。思考意識は、まるで猿みたいに、部屋の中を走り回って、大声で叫んで、物を投げつけたり、糞を投げつけたり、トラブルを起こしたりする。思考意識は、完全に制御不能なんです。まるで制御不能な狂人みたいなんです。
まず、この狂人が、好き勝手に暴れ回ってるのを見なきゃいけないんです。それによって、すごく不快な気持ちになる。不快に感じてこそ、それにうんざりする。うんざりしてこそ、それと距離を置くことができる。そして、この距離を置くことこそが、解放なんです。「私は、あんな人間になりたくない。どうしてこんなに制御不能なんだ?」って気づく。そういう気づきを持つことで、心が落ち着いてくるんです。
洞察瞑想っていうのは、「デバッグモード」で脳を動かすことなんです。最終的には、自分は巨大なプログラムの子プログラムに過ぎないってことに気づくんです。
僕は意識的に自分の心の中での独り言に注目してるけど、時々、それができない時もあります。コンピュータープログラミングで例えるなら、できる限り「デバッグモード」で脳を動かすようにしてるんです。他人とコミュニケーションを取ったり、グループ活動に参加したりしてる時は、脳が処理しなきゃいけないことが多すぎるから、「デバッグモード」で動かすのはほぼ不可能なんですけど、一人でいる時はできるんです。例えば、今日の朝、歯を磨きながら、ポッドキャストを想像してたんです。ショーンが僕にいくつか質問をして、僕がどう答えるかを想像し始めたんです。そして、突然、自分が妄想にふけってることに気づいたんです。そこで僕は脳を「デバッグモード」に切り替えて、指示が一つひとつ流れていくのを見てたんです。
その時、僕はこう思ったんです。「どうして未来の計画を空想してるんだろう?どうして、ただここに立って、歯を磨くことに集中できないんだろう?」って。自分の脳が未来に向かってることに気づいたんです。自我の存在があるから、未来のシーンを空想し始めることに気づいたんです。そして、「自分が見っともない姿をさらすことを、本当に気にしてるのか?誰が気にするんだ?どうせみんな死ぬんだ。すべてがゼロに戻って、何も覚えてないんだから、すべて無意味じゃないか」って思ったんです。
それから、脳の動きを止めて、歯を磨き続けたんです。歯ブラシって、なんていいんだろう。気分がいいなってことに気づき始めたんです。次の瞬間、また別のことを考え始めてたんです。再び自分の脳を調べて、「今、この問題を解決する必要があるのか?」って自問自答しなきゃいけなかったんです。
脳が考えることの95%は、今すぐ処理する必要のないことなんです。脳は筋肉みたいなもんで、できるだけ休ませて、穏やかに保っておくのが一番なんです。特定の問題が発生した時にだけ脳を動かして、全身全霊で問題を解決するべきなんです。
今、僕たちが話してる間は、脳を「デバッグモード」で動かすことはできません。今は、私たちの会話に全身全霊を注いで、100%集中する必要がある。朝の歯磨きの仕方が正しかったかどうかを考えてる場合じゃないんです。
高度な集中力っていうのは能力なんです。この能力は、自分を解放して、今を生きる、そして幸せでいる能力と関連してる。もちろん、効率を高める能力とも関連してますよね。
注意力を高度に集中するっていうのは、自分自身を特定のフレームワークから引き離すようなものですよね。思考は維持しつつも、物事を見る視点が変化してる、みたいな。
仏教徒は、気づきと自我について議論しますよね。僕は仏教のこの考え方を、コンピューターとかギークの言葉で例えるのが好きなんです。彼らが本当に議論してるのは、脳と意識を多層的な仕組みとして捉えることができるってことなんです。この仕組みは、中核となるオペレーティングシステムを土台として、その上にアプリケーションがいくつか動作してる、みたいな。
僕は実際には、脳のオペレーティングシステムの気づきのレベルに戻ってるんです。気づきのレベルでは、僕は静かで、穏やかで、幸せで、満たされてる。自分の心猿(浮き足立ってる心)をアクティブにするんじゃなくて、気づきのモードを維持しようとしてるんです。心猿はいつもびくびくしてて、不安でいっぱいだから。もちろん、心猿には大事な価値もあるんですけど、必要な時にだけアクティブにしたいんです。動員する必要がある時は、そこに集中したい。もし、思考が毎日24時間途切れることなく動いてたら、それはエネルギーの無駄遣いだし、心猿が自分のすべてを支配してしまうことになる。心猿の状態だけじゃなくて、他の状態も持ちたいんです。
もう一つ付け加えておきたいのは、精神性、宗教(仏教を含む)、その他何でもあなたが追い求めるものは、最終的には、自分が自分の思考だけじゃない、自分の習慣だけじゃない、自分の好みだけじゃない、気づきのレベルである、肉体を持っているってことに気づかせてくれるってことなんです。現代人は、自分の体に対する認識が少なすぎるし、気づきのレベルも全然足りてない。脳の中に存在する心の独り言の中で生きすぎてるんです。そして、これらは僕たちが若い頃に社会とか環境によって作られたものなんです。
誰もが自分だけのユニークな遺伝子の組み合わせを持っています。子供の頃、あなたの遺伝子の組み合わせは、外部環境に反応して、同時に、あなたの脳は良い経験も悪い経験もすべて記録します。その後、あなたはそれらの記憶を利用して、未来の出来事を予測したり、未来を変えようと絶えず試みたりするわけです。
年齢を重ねるにつれて、あなたは膨大な偏見を蓄積していきます。これらの習慣的な反応は、最終的には制御不能な貨物列車になって、感情をコントロールしてしまうんです。感情は、無意識的な反応にコントロールされるべきじゃなくて、私たちの意識が積極的にコントロールするべきなんです。どうやって自分の感情をコントロールできるかを研究するべきなんです。もし、人が意志に従って状態を調整できるなら、それはとてもコントロールできてるってことです。「今、好奇心旺盛な状態になりたい」って思うだけで、本当に好奇心旺盛な状態になれる。または、「今、悲しい状態になりたい。愛する人を悼んで、深い哀悼の意を捧げたい。本当にそう感じたい。明日のコンピュータープログラミングの問題で気を散らされたくない」って思える。
脳自体が筋肉みたいなもので、鍛えることもできるし、調整することもできる。でも、社会の無作為な破壊とか、無作為な形成によって、脳は私たちの制御範囲外になってしまってるんです。もし、気づきと意図を持って自分の脳を調べるなら(この調査は、常に実行されるべき長期的な練習なんですけど)、自分の思考、感情、アイデア、反応を分析することができます。自己分析とか自己理解に基づいて、自分のシステムを再構築することができるんです。自分の必要に応じてプログラムを書き換えることができるんです。
瞑想っていうのは、社会のノイズを遮断して、自分の声に耳を傾けることなんです。
瞑想自体を目的として瞑想する時だけ、瞑想は「うまくいく」んです。
ハイキングは歩く瞑想です。
日記を書くことは書く瞑想です。
シャワーは予期せぬ瞑想です。
座禅は直接的な瞑想です。