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えーっと、今回は所有権の神話について話していこうかな。
ジャン=ジャック・ルソーが昔言ったように、「大地の恵みはすべての人に属し、大地そのものは誰にも属さない」っていうのが根本にあるんだよね。
で、ミルトン・フリードマンっていう経済学者がいて、彼の考え方はすごくシンプルで、「企業の目的は利益を最大化することだ」っていうの。彼はノーベル賞も受賞してるんだけど、彼の主張って、経済効率とはちょっと違うところにあるんだよね。「企業の社会的責任は利益を増やすことだ」っていうニューヨーカータイムズの記事で、彼はこう言ってるんだ。「企業の幹部は株主の従業員なんだから、株主の意向に従ってビジネスを行う責任がある」って。つまり、幹部は株主の代理人として、株主に対して一番の責任を負ってるんだ、と。
これって、経済的な話というよりは、社会的な、あるいは法的な話なんだよね。で、ここから色々な疑問が出てくる。そもそも株主って、会社の所有者なの?っていう根本的な疑問とか、たとえそうだとしても、経営者は株主以外の利害関係者のことを考慮しちゃいけないの?とかね。昔の鉄道会社とかを見てみると、事業規模が大きくなって、株主が分散してるから、サラリーマンの幹部が日常的な経営をするのは当たり前だったんだよね。じゃあ、どうやって株主(本人)が経営者(代理人)に「株主の意向通りにビジネスをしろ」って言えるの?っていう問題が出てくるわけ。
国によって文化も法律も違うから、この問題に対する考え方も違ってくるんだよね、やっぱり。
特に、コモン・ローっていう英米法系の国では、法人格の理論と契約関係の理論っていうのがあって、会社の権利と義務と、社員の権利と義務の関係がちょっと複雑なんだよね。コモン・ローって、中世のイギリスの法律から派生したもので、アメリカとかイギリスの旧植民地とかで使われてるんだけど、過去の判例を重視するんだよね。裁判も、ドラマでよく見るような、対立構造に基づいたやり方をするし。
一方で、ヨーロッパの主要国とか、中国とか、日本とかは、シビル・ローっていう大陸法系の国で、成文法が中心。裁判官は、個別のケースに対して、詳細なルールを適用する役割を担ってるんだよね。
じゃあ、株主は会社の所有者なのか?っていう話に戻るけど。
昔、イギリスでショート・ブラザーズっていう航空機メーカーがあって、第二次世界大戦中に国営化されたんだ。株主は、株の市場価格に基づいて補償金を受け取ったんだけど、その後、株主だったオズワルド・ショートが財務省を訴えたんだよね。彼は、政府がショート・ブラザーズの株だけじゃなくて、会社全体を買収したんだから、会社の資産を評価して、株主に比例配分するべきだって主張したんだ。
最高裁判所まで争った結果、裁判所は「株主は、法律上、会社の所有者ではない」っていう判断を下したんだよね。株主は、株に対する正当な対価を受け取ったんだから、それで終わり、と。最高裁判所は、その後も同じような判断をしていて、「会社は、会社の財産を株主のために信託的に保有しているわけではなく、会社自身が所有している」って言ってるんだよね。
親が子供のために財産を信託することもあるけど、それは親が法的な所有者であって、子供のために財産を管理する義務があるわけ。でも、会社の財産は、株主のためじゃなくて、会社自身が所有してるんだよね。株主が利益を得るとしたら、配当とか、株価の上昇とかからであって、会社の財産そのものからじゃないんだ。
さらにややこしいことに、今の株の多くは、銀行とか証券会社とかの名義で保有されていて、その背後に個人とか機関投資家がいるんだよね。年金基金とか大学の基金とかが、さらに個人の代わりに株を持ってることもあるし。色々な人が関わってて、誰が本当の所有者なのか、ますます分からなくなってくるんだよね。
ある判例では、株は「会社の構成員としての権利と義務から構成される」って言われてて、その権利には、配当を受け取る権利とか、議決権とか、解散時に残余財産を受け取る権利とかが含まれてるんだって。
でも、別の判例では、「会社は、権利と義務を持つ法人であると同時に、株主が所有する財産でもある」って言われてて、ますます混乱するよね。この「財産」っていう言葉も、曖昧に使われてる感じがするし。株の性質を説明するのは、本当に難しいよね。
で、ドイツに目を向けてみると、フリードマンの主張は最初から成り立たないんだよね。ドイツの基本法(憲法)には、「財産権と相続権は保障される。ただし、その内容と限界は法律で定められる。財産は義務を伴う。その利用は公共の福祉にも役立たなければならない」っていう条文があるんだ。
つまり、ドイツでは、株主も会社も、財産権を行使する際には、公共の福祉を考慮する必要があるんだよね。これは、ナチス時代に一部の企業や富裕層が協力したことへの反省から生まれた考え方なんだ。まあ、現代社会において、財産権には権利だけでなく義務も伴うっていうのは、当然のことだよね。
じゃあ、アメリカはどうなの?アメリカの裁判所とか研究者は、株主が会社の所有者であるっていう考え方を、基本的に受け入れてるんだけど、その意味合いについては、色々な議論があるんだよね。
ある訴訟では、会社の取締役が会社の資産を不正に流用したんだけど、少数株主が訴えを起こしても、裁判所は認めなかったんだ。不正行為は会社に対して行われたものであって、株主ではなく会社が訴えを起こすべきだっていう判断なんだよね。この判例の原則は、今でも有効みたい。株主が会社の損害に対して訴訟を起こせるのは、ごく例外的な場合に限られてるんだよね。
デラウェア州っていうところでは、ちょっと違うみたい。デラウェア州の裁判所は、「取締役は、会社の経営において受託者の立場にある」って考えてるんだ。だから、取締役の責任を厳しく問う判決も出てるんだよね。ただ、デラウェア州は、企業が安心して登記できる場所でありたいから、取締役の責任を緩和する法律もすぐに制定したんだ。
アメリカの各州は、それぞれ独自の会社法と裁判所を持っていて、会社に適用される法律は、基本的に登記した州の法律なんだよね。で、各州は、企業に登記してもらうために競争してて、その結果、デラウェア州が圧倒的に有利な立場になってるんだ。フォーチュン500企業の3分の2がデラウェア州に登記してるけど、デラウェア州の人口はアメリカ全体の0.3%にすぎないんだよね。
例えば、グーグルはカリフォルニア州のマウンテンビュー、アップルはカリフォルニア州のクパチーノ、ウォルマートはアーカンソー州のベントンビルに本社があると思ってるかもしれないけど、実は、これらの会社も、他の30万社も、デラウェア州のウィルミントンっていう街に登記されてるんだ。だから、これらの会社に関する訴訟は、デラウェア州の法律に基づいて行われることが多くて、専門的な裁判官が陪審員なしで判断を下すんだよね。
企業がどこに登記するかは、基本的に経営陣が決めるんだ。アメリカのある法律学者は、イギリスの法律の方が株主にとって有利だって言ってたんだけど、実は、デラウェア州の法律は、経営陣にとって特に有利なんだよね。裁判所は、経営判断に対して広い裁量を与えていて、明白な悪意がない限り、経営判断を覆さないんだ。だから、デラウェア州では、イギリスでは法律や規制、社会的な期待によって認められないような慣行が広く採用されてるんだって。
例えば、敵対的買収を防ぐための「ポイズンピル」とか、取締役の任期をずらす「取締役の任期分散制」とかがあるんだよね。株主が取締役の選任などの議案を提出する機会を保障する「プロキシーアクセス」っていう制度も、イギリスでは当たり前だけど、デラウェア州では法律で義務付けられてないんだ。
アメリカの連邦議会も、経営陣のやり方に対抗するために、色々な法律を作ってきたんだけど、根本的な改革には至ってないんだよね。株主が会社の所有者であるかどうかは、株主の権利の行使を妨げるものがたくさんあるとしたら、あまり意味がないよね。そもそも、所有権って、一体何なんだろう?
所有権の意味
経済学者のグロスマンとハートは、不確実な状況においては、契約が完全に網羅することは不可能であるっていう前提で、所有権について考察したんだ。彼らは、「契約関係の束」っていう考え方を、どのように扱えばいいのかを説明しようとしたんだよね。
グロスマンとハートは、ある資産の所有者っていうのは、明示的に誰かに譲渡されていないすべての権利を持つ人または団体だって定義したんだ。つまり、契約に書かれていない状況が発生した場合に、どうするかを決める権利を持つ人が所有者なんだよね。会社の場合、上司は部下に指示できるけど、物的な資産の場合は、その資産の所有者が最終的な決定権を持つんだ。この残余的な支配権が、ハートにとっての所有権の本質だったんだよね。
ハートは、レンタカーの例を挙げて説明してるんだ。例えば、6ヶ月間レンタカーを借りて、CDプレーヤーを取り付けたいと思ったとする。でも、レンタルの契約には、そういう改造に関する規定がない。その場合、レンタカー会社に許可を求めなきゃいけないよね。なぜなら、車の改造に関する残余的な支配権は、レンタカー会社にあるからなんだ。
この例は、もっと深く検討する価値があると思うんだよね。6ヶ月間のレンタカーっていうのは、あまり一般的じゃない。旅行で1週間借りるっていうのが普通だよね。その契約を見ると、所有権と占有権は違うっていうことがよく分かる。1週間、レンタカーを自分のガレージに駐車したり、好きな場所に運転したり、トランクに色々な物を積んだりできる。もし、レンタカーで歩行者をひいてしまったら、責任を負うのはレンタカー会社じゃなくて、自分自身だよね。でも、レンタカーの所有者は、レンタカー会社であって、自分じゃないっていうのは、誰でも分かることだよね。
6ヶ月以上レンタカーを借りることも、もちろんある。新車を買う場合、ローンとかリース契約とか、何らかの融資契約を結ぶことが多いよね。これらの契約では、車の法的な所有権は、融資を提供する機関が持っているのが普通なんだ。一定期間、支払いを終えた後に、所有権が自分に移転したり、リース期間の終了時に、あらかじめ合意した金額を支払って車を買い取ったりできる契約もある。
イギリスでは、自動車の登録制度があって、交通違反とか駐車違反の責任を負う人が「キーパー」として登録されるんだ。アメリカの多くの州でも、自動車の登録上の所有者と法的な所有者を区別してるんだよね。キーパーとか登録上の所有者は、自分の車を「マイカー」って呼ぶことが多いよね。
不動産の所有と賃貸でも、同じような問題が起こる。現代の企業が所有する資産の大部分は不動産で、その不動産の多くは、会社自身が所有しているわけじゃないんだよね。マンションの一室を「買う」っていう場合でも、色々な法律的な構造があって、国によって権利と義務が違ってくるんだ。
不動産の賃貸に関する法律とか判例はたくさんあって、長期リースされた資産の会計処理は、会計基準の中でも特に複雑な問題なんだよね。弁護士とか会計士は、この問題を解決するよりも、ビジネス上の問題に対する現実的な解決策を見つけることに時間と労力を費やしてきたんだ。所有権の意味は、本当に複雑なんだよね。
所有権の証
所有権の概念を分かりやすく説明したのは、60年前に活躍した法学者のオノレっていう人なんだ。オノレは、所有権は単一でも単純でもない概念で、国や時代によって意味が異なると説明したんだ。でも、「イギリス、フランス、ロシア、中国で傘を『所有』している人の立場には、かなり共通点がある」って主張したんだよね。これらの国では、傘の所有者は、傘を使ったり、他の人が使うのを止めたり、傘を貸したり、売ったり、遺言で譲ったりできる。ただし、傘で隣人を突いたり、花瓶を倒したりすることはできない、と。
私と私の傘の関係は単純だけど、アマゾンと倉庫の関係はもっと複雑だよね。アマゾンと株主の関係も同様。オノレは、この複雑さを評価するために、便利な方法を提案したんだ。所有権っていうのは、友情と同じように、多くの特徴を持っている。友情には、明確な定義はないけど、ある関係が友情の特徴を十分に持っていれば、その関係は友情だって言える。同じように、ある関係が所有権の特徴を十分に持っていれば、その関係は所有権だって言えるんだよね。
オノレは、所有権の11個の「証」をリストアップしたんだ。所有権は、通常、占有する権利、使用する権利、管理する権利を与える。所有権は、得られた収入を受け取る権利と、資産の資本価値を主張する権利を与える。所有権は、有害な使用をしない義務を課す。所有者の未払いの債務を弁済するために、所有物は差し押さえられる可能性がある。所有者は、収用に対する保護を主張できる。所有者は、自分の権利の全部または一部を誰かに譲渡できる。これらの権利に時間制限がないことも、所有権の証となる。所有者は、最終的な支配権を持つ。つまり、明示的に誰かに譲渡していないすべての権利を持ち続ける。
私が「私は自分の傘を所有している」と言うとき、私は、傘を開いたり、閉じたり、売ったり、貸したり、遺言で譲ったり、捨てたりできることを宣言してるんだ。もし、泥棒とか政府が私の傘を奪ったら、警察とか裁判所に訴えることもできる。そして、傘の誤った使い方に対する責任を負い、債権者が傘を差し押さえる権利も認めなければならない。
これらのテストをアマゾンの株主について当てはめてみると、株主がアマゾンの株を所有していることは明らかだよね。すべての基準を満たしてる。でも、株主がアマゾンそのものを所有しているかどうかは、はっきりしないんだ。株主は、株を持っているからといって、アマゾンの倉庫に行ったり、シアトルの本社に行ったり、デラウェア州の登記上のオフィスに行ったりしても、追い返されるだけだよね。株主は、他の顧客と同じように、アマゾンのサービスを利用する権利を持っているだけなんだ。アマゾンの有害な行為に対する責任を負うこともないし、アマゾンのバランスシートにある現金を、株主の未払いの債務を弁済するために充てることもできない。
アマゾンの株主は、会社が解散したときに、剰余財産を受け取る権利を持っているけど、アマゾンの時価総額は、清算されたら消えてしまうだろうね。アマゾンの株主には、会社を経営する権利はないけど、経営する人を選ぶ権利はある。ただし、デラウェア州の法律によって、この権利はかなり制限されてるんだ。株主は、取締役が配当を決定した場合に、配当を受け取る権利を持っている。でも、アマゾンは創業以来、一度も配当を出したことがないんだよね。オノレが提示した11個のテストのうち、アマゾンと株主の関係は、2つしか満たしてないんだよね。しかも、それは重要度の低いものばかりで、3つは部分的に満たし、6つは全く満たしてない。
さらに、株主が会社を訴える集団訴訟が増えていて、状況を複雑にしてるんだよね。1993年に、フィリップ・モリスっていうタバコ会社が、主力ブランドのタバコの価格を40セント値下げすることを発表したんだ。すると、株価が急落して、株主(または成功報酬型の弁護士)が、株価の下落による損害を賠償するために、会社を訴えたんだよね。株価の下落は、株主自身が「所有」している会社の行動によって引き起こされたものなのにね。(結局、この訴訟は裁判所に退けられたんだけど。)
株主が会社を「所有」しているっていう理論と、株主が会社を訴えるっていう行為は、なかなか両立しがたいよね。もし、私の傘が雨から十分に守ってくれなかったら、私は傘を訴えて、傘の所有者である私自身から賠償金を取り戻せるのか?って話になるよね。株主が会社を訴えて、和解金を得たとしても、それは株主がすでに所有している資産から支払われることになるから、結局はマイナスになるんだよね。
もし、オノレの記事を読んだ火星人が、アマゾンの施設を訪問して、会社の意思決定プロセスを観察したら、アマゾンを所有しているのは、経営幹部だろうって結論づけるだろうね。もちろん、ジェフ・ベゾスはアマゾンの最大の株主だけど、その火星人は、オノレのテストなどを適用して、アップルの「所有者」は、ローレン・ジョブズじゃなくて、ティム・クックだろうって判断すると思うんだ。
結局、アマゾンとかアップルを所有してるのは誰なの?その答えは、誰でもないんだよね。ミシシッピ川とか、相対性理論とか、王立経済学会とか、私たちが呼吸する空気と同じように、誰にも所有されずに存在するものはたくさんあるんだ。現代経済には、色々な種類の権利とか契約とか義務があって、その一部だけが「所有権」っていう言葉でうまく説明できるんだよね。現代の会社と私の傘の間には、あまりにも大きな違いがあるから、同じように説明することは難しいんだ。
チャールズ・ハンディっていう人が言ったように、「現代の会社を見ると、所有権の神話が邪魔になる」んだよね。