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えーっとですね、今回は金融の進化について、ちょっとお話してみようかなと思います。

昔はね、もう本当に、お金持ちって言ったら、土地とか家とか、そういう目に見えるものを持ってる人がほとんどだったんですよね。部族の長が一番いいところに住んでたり、王様がお城に住んでたり、貴族が広大な土地を持ってたりとか。産業革命の頃も、お金持ちの象徴って言ったら、工場とか鉱山とか、そういう tangible なものだったわけですよ。

で、最初の金融資産っていうのは、そういう現物資産に対する請求権みたいなものだったんですね。銀行の金庫にある金とか、文字通り、船とか船に積まれた貨物のシェアとか。

でもね、金融が進化するにつれて、金融と現物のつながりが、だんだん薄れてきたんですよ。株っていうのは、資産のシェアじゃなくて、事業の収益に対する請求権になったり、ローンが取引されたり。通貨も、昔は金貨とか銀貨だったけど、今は銀行とか政府の債務になったり。企業は金融機関からお金を借りるだけじゃなくて、社債を発行して、もっと多くの人からお金を集めることもできるようになりました。で、その社債も、証券市場で取引されるようになったりして。

信用格付け会社っていうのも、もともとは企業の信用力を評価して、取引先とか顧客に情報を提供するのが仕事だったんだけど、社債の品質を評価するようになって、投資家の役に立つようになったりとか。Fitch とか Moody's とか Standard & Poor's みたいな会社が、この市場をほぼ独占してるんですよね。オーストラリアとかカナダ、ドイツ、スイスの政府とか、Johnson & Johnson みたいな会社は、最高の AAA 評価を得てますけどね。イギリスとかアメリカの政府みたいな、信用力が低い借り手の債券も、まだ「投資適格」って評価されてますけどね。投資適格の基準を満たさない有価証券は、「ジャンク」って呼ばれたりします。

19世紀の終わりまでには、イギリスの個人向け銀行業務は、Barclays とか Lloyds みたいな、いくつかの金融機関に集約されてたんですよね。スコットランドは、まだ別だったみたいですけど。投資銀行っていう、貿易とか大企業とか政府に資金を提供する、上品な世界と、個人向け銀行っていう、各地に支店が必要な、庶民的な活動の間には、明確な区別がありました。20世紀の前半、ロンドンのシティの投資銀行は、紳士的な雰囲気だったみたいで。Baring とか Rothschild 一族の跡継ぎは、もはや部外者ではなくて、貴族にまでなってたんですよね。投資銀行家は、主にパブリックスクール出身で、大学に行かずに軍隊に入ってた人も多かったりして、朝遅く出勤して、高級ワインを飲みながら、長いランチを楽しんだりとか。証券ブローカーは、もっとその傾向が強かったみたいですね。頭の良さ、特に数学的な頭の良さは、あまり評価されなかったりして。勤務時間も短くて、仕事量も少なかったみたいです。当時の活動の多くは、今ではインサイダー取引として、違法とみなされるでしょうね。

アメリカでは、州をまたいだ銀行業務に対する制限があったから、イギリスみたいに個人向け銀行業務の統合が進まなかったんですよね。でも、J.P. Morgan とか National City Bank みたいな、ニューヨークの大手銀行は、アメリカ国内だけでなく、国際的にも強力になったりして。ウォール街の株価大暴落を受けて、1933年に制定された Glass-Steagall 法っていうのがあって、商業銀行と投資銀行の分離が義務付けられたんですよ。それで、J.P. Morgan の投資銀行部門が Morgan Stanley に分離されたりとか。ヨーロッパ大陸のユニバーサルバンクは、フランスとかドイツとか、証券市場がアングロサクソン諸国ほど発達してない国で、産業に資金を提供したりして。小規模な地域銀行が、Crédit Lyonnais とか Deutsche Bank みたいな、全国的な金融機関と共存してたみたいですね。

で、ベンチャーキャピタルっていうのが出てくるんですけど。19世紀から20世紀のほとんどの間、新しいビジネスを始めるには、店舗とか設備とか機械を購入するためのお金が必要だったんですよね。地元の銀行の支店長は、起業家の人となりとか適性を見極めて、事業資産とか自宅を担保に要求したりとか。そのモデルは、今でも多くの小規模ビジネス、特に私が「trades」と呼ぶビジネスには当てはまりますけどね。

でも、20世紀の後半になると、この慣行が変わってくるんですよ。固定資産をほとんど必要としないけど、何年も赤字が続く可能性が高いスタートアップには、担保付きの融資は適してなかったんですよね。起業家はエクイティ投資を求めるようになったんだけど、銀行はそれを提供しなかったんですよね。そして、小規模ビジネスとか地元の起業家を支援するっていう、従来の役割から撤退してしまったんですよ。必要な資金の一部は、「エンジェル」と呼ばれる、Mike Markkula みたいな、裕福な個人から提供されたりとか。彼は、Steve Jobs と Steve Wozniak がガレージで Apple コンピュータを組み立ててた時に、10万ドルを提供したんですよね。でも、エンジェルの恵みを補完するために、専門の企業が出てくるようになったりして。

シリコンバレーの名声と成功は、Sequoia Capital とか Kleiner Perkins みたいな、ベンチャーキャピタルハウスの活動によって、大いに促進されたんですよね。Sequoia は、Apple と Google の最初の外部資金提供者だったし、Kleiner は Amazon と Netscape の資金提供者だったりとか。これらのシードマネー投資は、経済的に重要だったし、このようなケースでは、投資家にとって非常に儲かるものだったりとか。ベンチャーキャピタル企業のビジネスモデルは、支援する多くの新しい企業が失敗することを予想してて、このような成功例が、それを十分に補償することを期待してるんですよね。

ただ、ベンチャーキャピタルが全部成功したわけじゃなくて、2000年代初頭のドットコムバブルを引き起こしてしまったりとか。でも、Microsoft の Internet Explorer がその1年後に導入されて、2003年までに Gates の会社は、ブラウジング市場で 95% のシェアを獲得したんですよね。当時苦戦してた Netscape は、AOL に買収されたんだけど、その後、Time Warner との悲惨な合併に関与したりとか。Netscape ブラウザは、2008年以降アップデートされてないんですよね。ビジネスとしては失敗したけど、Kleiner Perkins は、500万ドルの投資を 4億ドルで現金化することができたんですよね。

このようなベンチャーキャピタルファンド、それから後述するプライベートエクイティファンドとかヘッジファンドは、通常「リミテッドパートナーシップ」として構成されてるんですよね。ベンチャーキャピタルのマネージャーは、「ジェネラルパートナー」で、通常ファンドの株式にお金を払わないけど、収益の一部を受け取る権利があるんですよね。「キャリードインタレスト」っていう慣行ですね。「リミテッドパートナー」は、影響力と責任の両方において限定的で、通常は裕福な個人、年金基金、大学の基金みたいな慈善団体だったりとか。キャリードインタレストは、税制上の優遇措置があって、非常に儲かる可能性があるんですよね。Airbnb の IPO では、Sequoia のキャリードインタレストは、約 150億ドルの価値があったりとか。言葉とは違って、投資の失敗に伴うリスクは、リミテッドパートナーが負うことになります。キャリードインタレストに起こりうる最悪の事態は、利益が出ないことですよね。したがって、この取引は、主催者側が勝てば利益を得て、投資家が負ければ損失を被るっていう性格を持ってるんですよね。

さらに、証券化っていうのが出てくるんですけど。ローンと債券の境界線は、常に曖昧だったんですよね。銀行は長年、大規模なローンをシンジケートして、その一部を他の金融機関に売却してたし、名目上取引可能な債券も、実際にはそうでないことが多かったりとか。債券の発行は、イギリスとアメリカでは、ヨーロッパ大陸よりも一般的だったんですよね。ヨーロッパ大陸では、銀行融資が主流だったりとか。欧州委員会とか欧州中央銀行みたいな機関は、ヨーロッパでの債券の利用を促進しようと熱心だったんだけど、その圧力は、実業家からのニーズよりも、金融家の願望から来てるみたいですね。

これらの境界線は、1970年代にアメリカで始まった証券化の台頭によって、さらに曖昧になったんですよね。ローンのパッケージが、債券として販売されたり、取引されたりとか。さらに洗練されたのは、パッケージ内で複数のトランシェ(階層)を作ることなんですよね。シニアトランシェは、返済に対する第一請求権を持ち、ジュニアトランシェは、残りのものを受け取るっていう。大手格付け機関は、これらの異なるトランシェが提供するセキュリティについて判断を下すんですよね。

これらの商品を考案した銀行家は、格付け機関が債券の信用リスクを評価するために使用するモデルの弱点を見抜くのが上手になったんですよね。高度な金融エンジニアは、怪しげな有価証券に対して、有利な格付けを確保することができたんですよね。彼らはまた、Timberwolf とか Abacus の取引みたいに、騙されやすい買い手に商品を販売するのも上手になったりとか。購入者は、規制当局によって「適格なカウンターパーティ」として識別されるのに十分な知識があり、一般大衆に販売できるものに対する多くの制限があるんだけど、それでも、回避するのに十分な知識がない人を探してたみたいですね。これらの資産担保証券(ABS)とか、債務担保証券(CDO)に加えて、関連する有価証券がデフォルトした場合に支払いを行う、クレジットデフォルトスワップ(CDS)っていうのもあったりとか。これらのスワップは、有価証券を保有している場合は保険として機能し、保有していない場合は賭けとして機能したんですよね。「ネイキッドショート」っていうのは、自分が所有してない資産に対して賭けることなんですよね。これは、2008年に炎上した、危険な略語の組み合わせだったんですよね。

Drexel Burnham Lambert の Michael Milken は、「ジャンク債」の発明者として知られてます。債券は、発行した企業とか政府が倒産した場合に、高い利回りと低い信用格付けを持つ「ジャンク」になることが多かったんだけど、ジャンク債は、発行された当初から、高いデフォルトリスクと、それに見合った高い利回りを持つことを意図してたんですよね。Milken のアイデアは、個人とか金融機関が少額の資本を出資して、多額のジャンク債融資の助けを借りて、大規模なビジネスを買収できるっていうことだったんですよね。その債務は、買収されたビジネスの資産と収益を担保にされることになってたんですよね。ジャンク債は、債務とエクイティの従来の区別を、さらに曖昧にしたんですよね。

アメリカは、商品先物近代化法(2000年)を採択して、これらの商品をアメリカの規制から除外したんですよね。Potts 氏は、体調が優れず、早期に退職してオックスフォードで歴史を学んだけど、自分が引き起こすのを手伝った大惨事を見るのに十分なだけ生きたんですよね。

で、金融コングロマリットっていうのが出てくるんですけど。1960年代は、多くの変化の先駆けだったんですよね。ユーロダラー市場の設立から始まった金融の国際化は、広範囲に及ぶ影響をもたらしたんですよね。そのプロセスの多くは意図されてなかったりとか。このプロセスは、しばしば「規制緩和」って表現されるけど、実際には、今日では 50年前よりも、金融サービスに対する、はるかに多くの詳細な規制が存在するんですよね。

金融がグローバル化するにつれて、イギリスとアメリカの政策が市場の自由化に向かうにつれて、個人向け銀行は、より多くの業務上の自由を認められるようになったんですよね。イギリスの規制改革は、「ビッグバン」として一般的に知られてて、1986年に発生したんですよね。アメリカでは「ビッグバン」はなかったけど、1975年の「May Day」は、同様に固定株式取引所手数料を廃止したし、Glass-Steagall 法による個人向け銀行と投資銀行の分離は、着実に緩和されて、1999年に Sandy Weill の無限の野心を受け入れるために、最終的に廃止されたんですよね。銀行はどこでも国際的に事業を展開しようとして、アメリカとかヨーロッパ大陸の銀行は、ロンドンに大規模な拠点を設立して、Goldman Sachs と Nomura は、ロンドンに最初のオフィスを開設した会社の1つだったりとか。資本力があり、より重要なことには、大規模な預金ベースと、これらの預金を支える暗黙の国家保証の恩恵を受けてた個人向け銀行は、投資銀行を買収したんですよね。Deutsche Bank は、由緒ある Morgan Grenfell を買収したし、Swiss Bank Corporation(現在は Union Bank of Switzerland、UBS に合併)は、新興企業の S.G. Warburg を買収したんですよね。投資銀行の貪欲で賢いディールメーカーとかトレーダーは、すぐに新しいコングロマリットビジネスの全体的な支配権を、個人向け銀行家から奪い取ったんですよね。ディールの時代が幕を開けた、と。

ふう、ちょっと長くなっちゃったけど、今日はこの辺で終わりにしようかな。また次回、よろしくお願いします。

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