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Calculating...

えー、皆さん、こんにちは。第六章、判断のメカニズムについて、ちょっとお話してみようかな、と。

1960年ね、ポール・ホフマンっていうオレゴン州立大学の心理学教授が、人間の意思決定にすごく興味を持ってて。全米科学基金会から6万ドルの資金援助を得て、教えるのやめて、自分の研究所、「行動科学基礎研究センター」っていうのを建てたんだよね。それまで、教えるの全然楽しくなかったみたいで、アカデミックなキャリアもちょっと停滞気味だったらしくて。それで、この資金で教職辞めて、ユージーン市っていう街の緑がいっぱいある場所に、ユニテリアン教会だった建物を買って、「オレゴン研究所」って名前をつけたんだって。世界で唯一、人間の行動だけを研究する私立の研究機関として、すぐいろんな人の注目を集めて、優秀な人材も集まってきたみたい。「適切な環境の中で、賢い人たちが人間の意思決定の謎を解き明かそうとしている」って、ユージーン市のメディアが報道したんだよね。

ただ、ちょっと抽象的な表現だったみたいで、オレゴン研究所の特徴は、ある意味あいまいさだったんだよね。研究所の中で心理学者が何してるか、誰もよく分からなくて、とりあえず「教授です」って言い訳しなくなった、みたいな。ポール・スロビックっていう人がミシガン大学から移ってきて、子供たちに何をして生活してるの?って聞かれた時、脳の解剖図のポスター指して、「脳に隠された謎を研究して生活してるんだよ」って答えたらしいよ。

昔から、心理学っていうのは知識のゴミ箱みたいな感じで、他の分野で扱えない問題とか、困ったことがあったら、理由はどうあれ、とりあえず心理学にポイッて投げ込まれてたんだよね。オレゴン研究所は、そのゴミ箱を大きくしたようなもんだったみたい。研究所ができたばかりの頃、ユージーン市に本社がある建設会社から仕事をもらったんだって。その会社は、マンハッタンの西地区で、ワールドトレードセンターっていう、すごく高いビルを建てるのを手伝ってたんだよね。通称「ツインタワー」って呼ばれてたんだけど、110階建てで、軽い鉄骨で作られてたんだって。設計者の山崎実っていう人は、実は高い所が苦手だったらしくて、28階以上の建物を設計するのは初めてだったんだって。ビルのオーナーはニューヨーク港湾局で、高い階ほど家賃を高くするつもりだったから、責任者のレス・ロバートソンに、高い階に住むお金持ちのお客さんが、風でビルが揺れるのを感じないようにしてほしいって頼んだんだよね。これって、工事の問題っていうより、心理的な問題だよね。99階のオフィスで仕事してて、どれくらいの時間でビルの揺れを感じるのか?っていう。それでロバートソンは、ポール・ホフマンのオレゴン研究所に相談したんだって。

ホフマンはユージーン市の別の緑が多い場所に建物を借りて、油圧式の車輪の上に部屋を作ったんだよね。スイッチを入れると、部屋が前後に揺れるんだけど、ほとんど音がしないの。まるでマンハッタンの摩天楼の最上階がそよ風に吹かれてるみたいに。で、このことは秘密に進められてたんだって。港湾局は、将来の入居者に「強風の中で揺れる生活を送る」っていうイメージを持たせたくなかったし、ホフマンは、実験に参加する人が、自分が揺れる建物の中にいるって知ったら、揺れに敏感になりすぎて、実験結果が信用できなくなるんじゃないかって心配してたんだよね。ポール・スロビックは、「どうやって人々に理由を教えずに部屋に入れるか、っていうのが一番の問題だった」って言ってたね。それで、「揺れる部屋」を作った後、ホフマンは建物の外に「オレゴン研究所視覚研究センター」っていう看板を掲げて、訪れる人全員に無料で眼科検査をするって言ったんだ。(オレゴン州立大学の心理学部の大学院生で、たまたま免許持ってる検眼医の人を助手に雇ったんだって。)

大学院生が来てくれた人の目を検査してる間、ホフマンは油圧式の車輪を動かして、部屋を前後に揺らしたんだよね。そうしたら、人が揺れる部屋にいると、何かが元の位置からずれたのをすぐに感じることが分かったんだって。その感知するスピードは、ワールドトレードセンターの設計者が思ってたよりも早かったんだって。「変な部屋だな」って言う人もいれば、「眼鏡かけてないからかな。いたずらか何か?面白いな」って言う人もいたみたい。眼科検査担当の心理学者は、毎日めまいがしながら家に帰ってたんだって。

ホフマンの発見を知ったワールドトレードセンターのエンジニアとか、設計者とか、ニューヨーク港湾局の偉い人たちが、ユージーン市に飛んで、「揺れる部屋」を体験しに来たんだよね。ホフマンの結論を信じなかったみたい。ロバートソンは後日ニューヨークタイムズのインタビューで、「10億ドルが無駄になる」って思ったって言ってたね。マンハッタンに戻ってから、ホフマンの真似をして、自分で揺れる部屋を作ったんだって。結局、摩天楼をより丈夫にするために、長さ75センチくらいの金属製のダンパーを設計して、それを11000本、それぞれの部屋に取り付けたんだって。もしかしたら、この追加された鋼材のおかげで、ツインタワーは飛行機がぶつかった後、できるだけ長く持ちこたえて、14000人の中の一部が、倒壊する前に逃げることができたのかもね。

オレゴン研究所にとって、「揺れる部屋」はほんの最初の試みに過ぎなかったんだって。そこに集まった心理学者は、ポール・ホフマンと同じように、人間の意思決定に一番興味を持ってたんだよね。それと同時に、ポール・ミールっていう人の書いた「臨床診断と統計的予測」っていう本にすごく興味を持ったんだって。この本には、心理学者が患者を診断したり、患者の行動を予測したりする時に、統計的な公式に負けてしまう例が書かれてたんだよね。ダニエルっていう人も、1950年代半ばにこの本を読んで、そのすぐ後に、新兵募集の時に、人間の判断の代わりに簡単な統計的な公式を使ったんだって。ミール本人は臨床心理学者で、自分みたいな、あるいは自分が尊敬する心理学者は、統計的な公式では表現できない微妙な洞察力を持ってると思ってたんだけど、60年代初めまでに、たくさんの研究がミールの最初の考えを否定して、人の判断力に疑問を投げかけてたんだって。

もし人の判断力が簡単な公式に及ばないとしたら、人間は深刻な問題に直面するよね。だって、専門家の判断が必要な分野のほとんどは、心理学みたいにデータが豊富じゃないから。人間の活動分野の多くは、データに基づいて公式を作って、人間の判断を置き換えることができないんだよね。現実の世界では、ほとんどの難しい問題は、医者とか、裁判官とか、投資顧問とか、政府の役人とか、入学審査官とか、映画館の支配人とか、野球のスカウトとか、人事担当者とか、いろんな分野で決断をする専門家の判断が必要になるんだよね。ホフマンとか、研究所の心理学者は、専門家が判断するプロセスを深く探求したかったんだよね。ポール・スロビックは、「私たちが特別な視点を持ってるわけじゃなくて、これは重要なテーマだと思っただけ。人々はバラバラの情報をどうやってまとめて、加工して、最終的に決断や判断をするんだろう?って」って言ってたね。

面白いのは、彼らが最初にやったのが、専門家が統計的な公式と競争して、どれだけひどい結果になるかを研究することじゃなかったことなんだよね。そうじゃなくて、専門家が判断する時に何を考えているのかを反映するモデルを作ろうとしたんだって。あるいは、1960年にスタンフォード大学からオレゴン研究所に来たルー・ゴールドバーグが言ったように、「いつ、どこで、人間の判断が最も間違いやすいかを確認するため」だったんだって。もし専門家の判断が間違ってる場所を見つけたら、専門家と統計的な公式の差を小さくできるんじゃないかって。スロビックは、「人間の判断や決定の仕組みを理解できれば、人間の判断力を改善できる可能性がある。もっと正確に予測したり、判断したりできるようになるんじゃないかって思ったんだ。当時はまだ考えがはっきりしてなかったけど」って言ってたね。

それで、ホフマンは1960年に、専門家がどうやって判断するかについて論文を発表したんだって。もちろん、直接専門家に聞くこともできるけど、それだと主観的すぎるんだよね。人は本音を言わないことが多いから。だから、ホフマンは、専門家の考え方をより正確に理解するためには、彼らが判断する時に受け取るいろんな情報(ホフマンはこれを「手がかり」って呼んでた)に基づいて、それぞれの情報がどれくらいの重みを持ってるかを推測する必要があるって言ったんだよね。例えば、イェール大学の入学審査官がどうやって学生を選んでるかを知りたいとしたら、どんな基準を考慮してるかを聞くことができるよね。普通は、成績平均点とか、個人的な成績とか、運動能力とか、卒業生とのつながりの深さとか、高校の種類とかを考えるよね。そして、入学委員会の決定状況に基づいて、価値のある情報を取り出して、彼らが選ぶ時に、これらの基準がどれくらいの重みを持ってるかを知ることができるんだよね。もし数学のレベルが高ければ、入学審査官が決定する時に、これらの基準がどうやって相互作用してるかを反映するモデルを作ることもできるんだ。(公立学校の学生に対しては、運動能力を重視するかもしれないし、私立学校のお金持ちの学生に対しては、運動能力は一番重要な要素じゃないかもしれない。)

ホフマンは数学のレベルが高かったから、このモデルを作ることができたんだって。「心理学公報」に投稿した記事のタイトルは、「臨床判断における同質異形現象」っていう難しい言葉だったんだけど、ホフマンは最初からたくさんの人に読んでもらおうとは思ってなかったみたい。これは心理学の分野で、新しく発見された小さな場所で、注目する人はあまりいないだろうって思ってたんだよね。ルー・ゴールドバーグは、「普通の生活で判断する人は、この記事を見る可能性は低い。心理学を勉強しないから、心理学の雑誌を見ないだろう」って言ってたね。

オレゴン研究所は最初、臨床心理学者を研究対象として選んだけど、その結果がどうであれ、医者とか、気象学者とか、野球のスカウトとか、いろんな職業分野の意思決定者にも当てはまるって分かってたんだよね。ポール・スロビックは、「世界で私たち15人くらいしか、この問題に取り組んでないかもしれないけど、私たちはすごく重要なことをしてるって分かってた。数字を使って、複雑で神秘的な直感的な判断の謎を解き明かそうとしてるんだ」って。60年代末までに、ホフマンと彼のチームは、いくつかの刺激的な発見をしたんだって。ルー・ゴールドバーグが二つの論文で詳しく紹介してるんだけど、1968年に「アメリカ心理学者」っていう学術雑誌に初めての論文を発表したんだよね。その中で、彼は専門家の判断が統計的な公式ほど正確じゃないことを証明する研究をいくつか挙げたんだ。「増え続ける文献から、私は一つの結論に達した」ってゴールドバーグは書いてるんだけど、「臨床判断のタスク(医者の最高の状態とか、保険数理士の最悪の状態を判断するためのタスクも含む)の多くで、基本的な精算公式は、臨床専門家の判断と同じくらい正確だ」って。

じゃあ、臨床専門家は何をしてるんだろう?今までこの問題を考えてきた人たちと同じように、ゴールドバーグも、医者が患者を診断する時、脳の中で複雑な活動をしてるに違いないって思ったんだって。そして、もし医者の思考プロセスをモデルで解釈しようとするなら、そのモデルも複雑になるはずだって考えたんだよね。例えば、コロラド大学の心理学者が、同僚たちが大学生活に適応できない学生をどうやって予測してるかを研究するために、データ分析してる時の独り言を録音して、複雑なコンピュータープログラムでその思考プロセスを再現しようとしたんだって。でも、ゴールドバーグはもっと簡単な方法を選びたかったって言ってたね。最初のケーススタディで、彼は医者が癌を診断する時にどうしてるかを研究することにしたんだって。

ゴールドバーグがそうした理由の一つは、オレゴン研究所が医者に対する研究を終えたばかりだったからなんだって。オレゴン大学で研究者は、放射線科の医者たちに「患者の胃のレントゲン写真を見て、どうやって癌かどうかを判断するんですか?」って質問したんだって。そうしたら、主に七つの指標に基づいて判断するって答えたんだよね。潰瘍の大きさ、潰瘍の境界線の形、潰瘍の深さ、とか。ホフマンと同じように、ゴールドバーグもこれらの指標を「手がかり」って呼んだんだって。明らかに、この七つの手がかりの間には、いろんな組み合わせがあるから、医者はそれぞれの組み合わせから結論を導き出さなきゃいけない。例えば、潰瘍の面積が同じでも、境界線が滑らかか、粗いかによって、全く違う結果になるかもしれない。ゴールドバーグは、専門家は自分の思考プロセスを複雑に説明しがちで、モデルで解釈するのが難しくなるって指摘したんだよね。

試みとして、オレゴン研究所の研究者たちは、すごく簡単な計算プログラムを作ったんだ。そのプログラムでは、さっきの七つの指標に同じ重みを与えて、潰瘍が良性か悪性かを判断させたんだって。次に、研究者は医者たちに、七段階のスケールで、96枚の胃潰瘍の写真を見て、どれが癌かを判断してもらったんだ。スケールの七つの選択肢は、「絶対に悪性」から「絶対に良性」まで徐々に変化してたんだよね。それぞれの潰瘍の写真を二回ずつ見せて、医者が知らないうちに、一部の写真を混ぜていたから、医者は自分が前に診断した写真だって気づかなかったんだって。研究者はコンピューターを持ってなかったから、全てのデータをパンチカードに転記して、カリフォルニア大学ロサンゼルス校に郵送して、そこの大型コンピューターで処理してもらったんだって。彼らは医者の意思決定プロセスを再現する計算プログラムを作ろうとしたんだよね。

ゴールドバーグは、この最初の試みは、ほんの始まりだと思ってたんだって。計算プログラムはもっと複雑にする必要があって、高度な数学の知識も必要だし、医者が手がかりを評価する時の微妙な反応を説明できるようにする必要があると思ってたんだ。例えば、潰瘍の面積がすごく大きい時は、他の六つの手がかりを再評価する必要があるかもしれないって。

しかし、カリフォルニア大学ロサンゼルス校がデータ分析の結果を返してきた時、オレゴン研究所の研究者はびっくりしたんだって。(ゴールドバーグの言葉を借りると、「恐ろしい結果」だったらしい。)まず、医者の診断プロセスを理解するために作った簡単なプログラムが、かなり効果的だったんだって。それは、医者の診断をすごく正確に予測できたんだよね。医者たちは自分の思考プロセスが微妙で複雑だと思ってるかもしれないけど、そのプロセスは簡単な公式で表現できるってことが分かったんだ。もちろん、医者の思考プロセスが簡単だっていうわけじゃなくて、そのプロセスが簡単な公式で反映できるだけなんだよね。さらに驚くことに、医者たちの診断結果は、お互いに違ってたんだって。それだけじゃなくて、同じ潰瘍の写真を二回見た後、矛盾した診断を下したんだって。つまり、医者たちは他人の判断と違うだけじゃなくて、自分の判断とも矛盾してたんだよね。「これらの研究結果は、臨床心理学の場合と比べて、臨床医学の診断は、一貫性が高いとは言えないことを示している。次にホームドクターにかかる時は、よく考えた方がいい」ってゴールドバーグは書いてたね。もし医者自身が診断結果に一貫性を持たせることができないなら、診断の正確性は保証されないよね。

その後、研究者たちは臨床心理学者と精神科医を対象に、同じ実験を繰り返したんだって。精神病患者が回復して退院できるかどうかを示す指標を提供してもらって、彼らの判断結果をまたグラフにまとめたんだって。そうしたら、経験が一番少ない医者(大学院生)が、どの患者が退院できるかを判断する時に、経験が一番豊富な医者(給料が高いベテラン医師)と同じくらい正確だったんだって。仕事の経験は診断の正確性(例えば、誰が自殺する傾向があるかを判断する)と関係がないみたい。「彼らがこのタスクで示した正確さは、専門的な経験の多さとは関係がなかった」ってゴールドバーグは言ってたね。

それでも、ゴールドバーグはすぐに医者を責めようとはしなかったんだ。彼は論文の最後に、問題の根本的な原因は、医者や精神科医が、自分の思考の正確性を評価したり、必要に応じて調整したりする機会が少なかったことにあるかもしれないって指摘したんだ。彼らに足りなかったのは、「即時フィードバック」だったんだって。そこで、彼とオレゴン研究所のレナード・ローラーっていう同僚は、この「即時フィードバック」を作ることにしたんだよね。彼らは医者を二つのグループに分けて、それぞれのグループに千件以上の症例を診断させたんだ。一つのグループは診断後すぐにフィードバックをもらえて、もう一つのグループはもらえなかったんだって。そうすることで、フィードバックをもらったグループが、その後の判断の正確性で向上するかどうかを確かめようとしたんだ。

でも、結果は良くなかったんだって。「今にして思えば、臨床介入の問題を研究するっていう最初の考えは、単純すぎたんだ。こういう難しいタスクを理解するには、結果のフィードバックだけじゃなくて、もっと他の情報が必要だったんだ」ってゴールドバーグは書いてたね。この点で、オレゴンの別の研究者、ゴールドバーグは誰だったか覚えてないみたいだけど、大胆な提案をしたんだって。「彼が言うには、『あなたが作った医者の思考プロセスを反映するモデルは、医者の診断よりも正確かもしれない』って」ゴールドバーグは回想してるんだけど、「私は、『ええ、そんな馬鹿な、そんなことありえない』って思った」んだって。そんな簡単なモデルが、医者の診断、例えば癌の診断よりも正確だなんてありえないって思ったんだよね。モデルは医者自身が作ったものなんだから、だって、全ての情報は医者が提供したんだから。

半信半疑だったけど、オレゴン研究所の研究者は、この仮説を検証したんだよね。そしたら、同僚の予想が当たってたんだ。もし癌かどうかを知りたいなら、放射線科医にレントゲン写真を分析してもらうよりも、研究者のモデルで計算してもらう方がいいんだって。そのモデルは医者全体よりも優れてただけじゃなくて、優秀な医者と比較しても、もっと優れてたんだって。医者を打ち負かすには、医学の素人が作った公式で医者を置き換えるだけで十分なんだって。

ゴールドバーグが二つ目の論文「人間と人工モデル」を書き始めた時、専門家に対しても、オレゴン研究所が採用した方法に対しても、以前ほど楽観的じゃなかったみたい。「私は論文の中で、人間の判断の複雑さを解釈できなかったっていう実験の失敗について記録した」って書いてるね。彼は以前に「アメリカ心理学者」に発表した論文について言及してて、「以前の文献は、専門家が臨床診断を行う際に存在する可能性のある複雑な相互作用について推測したものだった。そのため、手がかり間の単純な線形結合だけでは、人々の判断を正確に予測できないと、私たちは単純に考えて、個々の判断者がどのような戦略を使用しているかを正確に反映するために、より複雑な数学モデルの構築にすぐに取り掛かろうとした。実はこれは余計なことだった」って。医者たちは、ある潰瘍の特定の性質が診断にどれくらいの割合を占めるかを考える時に、自分なりの理論を持ってるみたいなんだよね。そして、その数学モデルは彼らの理論と完全に一致してて、潰瘍を最も正確に診断できるんだって。残念ながら、実際に医者たちは、自分たちの理論を完全に守ることができなくて、自分たちが作ったモデルに負けてしまったんだって。

この発見は重要な意味を持ってるよね。ゴールドバーグは、「もしこの結論を他の分野の判断プロセスに適用できるなら、主観的な判断で人を採用する方法は、数学モデルにかなわないだろう」って書いてるね。でも、どうしてそうなるんだろう?なぜ、専門家、例えば医者の判断が、専門家自身の知識で構築されたモデルよりも正確じゃないんだろう?この点について、ゴールドバーグは、専門家も人間だから仕方ないって言わざるを得なかったみたい。「臨床医は機械じゃない」ってゴールドバーグは書いてる。「もし彼が専門的な知識を全部持っていたとしても、研究仮説を立てるスキルを全部持っていたとしても、機械だけが持つ信頼性を持つことはできない。彼は普通の人と同じように、退屈したり、疲れたり、病気になったり、環境の影響を受けたり、人間関係に悩んだりする。これらのことが全て、彼を蝕んで、最終的には同じことに対して全く違う判断を下すことになる。判断プロセスにおける偶発的なエラーを解消して、人間の信頼性の低さを回避するためには、予測結果の妥当性を高めるべきだ」って。

ゴールドバーグがこの論文を発表した後まもなく、1970年の夏、アモス・トベルスキーがオレゴン州のユージーン市に来たんだって。彼は古い友達のポール・スロビックを訪ねて、その後スタンフォード大学で一年間過ごす予定だったんだ。二人はミシガン大学で一緒に勉強したことがあって、スロビックは当時バスケットボール部のメンバーで、アモスと一緒に車道でシュート練習をしたことを覚えてるんだって。アモスはバスケットボール部のメンバーじゃなくて、シュートする時はほとんどボールをリングにぶつけてたみたい。彼のジャンプシュートの姿勢は、バスケットボールをするっていうより、体操をしてるみたいで、息子のオランの言葉を借りると、「他の人より半分のスピードで、胸に抱えたボールをゆっくりとリングに向かって投げてる」みたいだったんだって。それでも、アモスはバスケットボールに不思議な情熱を持っていたんだよね。「まるで歩きながら話すのが好きな人がいるように、アモスはシュートするのが好きだった」ってスロビックは言ってたね。彼は慎重に「彼はいつもシュート練習してる人には見えなかった」って付け加えたけど。会った後、二人はまたバスケットボールを始めたんだって。シュートしてる時、アモスはスロビックに、彼とダニエルが最近、人間の脳の内部の仕組みについて研究してることを話して、直感的な判断がどのように形成されるかをさらに探求したいって言ったんだ。「彼は、大学の邪魔を避けて、この課題を専門的に研究できる静かな場所を探してるんだって」スロビックは言ってたね。専門家がなぜ重大な、体系的な間違いを犯すのかについて、彼らはいくつかの予備的な結論に達してたんだって。それは専門家がたまたま運が悪かったからじゃないんだって。「彼らの洞察力は、私に大きな影響を与えた」ってスロビックは言ってたね。

アモスはスタンフォード大学に、1970年から1971年の間、そこで研究をすることを約束していたから、まだイスラエルにいるダニエルとは一時的に別れることになったんだ。この一年間、二人は別々にデータを集めることにしたんだって。データの出所は、彼らが作った面白い問題だったんだ。ダニエルが最初に選んだのは高校生だったんだって。彼は20人くらいのヘブライ大学の大学院生にタクシーに乗ってイスラエルのあちこちに行かせて、その年齢の子を探させたんだ(「エルサレムには中学生がほとんどいないから」)。大学院生は子供たちに二つから四つの不思議な質問をして、それぞれの質問に数分で答えてもらうように頼んだんだって。「質問票にはたくさんの質問が載ってた」ってダニエルは言ってたね。「子供たちは全部答えられないから、いくつか選んで質問するしかないんだ」って。

次の問題を考えてみてください:

調査対象はその都市の子供が6人いる家族全員です。そのうち、72の家族では、子供の出生順序は女の子、男の子、女の子、男の子、男の子、女の子でした。

出生順序が男の子、女の子、男の子、男の子、男の子、男の子の家族は何家族いると思いますか?

つまり、この架空の都市で、もし72家族に子供が6人いて、そのうちの女の子、男の子、女の子、男の子、男の子、女の子という順序で生まれた家族が72家族いたとしたら、男の子、女の子、男の子、男の子、男の子、男の子という順序で生まれた6人の子供がいる家族は何家族いると予想しますか?これらのイスラエルの高校生がこの問題についてどう思ったのかは誰も知らないけど、大学院生は合計1500件のフィードバックを集めたんだって。そして遠い海を隔てたアモスも、同じように奇妙な問題を被験者に投げかけたんだけど、彼が選んだのはミシガン大学とスタンフォード大学の大学生だったんだ。

ゲームのそれぞれのラウンドで、20個の石が5人の子供にランダムに配られます。アラン、ベン、カール、ダン、エドの5人です。次の配分を見てください:

第一種類 第二種類

アラン:4個 アラン:4個

ベン:4個 ベン:4個

カール:5個 カール:4個

ダン:4個 ダン:4個

エド:3個 エド:4個

複数のラウンドで、上記の二つの分布が現れるでしょうか?

この問題の目的は、確率を判断するのが難しい状況で、人々がどのように判断するか、あるいはどのように誤った判断をするかを見ることなんだ。全ての質問には正解があるんだって。被験者が提供した答えは正解と比較されて、間違った答えはさらに分析されるんだ。「全体的な目標は、人々が何をしているのかを知ることだった」ってダニエルは言ってたね。「人々が確率を判断する時、彼らの脳は一体何をしてるんだろうか?これは抽象的な問題だけど、必ず答えがある」って。

彼らが作り出したこれらの問題に対して、ほとんどの被験者は間違った答えをしたんだ。これはアモスとダニエルの予想通りだったんだよね。なぜなら彼ら自身が似たような問題で間違ったことがあるから。もっと正確に言うと、ダニエルが間違えて、自分が間違えたことに気づいて、自分が間違えた理由を理論化したんだって。そしてアモスは、ダニエルの間違いと、ダニエルの間違いに対する認識に注目しすぎて、思わず同じ間違いを犯してしまったんだって。「私たちはこれに夢中になりすぎて、集中が直感に変わってしまった」ってダニエルは言ってたね。「私たちが自分で犯した間違いだけが、私たちにとって面白いんだ」って。もし彼ら二人が思考プロセスで同じように失敗したら、あるいは無意識のうちに失敗したら、ほとんどの人が同じ間違いを繰り返すだろうと判断できるんだって。そして実際にその通りになったんだ。一年間、イスラエルとアメリカで別々に実施した調査は、実験っていうよりも、小さな驚きの連続だったんだって。「ほら、移り気な人間の思考は、こんな風に動いてるんだ」って。

アモスは小さい頃から、わざと生活を複雑にする人がいることに気づいたんだって。彼はそういう「過剰に複雑な人」から離れる才能を持ってたんだ。でも、時々、特に女性だけど、彼の興味をそそる人がいたんだって。高校生の頃、彼は後に詩人になったダリア・ラビコビッチと親しくしてて、同級生は驚いたんだって。彼とダニエルの友情も、周りの人に同じくらいの驚きを与えたみたい。アモスの古い友人は後にこう回想してたんだ。「アモスはいつも、『人はそれほど複雑じゃない。複雑なのは、人と人との関係だ』って言ってた。そして少し間を置いて、『私とダニエルは別だけど』って付け加えてた」んだって。ダニエルにはアモスを安心させる何かがあって、ダニエルと一緒にいる時だけ、別の人になることができたんだ。「私たちが一緒に仕事をする時、アモスの懐疑精神は一時的に脇に置かれるんだ」ってダニエルは言ってたね。「彼は他の人の前ではめったにそうしない。そしてそれが、私たちの協力の原動力だった」んだって。

1971年8月、アモスは妻と子供たちと一緒に、たくさんのデータを持ってユージーン市に戻って、街全体を見渡せる丘の上のアパートに引っ越したんだ。オレゴン研究所の心理学者が休暇に出ていて、彼がアモスに一時的に家を貸したんだって。「室内の温度は29.4度に設定されてた」ってバーバラは言ってたね。「家の中には、カーテンのない床から天井までの窓があった。彼らは洗濯物がたくさん残していったけど、服は一枚もなかった」んだって。すぐに彼らは、家主がヌーディストだって知ったんだって。(ユージーン市へようこそ!下を見ないでね!)数週間後、ダニエルも妻と子供たちと一緒に、もっとたくさんのデータを持ってユージーン市に来て、ダニエルにとってはヌーディストよりも不安な場所に引っ越したんだ。芝生のある家だったんだって。庭の手入れの大変さは、ダニエルが一番よく知ってたけど、彼は珍しく楽観的だったんだ。彼は日当たりの良い街から来たんだけど、彼は後に「私の記憶の中では、ユージーン市はいつも晴れていた」って言ってたんだよね。ユージーンで過ごした時間は、曇りの日の方がずっと多かったのに。

天気はどうあれ、ダニエルはほとんどの時間を屋内で過ごして、元ユニテリアン教会だったオフィスビルの中で、アモスとエルサレムで始めた話を続けてたんだ。「私の生活が変わったって感じがした。私たちはいつも心が通じ合ってて、お互いの考えをすぐに理解できた。自分自身を理解するよりも早く。創造のプロセスっていうのは、普通は何かアイデアを言ってから、何年も経ってやっと気づくことなんだよね。でも私たちの場合、そのプロセスがすごく短縮された。私が何かアイデアを言うと、アモスはすぐに理解できる。どちらかが何か提案をすると、もう一人はその中に光るものを見つけようとする。あなたが上の句を言うと、相手は下の句を言える。そして大抵の場合、核心を突いてる。もちろん、私たちはお互いを驚かせることもよくあった。時には相手のアイデアに本当に鳥肌が立った」って。この期間、彼らは初めて自分のチームを持って、論文の入力とか、被験者の探しとか、研究資金の調達をチームメンバーに任せることができたんだ。そして彼らは一つのことだけをした。それは、話すことだった。

人間の思考構造には、間違いを専門的に作り出す部分があるっていう問題が、彼らの会話の焦点になったんだって。彼らは、その思考構造がどんな可愛い間違いを犯すのか、どんな偏見につながるのかを考え始めたんだって。徐々に、彼らは固定されたパターンを形成したんだ。ダニエルは毎朝オフィスに行って、前日にオレゴン大学の学生から提出された問題のフィードバックを分析したんだ。(ダニエルは先延ばしするのが嫌いで、24時間以内にデータ分析をしない大学院生には、「研究生活では、先延ばしは良くない兆候だ」って注意してたんだって。)昼近くになると、アモスが現れたんだ。二人は一緒に魚とフライドポテトを売ってる店に歩いて行って、他の客と同じように立ち食いしたんだって。そしてオフィスに戻って、その日の残りの時間を会話に費やしたんだ。「彼らは独自の働き方を持っていた」ってポール・スロビックは回想してるんだけど、「それは、何時間も何時間も話し続けることだった」んだって。

ヘブライ大学の教授たちと同じように、オレゴン研究所の研究者も、アモスとダニエルが何を話していても、楽しそうにしてることに気づいたんだって。なぜなら彼らの会話の半分くらいは笑い声が伴ってたから。彼らはヘブライ語で話したり、英語で話したり、相手を遮る時は、二つの言語が混ざってたんだって。彼らはたまたまユージーン市に住んでて、周りにはジョギング好きとか、ヌーディストとか、ヒッピーとか、黄色の松林がたくさんあったけど、もし彼らがモンゴルにいたとしても、影響はなかっただろうね。「彼ら二人は地理的環境を全く気にしてないと思う」ってスロビックは言ってたね。「彼らはどこにいるかじゃなくて、お互いの考えを気にしている」って。同じように、彼らの会話のプライベートさも注目されてたんだ。ユージーン市に来る前に、アモスはポール・スロビックを一緒に働かせたいっていう曖昧な意向を示してたんだけど、ダニエルが来てからは、状況がはっきりしたんだって。スロビックは部外者だったんだ。「私たちは三人では不可能だった」ってポール・スロビックは言ってたね。「彼ら二人は誰にも邪魔されたくなかったんだ」って。

面白いことに、彼らは昔の自分になりたかったんじゃなくて、一緒にいる時の自分になりたかったんだって。アモスにとって、仕事は楽しみで、もし仕事で何も楽しめないなら、その仕事はする価値がないと思ってたんだ。今では、その考え方がダニエルにも影響を与えてたんだって。全てが新しい感覚だったんだ。ダニエルは、世界で一番素晴らしいおもちゃ箱を持ってる子供みたいだったんだ。優柔不断すぎて、おもちゃを楽しめずに、おもちゃの水鉄砲と電動スケートボードの間で迷ってばかりいたんだ。アモスの登場は異例だったんだ。彼はダニエルに「さあ、元気を出して、これらのものを全部試してみよう」って言ったんだよね。後の二人の関係では、ダニエルが深く落ち込んだことが何度かあったんだって。彼は行ったり来たりして、ブツブツ言ってたんだ。「もうアイデアがなくなった」って。それでもアモスはそれをからかってたんだって。二人の共通の友人であるアビシャイ・マルガリットは、「ダニエルが『もうだめだ。私の思考は枯渇した』って言うのを聞くと、アモスはいつも笑って『ダニエルの1分間のアイデアは、100人の100年分のアイデアよりも多い』って言ってた」って回想してるね。二人が座って書く時は、ほとんど体がくっついてて、たまにそれを見た人は信じられないと思ったみたい。「書く時、彼らはタイプライターの前に肩を並べて座ってた」ってミシガン大学の心理学者リチャード・ニスベットは回想してるんだけど、「私はどうしても受け入れられなかった。まるで他の人に歯を磨いてもらうみたいだった」って。でも、ダニエルの言葉を借りると、「私たちはアイデアを共有してたんだ」って。

彼らの最初の論文、彼らは依然としてそれを学術界での遊びだと思ってたんだけど、それには、正しい答えがある確率の問題に直面した時、人々は統計学者みたいに判断してないってことが書かれてたんだよね。統計学者自身も、統計学者みたいに考えてなかったんだって。「少数の法則についての私の見解」っていう論文は、もう一つの明らかな問題を引き起こしたんだ。もし人々が統計的な推論を使って問題を解決してないとしたら、たとえその問題が統計的な推論で答えが出せるとしても、彼らはどんな推論方法を使ってるんだろう?いろんな偶然が起こりうる生活の場面で、例えばブラックジャックのテーブルで、もし彼らがそんな風に考えてないとしたら、どのように考えてるんだろう?二つ目の論文で、二人は上記の問題について詳しく説明したんだって。タイトルについては、これはアモスが悩んだ点なんだって。タイトルが決まらないと、彼は書き始めようとしなかったんだ。彼にとって、タイトルは論文が伝えたいことを正確に反映するものだったんだよね。

でも今回、彼らは論文に難解なタイトルをつけたんだって。少なくとも最初は、学術界のルールを守らなければいけなかったから、もしタイトルが簡単で分かりやすかったら、論文は重視されないんだって。彼らが初めて人間の判断の謎について探求した論文は、「主観的確率:代表性による判断」って名付けられたんだ。

主観的確率、それは人々がどういう意味か推測できると思う。主観的確率っていうのは、人が何かが起こる確率について主観的に推測したり評価したりすることなんだ。真夜中に、窓から中学生の息子がこっそり玄関に向かってるのを見た時、あなたは自分に「彼は多分酔っ払ってる」って言う

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