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えーっと、今日はね、ちょっと変わったテーマでお話してみようかなと思います。それは、なんだろう、「回り道」の重要性、みたいな話なんですけど。
よく、ほら、成功する人って計画的に人生設計してるイメージがあるじゃないですか。でもね、実は、そうじゃない人もたくさんいるんですよね。むしろ、遠回りしたり、無駄に見えるような準備を重ねたりする人が、後になって大化けする、みたいなケースって結構あるんですよ。
たとえば、30代半ばになってようやく自分が本当にやりたいことを見つけたり、40代になって初めてビジネスで成功したり、50代でキャリアチェンジしたり、定年退職してからやっと自分の時間やお金、勇気を使ってやりたかったことを始めたりする人たち。一見すると、時間や機会を無駄にしてるように見えるかもしれないけど、でもね、そういった不確実で非効率な道のりこそが、他の方法では得られない経験や理解を与えてくれるんですよ。
それを証明するような有名な実験があってね。「マシュマロ・チャレンジ」って言うんだけど、心理学者でデザイン思考の研究者であるトム・ウージェックって人が何度も行ってる実験なんです。ルールは簡単で、スパゲッティとマシュマロを使って、マシュマロを支えられる一番高いタワーを作るっていうものなの。
でね、面白いのが、MBAホルダーとか企業の幹部みたいな人たちって、この実験であんまり良い結果を出せないんだよね。逆に、幼稚園児の方がずっと良い成績を出すことが多いんです。
なんでかって言うと、ビジネススクールの卒業生とか企業の幹部の人たちって、計画に時間をかけすぎるんだよね。チームを組んだり、リーダーを決めたり、色んなアイデアを議論したりして、「正解」を探そうとする。つまり、効率的なアプローチを取ろうとするわけ。でも、子どもたちはそういうことを一切しないんだよね。ただ、ひたすら作る。ビジネスパーソンとは違って、子どもたちは何度も試作を重ねて、試行錯誤しながら、最終的に成功するタワーを完成させるんです。
まあ、予想通りだと思うけど、エンジニアとか建築家の人たちも、この実験でかなり良い成績を出すらしいよ。あと、CEOも意外と良いんだけど、アシスタントが一緒にいる時に限るんだって(笑)。これはね、人を動かす力とか、そういうのが関係してくるんだろうね。
つまり、何が言いたいかって言うと、大器晩成型の人って、ビジネスエリートよりも幼稚園児とかエンジニアみたいな考え方とか働き方をするってこと。試行錯誤を繰り返して、最終的に成功する。回り道こそが、効果的なキャリアパスにつながるってことなんですよ。非効率な準備って言うのは、時間がかかることと、自分が本当にやりたいこと、天職を見つけることの、二つの要素があると思うんだよね。
あのね、コメディアンのジェリー・サインフェルドって知ってる?彼がね、あの有名なコメディドラマ「となりのサインフェルド」を制作した時に、非効率であることの重要性について語ってるんだよね。
あるインタビューで、ハーバード・ビジネス・レビューのインタビュアーから「あなたとラリー・デビッドは、伝統的なライターズルームを使わずに、二人だけでサインフェルドを書いていましたよね。それが、あなたが番組を終わらせた理由の一つだと聞きましたが、もっと持続可能な方法ってなかったんですか?マッキンゼーみたいなコンサルティング会社に、もっと良いモデルを見つけてもらうことはできなかったんですか?」って聞かれたんだって。
そしたら、サインフェルドは「マッキンゼーって誰?」「コンサルティング会社だよ」「彼らは面白いのか?」「いや、面白くない」「じゃあ、必要ないね。効率的にやろうとするなら、それは間違ったやり方だ。正しいやり方は、難しいやり方だ。番組が成功したのは、私が細部まで徹底的に管理したからだ。全ての言葉、全てのセリフ、全てのテイク、全ての編集、全てのキャスティング。それが私のやり方だ。」って答えたんだよね。
つまり、「効率的にやろうとするなら、それは間違ったやり方だ」っていうのが、大器晩成型の人たちのモットーになりえるってこと。ゆっくりと時間をかけて成長することには、間違いなくメリットがあるんですよ。
たとえば、伝説的なジャズギタリストのジャンゴ・ラインハルトって、独学でギターを学んだんだよね。楽譜も読めなかったらしい。全てを独学で学んだことが、彼の独創性を生み出したんだよね。ジャズとクラシックギターの両方をマスターした数少ない人物の一人であるジャック・チェチーニも、独学でギターを学んだ経験について、「ゆっくりとした苦痛を伴う独学の方が、誰かに教わるよりも良かった」って語ってるらしい。
要するに、サインフェルドとチェチーニが気づいたのは、「楽に学んだことは身につかない」ってこと。
第一次世界大戦のエースパイロット、通称「レッド・バロン」ことマンフレート・フォン・リヒトホーフェンって、元々は騎兵隊の将校だったんだよね。で、空軍に入隊したんだけど、飛行技術は全然ダメだったらしい。初めて操縦桿を握った時に墜落したらしいし。でも、彼は生まれつきのスターではなかったけど、優れた戦術家であり、射撃の腕も一流だったんだよね。戦争中に80機もの敵機を撃墜したんだから、すごいよね。
大器晩成型の人にとって、時間がかかったり、非効率に見えたりすることが、実は、成長にとって一番良い方法だったりするってこと。
経済学者のデイビッド・ガラソンって人が、大器晩成型の芸術家や作家に見られる非効率な成長について研究してるんだけど、彼は、キャリアの後半でピークを迎える「実験的アーティスト」と、30歳になる前にピークを迎える「概念的アーティスト」を対比させてるんだよね。
概念的アーティストは、系統的で、早い段階で明確なビジョンを持っていて、作品の詳細な計画を立てる。つまり、理論から入るタイプ。一方、実験的アーティストは、実践を通して学ぶ。彼らの作品は、研究そのもの。一つ一つの作品が、実験であり、発見なんだよね。一つ一つの絵を、完成された作品とか、一連の完成された作品の一部として捉えるのではなく、それぞれの絵を、結果をもたらす実験として捉える。そして、その結果を蓄積して、常にテストし、将来の作品に反映させる。
つまり、実験的アーティストは、徐々にビジョンを磨き、それを実現するための技術を習得していく。
非効率な準備には、スタミナが必要。つまり、継続する力が必要ってこと。あのね、マーガレット・サッチャーって知ってる?彼女は、母親であり、主婦であり、弁護士でもあったんだけど、国会議員の候補者でもあったんだよね。彼女は、家の中をローラースケートで動き回っているような気分になることがあったらしくて、「女性の方が、男性よりも権力を手放しやすい。なぜなら、家の中を掃除して時間を潰せるから」って言ってたらしいよ。
あと、ミケランジェロって、建築家としても有名だけど、晩年になってもものすごいエネルギーを持ってて、夜遅くまで彫刻するために、ロウソクを立てられる帽子を作ったらしいよ。
経済学者のタイラー・コーエンとベンチャーキャピタリストのダニエル・グロスが書いた本の中で、彼らは、才能を見つける上でスタミナが重要だって指摘してるんだよね。彼らは、心理学的な概念である「やり抜く力」とか「誠実さ」を推奨するよりも、成功する人はエネルギーを持っているってことを強調してる。ベンチャーキャピタリストとか投資家は、スタートアップを支援するかどうかを判断する際に、このエネルギーを見極めようとするんだよね。
アンジェラ・ダックワースって心理学者が提唱した「やり抜く力」って、情熱と粘り強さを強調してるんだけど、本当に重要なのは、粘り強さの方なんだよね。
あのね、「RANGE」っていう本の中で、デイビッド・エプスタインは、それが学校教育にどう影響するかを示してるんだけど、心理学の研究によると、テストのために短期集中で行うパターンの学習は、すぐに効果が薄れてしまうけど、概念とかシステムを本当に理解するために時間をかけて努力することは、永続的な学習につながるんだって。テストのために何かを学ぶことと、それが完全に理解できるまで努力することの違いは、誰でもわかると思う。後者の学習は、より創造的で、個性的な思考を可能にするんだよね。
あのね、ジョン・ポールソンって金融家がいるんだけど、彼は2007年に、ニューヨーク・タイムズから「比較的無名のヘッジファンドマネージャー」って評されたんだよね。彼は、「様々な合併や買収の結果に賭ける、堅実だが退屈なヘッジファンドを運営していることで知られていた」らしい。それが、後に、彼は、粘り強さを通して学び、回り道をすることで、史上最も成功したトレーダーの一人になったんだよね。
ポールソンは、成功への道のりが長くて曲がりくねってたんだよね。大学時代は目標が定まらず、南米に行ってブルーミングデールズにシャツを売ったり、ハーバード・ビジネススクールに戻ってボストン・コンサルティング・グループに入社したり。28歳になる頃には、コンサルティングの仕事に不満を感じて、金融業界に転職したんだよね。ベアー・スターンズでは、数年でマネージング・ディレクターに昇進したんだけど、会社の政治的な雰囲気が嫌で、自分の投資をしたいと思うようになって、会社を辞めて、もっと小規模な会社に移ったんだよね。でも、そこも長続きしなくて、休暇を取って楽しんだ後、自分のヘッジファンドを設立したんだって。
彼は、気分屋で、実績も乏しくて、人を採用するのにも苦労したらしい。キャリアを通して、彼は常にトップの成績を収めて、どんどん昇進していったんだけど、彼が経営する会社は小さくて、彼が望むような大きな成功には程遠かったんだよね。1996年、41歳の時に、彼の会社が管理する資産は1600万ドルで、「ヘッジファンドの世界では小物」だったんだよね。
でも、彼は落ち着いて、パーティーに行くのをやめて、結婚して、健康的な食事をするようになったんだって。彼は、不動産ブームに乗り遅れたことに不満を感じていて、自分の同級生たちが自分よりもはるかに成功しているのを見て、「自分の能力が十分に活かされていない」と感じていたんだって。
でも、彼が真剣になるにつれて、会社は成長して30億ドル規模になった。それでもまだ小さいけど、注目されるようになってきたんだよね。
そして、ポールソンは、またしても大器晩成型の人材であるパオロ・ペレグリーニを雇ったんだよね。ペレグリーニは、過去に2度解雇されて、離婚歴もあって、純資産もゼロだったんだって。金融の世界では、彼は信じられないほど不成功だったんだよね。
ポールソンと働くうちに、ペレグリーニは、住宅ローン市場に興味を持つようになったんだよね。彼は、住宅ローン市場のデータを異常なほど執拗に調べ上げて、あらゆる角度から徹底的に調査したんだって。人々は、彼が近所の通りに行くためにもショートカットを使わないだろうって冗談を言ったらしいよ。
さっきも言ったけど、非効率である方が良い場合もあるんだよね。ペレグリーニは、「全てを自分で調べて、車輪の再発明をする方が、私にとっては面白い」って言ってたらしい。
ジェリー・サインフェルドとラリー・デビッドが「となりのサインフェルド」を書いたのと同じように、ペレグリーニが答えを得るために十分な調査をするための唯一の方法は、徹底的に調査することだったんだよね。他の人から見ればクレイジーに見えるかもしれないけど、それがうまくいったんだよね。
ペレグリーニは、住宅価格が下落すると、住宅ローン市場における複雑なローンとかクレジット・スワップの仕組みが崩壊することを見抜いたんだよね。彼は、過去の金利データを徹底的に分析して、住宅価格が必ず下落することを見抜いたんだって。そこで、彼とポールソンは、市場に逆張りすることにしたんだよね。ポールソンの会社は、その取引で150億ドルの利益を上げたんだって。それは、おそらく史上最も成功した投資ポジションだったんだろうね。
大器晩成型の人って、明確な目標を持っているとは限らないけど、自分の天職とか使命感を持っていることが多い。ジェリー・サインフェルドとジャンゴ・ラインハルトの非効率な成長は、創造的な衝動によって突き動かされたものだったんだよね。天職とか使命感は、具体的な目標よりも強力なモチベーションになることがある。コメディとか音楽が好きだからとか、政治ニュースに強い興味があるからとか、何かを理解したいからとか、ただ単にそれをやりたいから、っていう理由で何かをすることは、自分の目標を見つける上で不可欠なことなんだよね。
心理学者のジェーン・スタージェスとキャサリン・ベイリーによると、人が自分の天職を見つける方法はいくつかあるんだよね。スタージェスとベイリーは、「潜在的な天職」と「失われた天職」を区別してるんだよね。潜在的な天職は、人生の後半になって、自分の状況が変わった時に初めて発見されるもの。失われた天職は、若い頃に発見したけど、人生が進むにつれて見失ってしまうもの。
潜在的な天職は、自分の人生の状況が変化して、自分の天職がより有効になった時に発見される。大器晩成型の画家であるグランマ・モーゼスとかビル・トレーラーは、潜在的な天職を持っていた人たちの例だよね。モーゼスは70代後半で絵を描き始め、トレーラーは85歳で絵を描き始めた。二人とも、過酷で困難な人生を送ってきたんだよね。モーゼスは12歳から働き始め、多くの子どもを育て、生涯のほとんどを農場で働いた。トレーラーは奴隷として生まれ、小作人になった。モーゼスの場合は退職、トレーラーの場合は老齢によるホームレス状態が、彼らが自分の才能を正当に追求できる状況だったんだよね。それまでは、そうすることが不可能だったり、現実的ではなかったんだよね。
多くの人が、若い頃に自分の天職を追求できなかったことを後悔するけど、モーゼスとかトレーラーのような人たちはそうじゃない。彼らの天職は、単に後になって発見されただけなんだよね。
あのね、マザー・テレサも、修道女を辞めて貧しい人々のために働くという天職を、修道女として20年過ごした後に感じたんだよね。マドンナ・ブーダーは、48歳で運動を始め、80代でアイアンマン競技に出場し始めた修道女。レイ・ムーンは、子どもの頃にポリオにかかり、大人になってからはヘビースモーカーで飲んだくれだった。70代になってから、友人に勧められてボディビルを始めたんだよね。その後、彼はオーストラリアでいくつかの大会で優勝したんだって。
メイ・ラボーデは、90代でテレビ女優になった。彼女は、銀行の窓口係とかデパートの店員をしていて、テレビタレントのローレンス・ウェルクの元で働いていたんだよね。定年退職してから、ようやく自分の天職を見つけたんだよね。潜在的な天職を持っていることには、大きなメリットがあるんだよね。スタージェスとベイリーの研究によると、退職後に自分の興味に没頭する人は、時間とお金があるので、ポジティブな感情が湧き上がってくるんだって。
多くの人が、若い頃に自分の天職を諦めたり、見失ったりする。特に、クリエイティブな職業とか芸術的な職業に就こうとすると、時間とかお金が必要になるけど、それらを用意できなかったり、用意することをためらったりするんだよね。何度も失敗すると、お金を稼いだり、キャリアを築いたりするために使える時間を無駄にしてしまう。多くの場合、自分の天職を追求するのを諦めて、仕事に就く方が現実的なんだよね。また、多くの人は、成功するために重要なネットワークとか仲間、メンターを持っていないんだよね。
スタージェスとベイリーは、若い頃に自分の天職を諦めて、天職とは言えないような仕事に就いた32人のミュージシャンにインタビューしたんだって。彼らは全員、2歳か3歳の頃から音楽に触れていて、音楽が自分たちの人生に不可欠なものであることに気づいた瞬間があったんだって。10代か20代の頃に、音楽家としてのキャリアを諦めたんだって。理由は3つあって、低賃金とか雇用の不安定さなどの労働条件、自分には必要なレベルの才能とか個性がないという思い込み、そして、親族からの反対とか機会の不足による落胆感なんだって。
スタージェスとベイリーは、失われた天職に戻るには、3つのルートがあるって説明してるんだよね。「適応」、「創発」、「延期」っていう3つのルート。天職への適応っていうのは、自分の仕事をしながら、趣味として天職を続けること。創発的な天職は、最初は弱かったけど、年を取るにつれて強くなる。延期された天職は、人生の途中で失われて、完全に再発見する必要がある。自分の天職を諦めた人、あるいは、それほど強く感じていなかった人たちは、新たな情熱を持って天職に戻ってくることが多い。そして、最初はあまり興味を持っていなかった人たちほど、後になって熱心な学習者とか実践者になることがあるんだよね。
天職に適応したミュージシャン、つまり、音楽を趣味として続けたミュージシャンは、プロのミュージシャンよりもコミットメントは少ないけど、音楽の実践を続けた。彼らは、自分の興味を失わせることを拒否したんだよね。彼らは、練習時間を確保するために、働く場所を変えたり、労働時間を変えたりした。彼らにとって、音楽なしで生きることは考えられなかったんだよね。そのため、仕事を辞めて音楽に専念する移行がスムーズになったんだよね。
天職を延期したミュージシャン、つまり、何年も、時には何十年も音楽から離れていたミュージシャンは、単に自分の生活に音楽を取り入れることができなかったんだよね。そのうちの一人は、「私は自分の仕事に非常に興味があったし、全てをすることはできない」って言ってたんだって。音楽を諦めたことが、悲惨なほどに辛かった人もいたんだよね。ある人は、それを手足を切断されたような気分だと表現したんだって。それでも、彼らのほとんどは、自分が下した選択を後悔していなかった。でも、退職した後に、教会を通りかかった時に合唱団の歌声を聞いたりして、何かのきっかけで音楽を再開したんだよね。楽器を始めた人もいたんだって。
創発的な天職を持っていた人たち、つまり、最初の天職は弱かったけど、人生を通して強くなった人たちは、若い頃に音楽を諦めるのが比較的簡単だった。これらの人たちは、高いレベルの成果を上げていたので、アマチュアに戻ることはあまり魅力的ではなかった。彼らは、2つの方法で音楽に戻ってきたんだよね。一つは、葬式に参列して自分の人生の時間がなくなっていることに気づいたりする危機とか変革の瞬間。もう一つは、退職後に自分の時間を持て余すようになったから。驚くべきことに、このグループは、最も熱心に学ぶ傾向があったんだよね。大学院の学位を取得したり、オーケストラを設立したり。この天職の創発的な再発見は、驚くほど強い効果をもたらしたんだって。そのうちの一人は、「若い頃には何もなかった、私の中の内なる音楽家に火がついた」って言ってたらしい。かつての功績から、天職が生まれたんだよね。
スタージェスとベイリーの研究に参加した多くの人々にとって、どのように音楽に戻ってきたかにかかわらず、プロとしてではなく趣味として音楽を続けていたことが、彼らの音楽への興味を高めたんだよね。安定した音楽の仕事の退屈さとか、慣れない曲を演奏するように頼まれることへの恐怖を経験する代わりに、彼らの興味は、彼らの生活における音楽の周辺的な役割によって活気づけられたんだよね。「自分の情熱をキャリアではなく趣味として維持する方が、満足感を得られるって人々は言うけど、振り返ってみると、それはおそらく的を射たアドバイスだったと思う」って言う人もいたらしい。アマチュアは、より多くの自由を持っていて、ゆっくりと成長するためのより多くの余地がある。彼らは、回り道をする。
えーっと、ここでちょっと立ち止まって、天職に関する文献のメタ分析に注目する価値があるんだけど、天職の内発的な動機が幸福感を高める一方で、非常に強い天職を持っている人は、過労に伴うストレスを経験することも多いんだって。もちろん、自分の天職を追求できない人は、その矛盾による不幸な影響を経験することもあるだろうね。自分の天職の道徳的な側面を強く信じているために、それを達成できない人は、失望する可能性もある。
心理学者のブライアン・J・ディクとライアン・D・ダフィーは、天職は必ずしも人生の早い段階で否定できないとか超越的な感情であるとは限らず、「仕事における活動の目的とか意義、そして、それが社会貢献にどうつながっているのかを評価する継続的なプロセス」である可能性があるって述べてるんだよね。ディクとダフィーの見解では、天職は、仕事そのものではなく、人が自分の仕事をどう捉えるかによって生まれる結果なんだって。慈善団体の職員とか教師でなくても、天職を持つことができる。自分の仕事に天職として取り組み、自分の仕事の社会的価値を見出すことで、全ての仕事が天職を生み出す可能性があるんだよね。
クリス・ガードナーって知ってる?彼は、株式仲買人の経験も、大学の学位も、当時の金融業界では一般的ではない経歴も持っていなかったにも関わらず、株式仲買人になったんだよね。それは、インスピレーションを得た瞬間ではなく、非効率な準備の長い道のりだったんだよね。彼が天職を見つけたのは、いくつかの仕事を経験した後だったんだよね。
ガードナーの子供時代は波乱に満ちていて、若い頃は不安定だったんだよね。彼の義父は暴力的で虐待的だった。子どもの頃、ガードナーは里親の家で過ごした。彼は、孤立して、引きこもって、苦労することが多かったけど、献身的で、集中力があって、強かったんだよね。彼は、母親から自立心を学んだ。彼女は彼に、「騎兵隊は決してやってこない。頼れるのは自分だけだ」って言ったんだって。彼は、叔父から海軍に入るように勧められ、十分に成長するとすぐに海軍に入隊した。海軍で、ガードナーは医療スペシャリストとして働き始め、それがきっかけで、後にガードナーを自分の研究室に雇ってくれる外科医と知り合ったんだよね。彼は、医者になるつもりだったんだって。
でも、医療業界の変化によって、医者になるのは難しくて、儲からない選択肢になってしまった。ガードナーが外科医になるには、10年間のトレーニングが必要だったし、外科医の収入は減少する予定だった。彼はまた、「自分がすでにしていることを正式に行えるようになるまでには、あと10年かかる」っていう事実に飽きていたんだよね。26歳で、彼は医学のトレーニングを辞めることにした。その頃、彼の結婚は終わりに近づいていて、別の女性と熱烈な関係になり、そのせいで仕事をサボったり、コカインを摂取したりしていたんだよね。クリス・ガードナーは、まだ成功への道を歩んでいなかった。しかし、彼は父親になった。息子ができたことがきっかけで、ガードナーは会ったことのない実の父親を探すようになったんだよね。そして、新しいパートナーとの喧嘩がきっかけで、彼は、ささやかな給料の研究室の仕事よりも、家族を養えるような新しい仕事を探すようになった。彼は、医療機器の販売で給料を2倍にした。
父親に会ったことがきっかけで、ガードナーは自分の「父親不在の Blues」を解消することができたんだよね。そして、彼はビジネスで成功することを夢見て、自分の新しい会社のトップの人が稼いでいる8万ドルの給料を稼ぐ方法を学ぼうとしたんだって。彼は、「最高のセールスマンは生まれつきのものだ」っていう厳しい教訓を学んだ。ガードナーは、一生懸命頑張ろうと決意したけど、どうすればトップになれるのかわからなかった。ある日、営業の電話を終えて、目標の8万ドルの給料まであとどれくらいなのかを計算していると、駐車場をフェラーリが走り回っているのを見たんだよね。ガードナーは運転手に質問をして、その人が株式仲買人として月に8万ドル稼いでいることを知った。彼は、自分の天職を見つけたんだよね。あまりにも強烈な体験だったので、ガードナーはそれを初めてマイルス・デイビスの音楽を聴いた時になぞらえたんだって。
ガードナーは27歳だった。彼の状況は、当時の株式仲買人のほとんどの人たちの状況とは全く違っていた。学位も、コネも、経験もなかった。そして、彼は黒人だった。しかし、彼は、この新しい天職に非常に献身的だったので、最終的には、株式仲買人と会って仕事を得ようとしている時に違反切符を切られた駐車料金を支払わなかったために投獄されたんだよね。最終的に、彼にチャンスを与えてくれる人を見つけた時、ガードナーは販売の仕事を辞めたんだけど、証券会社に出社すると、彼を雇った男が解雇されていたことを知った。彼は、結局、新しい仕事を持っていなかった。
今、彼は、息子を養うために、日雇いの仕事をしていた。喧嘩の後、彼のパートナーは息子を連れて出て行き、彼は、未払いの駐車料金で刑務所にいる間に面接に行かなければならなかった。チャンスを台無しにする代わりに、面接官の男性は、自分の3度の離婚の話をしたんだって。ガードナーは仕事を得た。この研修プログラムのわずかな給料は、ガードナーが友人とか知人の家を転々とすることを意味し、最終的には安宿に部屋を借りることになった。彼は、後にこれを、彼の最大の挑戦、つまり、パートナーが息子を彼に返した後、息子と一緒にホームレス生活を送るための準備だと考えるようになった。
ガードナーの状況は、彼の成功にとって大きな障害だったけど、彼が自分の天職を見つけた後に必要な準備を提供してくれた。彼は、成功した株式仲買人になっただけでなく、数百万ドル規模の自分の会社を設立したんだよね。
自立心についての母親の教えは、彼が株式仲買人として訓練するために必要な決意を与えてくれた。ホームレスでシングルペアレントだった時でも、ガードナーは1日に200件の電話をかけ、日常的に会社のトップブローカーだったんだよね。彼が研究室で働いていた時、つまり、海軍で豊富な医療経験を持っていたけど、学位を持っていなかった時、彼は、エリート大学の白人男性医学生の偏見の対象になった。しかし、その機関を運営していた医師は、「ガードナーが責任者だ」ってことを明確にしたんだよね。彼が自分の研究室を運営するのは彼次第であり、「彼らの優越的な態度を個人的に受け止めないことを学んだ。それは、メンターが自分をその責任者の立場に置いた時に個人的に受け止めないのと同じことだ」って。これは、「誰もあなたの正当性を奪うことも与えることもできない。あなたが自分で主張しなければ」っていう母親の教えを再認識させたんだよね。
これは、ガードナーに経営とか人材発掘について教えた。それは、ビジネスを経営する上で重要な要素。それは、彼の後のキャリアとは関係がないように見えるかもしれないけど、リーダーになる方法の見習い期間だったんだよね。彼が医療センターで働いていた時に負傷した船員のレイシズムに対処する方法を学んだことが、後に、彼の最高の顧客である侮辱的な冗談に耐えることができた時に役立ったんだよね。
ガードナーは、後の章で出会うことになる大器晩成型の核となる資質をたくさん示しているんだよね。チャンスは彼の人生において、良いことも悪いことも、大きな役割を果たしたけど、彼はそれらの機会を自分の有利な方向に転換することができた。そして、彼の性格が、彼の幸運を生み出した部分もあったんだよね。
彼が海軍に入隊したり、研究室で働いたり、医学のトレーニングを辞めたり、株式仲買人の会社に入社した時、ガードナーは自分の周囲の環境を変えた。彼は、自分を有益な影響を受ける環境に身を置いたんだよね。そして、最も重要なことは、彼が養護施設とか海軍の医療センター、研究室、販売の仕事で働いた経験から、「何の知識もなくても仕事に飛び込むことができる」ことを学んだことなんだよね。一度、ある分野の専門家になると、初心者の状態に戻ってやり直すのは難しいことがある。クリス・ガードナーは、何度も軌道修正することで、学習者であることの価値を比較的早い段階で学んだんだよね。彼は、自分の天職に遅れてたどり着いたけど、非効率な準備期間が長かったことが、彼を大器晩成型の株式仲買人になるのに最適な状態にしたんだよね。
非効率な準備には、天職を見つけて、ゆっくりとした成長を通して成功を収めることが含まれる。それは、一連の失敗を通して学んだり、失われた天職を再発見したり、再開したり、様々な興味を新しい機会にブレンドしたりすることが含まれるかもしれない。小説家のペネロペ・フィッツジェラルドの人生は、天職を追求する上での非効率な準備の要素の全てを示しているんだよね。
ペネロペ・フィッツジェラルドは、20世紀の偉大な小説をいくつか書いたんだよね。彼女の最後の小説は、70代で書かれたんだけど、全米批評家協会賞を受賞したんだよね。彼女の生前はやや忘れられていたけど、2000年に亡くなってから、彼女の評価は高まり、20世紀の偉大な作家の一人として認識されるようになってきているんだよね。フィリップ・ヘンシャーは、2001年に、「過去四半世紀の全ての小説家の中で、彼女は偉大であると最も議論の余地なく主張できる」って言ったんだって。フィッツジェラルドは、神童として期待されていた。彼女は、要求が厳しく、知的な作家一家の出身だった。彼女は、母親と同じオックスフォード大学のカレッジに通った。卒業後、彼女は作家を始める準備ができたって言ったんだよね。彼女の最初の本が出版されたのが、21歳ではなく、58歳の時だったことが、彼女の人生における大きな謎なんだよね。なぜ、彼女はそれほど遅れて始めたんだろうか?
一般的な答えは、彼女の夫であるデズモンドのせい。デズモンドは、飲酒癖があって、キャリアに失敗して、債権者に追われるという不安定な生活を送っていて、フィッツジェラルドには、執筆する時間もエネルギーも残されていなかったんだよね。子供の頃の期待も、負担になったかもしれない。彼女は、父親が亡くなった直後に最初の本を書き始め、夫が亡くなる時に2冊目の本を書き始めた。批評家は、彼女の子供時代の物語とか、タイムズ・リテラリー・サプルメントに掲載された匿名の書評、彼女の夫のアイリッシュガーズの歴史への貢献の可能性、そして、彼らが一緒に運営していた文芸誌を、早い時期からの活動の例として挙げている。彼女は、幼い頃に2つの短編小説を書き、母親になった1950年代に2つの短編小説を書いた。彼女は、1951年に夫の名義で短編小説を発表した可能性が高いらしい。最新の批評研究では、デズモンドが彼女の足を引っ張っていて、初期の作品は彼女の才能を示しているって言ってるんだよね。
でも、これは、彼女の人生における多くの重要な事実を見落としているんだよね。フィッツジェラルドは、不満を抱えた神童ではなかった。彼女は大器晩成型の人だったんだよね。
フィッツジェラルド自身は、「人生のいつでも書けると思う」って言ってたらしい。批評家は、そのような発言をポーズとか、謙遜だと見なしているんだよね。彼女の波乱万丈な人生のために、彼女の言葉を額面通りに受け取るのは難しい。彼女は、第一次世界大戦中に生まれた女性の典型的な例で、自分の性別のために足止めされたんだよね。でも、TLSのために匿名の書評を書いているほとんどの人は、天才的な小説家にはならないんだよね。これ