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えーっと、今回はですね、チャプター7ということで、まあ、その、なんとなくこう、気が滅入る、こう、鬱々とした状態、ありますよね?あれについてお話していこうかな、と。
まず最初に、その、ポールっていうね、男の子の話が出てくるんですけど。彼が中学1年生になった時、ええと、まあ、コロナ禍の影響で、週に数時間しか学校に行けなかったんですね。小学校の卒業式もなかったし、夏休みも、新しい学校のオリエンテーションも全部キャンセル。だから、新しい友達を作るチャンスもほとんどなくて、先生の笑顔もマスクで見えなかったりして、なんかこう、希望が見えない感じだったみたいです。
で、中学2年生になると、ポールは友達とちょっとした悪ふざけを始めるんですね。廊下で騒いだり、授業中に勝手に喋ったり。最初は、まあ、よくあることかなって、親御さんも思ってたんですけど、だんだんエスカレートしていくんですよ。TikTokで流行ってるいたずらを真似したり、備品を壊したり、喧嘩したり。成績もどんどん下がってきて、オールAだったのが、Cの評価もちらほら見られるようになってきて。
家でも、ずっと自分の部屋に引きこもって、親ともほとんど話さない。話しかけても、フードを被って、目を合わせようともしない。学校から帰ると、すぐにベッドに潜り込んで、宿題をすると言いながら、全然やってないみたいなんですよね。お母さんが言うには、まるで人形みたいに、動く気力がないように見えた、と。まあ、そりゃあ、心配になりますよね。
そういう孤立感から、ポールは今まで考えられないような行動に出るようになるんです。ある日、SNSに学校に銃を持っていくっていう書き込みをしたんですよ。もちろん、それはただの冗談だったんですけど、学校は大騒ぎになって、彼は退学処分になっちゃったんですね。
彼の両親は、一体どうしてこんなことをしたんだろうって、すごく悩みました。ポールは、誰かに気づいてほしくて、助けを求めていたんじゃないかって、気づいたんです。表面的には反抗的な態度をとっていたけど、本当は無力感とか、無意味感を感じていたんじゃないかって。今の子供たちは、SNSとかで常に他人と比べられて、自分らしさを見失いがちですよね。そんな中で、自分が社会に貢献できるって思えることとか、温かい人間関係を築くこととか、すごく難しくなってるんじゃないかな。
こういう状態って、何も感じないよりは、先生に怒られたり、親に叱られたり、退学になったりする方が、まだマシだって思ってしまうのかもしれませんね。
で、この「なんとなく気が滅入る」っていう状態は、特に、思春期、青年期、そして高齢期の3つの時期に起こりやすいみたいです。思春期は、体の変化とか、人間関係とか、色々なことで悩む時期ですよね。青年期は、仕事とか、結婚とか、将来について考える時期だし。高齢期は、大切な人を亡くしたり、体が不自由になったりして、色々失うものが多い時期です。
じゃあ、幼い子供はどうなのか?2歳の子が、心の空虚感を感じるなんて、ちょっと想像しにくいですよね。でも、研究によると、幼い子供でも、「成長の失敗」っていう状態になることがあるみたいです。まあ、簡単に言うと、精神的な発達が遅れてしまうっていうことなんですけど。例えば、表情が乏しかったり、親にべったり甘えたりするっていう症状が出ることがあるみたいです。
最近、若い世代のメンタルヘルスが悪化しているってことで、幼い子供の心の状態にも注目が集まってるんですよね。アメリカの国勢調査局が行った調査では、1歳から5歳までの子供の63%が「成長している」と判断されたみたいです。親に「すぐに立ち直るか」「愛情深いか」「好奇心旺盛か」「よく笑うか」っていう質問をして、全部「いつも」か「よく」と答えたら、「成長している」とみなされるみたいです。
でも、裏を返せば、4割近い子供が、そうじゃないってことですよね。立ち直りが遅かったり、親との繋がりが薄かったり、無関心だったり、笑わなかったり。特に、病気とか、発達障害とか、情緒的な問題を抱えている子供とか、貧困家庭の子供に多いみたいです。
幼い子供は、本来、成長する力を持ってるはずなんですけど、それを育むためには、社会全体のサポートが必要なんですよね。親が複数の仕事を掛け持ちしてたり、育児休暇が取れなかったり、親戚とか、友達とか、地域の人たちが、みんな余裕がなかったりすると、子供の成長を支えることが難しくなってしまう。公園とか、図書館とか、家族で過ごせる場所が少なかったりするのも問題ですよね。
次に、10代の話なんですけど。最近の10代は、色々なことに悩んでるんですよね。
「何を信じればいいのか?」
「どうやって自分の意見を言えばいいのか?」
「なぜ、友達と違うんだろう?」
「ありのままの自分でいると、友達を失うかもしれない」
「良い友達でいられているか?」
「自分の性的指向は?」
「親の鬱の責任を感じる」
「大学に行かないと成功できないのか?」
「地球温暖化を止めるには、どうすればいいのか?」
こんなことを考えて、すごくプレッシャーを感じてるみたいです。12歳から14歳くらいの若い10代は、特に注意が必要みたいです。自傷行為をしたり、問題行動を起こしたりする子が増えるみたいなんですよね。大人が気づかないうちに、学校をサボったり、お酒を飲んだり、タバコを吸ったり、薬物に手を出したり。
友達からのサポートがないと、特に危険みたいです。孤独を感じる10代が、この10年で2倍近くに増えてるっていうデータもあるんですよ。友達が家に招待してくれたり、学校で会えないと寂しいと言ってくれたり、秘密を打ち明けてくれたり、チームに誘ってくれたりするっていう経験が少ないみたいなんです。自分探しとか、自尊心の低さとか、自意識過剰とかで、友達との関係を築くのが難しくなってるのかもしれませんね。
1999年にアメリカのジョージア州で、10代の若者の間で性感染症が流行したっていう事件があったんです。一見、裕福で恵まれた家庭の子たちが、グループセックスとか、アルコール依存症とか、薬物依存症に陥っていたんですね。専門家たちは、その原因を探した結果、若者たちが孤独を感じていて、心の空虚感を埋めようとしていたっていうことに気づいたんです。
親たちは仕事で忙しくて、子供たちの物質的な欲求は満たせていたけど、精神的な欲求は満たせていなかった。11歳から13歳までの子供を対象にした調査では、親との関係が良好でない子供ほど、憂鬱な気分になりやすいっていう結果が出てるんです。親が自分のことを気にかけてくれたり、悩みを聞いてくれたり、意見を聞いてくれたり、一緒に決めてくれたり、安全だと感じさせてくれたりすることが、すごく大切なんですよね。
一方で、親との良好な関係は、精神的な問題を予防する効果もあるんです。共感力とか、感情のコントロールとか、問題解決能力とか、目標設定とか、将来への希望とか、色々な良い影響があるみたいです。親も、子供の世界に踏み込むのは難しいかもしれないけど、できる限り寄り添ってあげることが大切ですよね。
大学生になるとどうなるか?大学生のタラルは、大学時代に「YouTube中毒」になったそうです。ベッドから出たくなくて、ずっとYouTubeを見ていたけど、全然気分が良くならなかった。むしろ、時間を無駄にしたっていう罪悪感を感じていたみたいです。高校時代は、親から将来についてプレッシャーをかけられていたけど、大学に入っても、まだ何をしたいのか分からなかった。天文学は数学が多すぎるし、コンピューターサイエンスは子供の頃からプログラミングをしている人ばかりだし。自分のエネルギーをどこに向ければいいのか分からなくて、何も決められずに、立ち往生していたみたいです。
3年生になると、一人暮らしを始めたけど、ますます引きこもるようになってしまった。誰とも連絡を取らずに、何日も部屋から出ないこともあった。食事はデリバリーで済ませて、授業はオンラインで受けて、ひたすらYouTubeを見ていた。
親たちは、子供が大学に入ったら、良い教育を受けて、幸せになってほしいと願っています。でも、幸せばかりを追い求めるのは危険かもしれません。機能不全を起こしているのに、良い気分でいるだけでは、問題は解決しない。親が子供の気持ちばかりを気にしていると、もっと大切なことを見落としてしまうかもしれない。
家族の成績表とか、親からの期待とか、過度なプレッシャーは、子供の心を蝕んでしまう可能性があります。完璧主義とか、摂食障害とか、不安とか、自傷行為とか、鬱とか、色々な問題を引き起こす可能性があるんです。
今の大学生は、ものすごいプレッシャーを感じています。大学入学のための競争、卒業後の就職活動、経済的な不安。2013年から2021年の間に、大学生の鬱病の割合は135%増加し、不安の割合は110%増加したっていうデータもあります。6割以上の大学生が、精神的な問題を抱えているっていうことなんです。
大学生に「孤独を感じるか」っていう質問をしたところ、6割以上が「時々」または「よく」と答えたそうです。友達はいても、孤独を感じるっていう人も多いんですよね。親密で意味のある繋がりを持つことが、すごく大切なんです。
大学生は、社会貢献とか、他人を受け入れることよりも、幸せとか、満足感とか、興味を持つことの方が大切だと思っているっていう調査結果もあります。感情的な幸福が一番大事で、心理的な幸福、社会的な幸福っていう順番みたいです。過去数十年間、ポジティブ心理学の研究は、感情的な幸福に焦点を当ててきたので、当然の結果かもしれません。でも、それだけでは、憂鬱な気分になってしまう可能性があるんですよね。
大学は、学生の精神的な成長を大切にするべきです。入学時の成績だけじゃなくて、卒業時にどれだけ成長したかっていうことも評価するべきだと思うんです。学生が卒業するときに、幸せを感じて、社会に貢献したいと思えるように、大学はサポートするべきです。
大学のランキングには、教授と学生の比率とか、学費とか、卒業生の寄付率とか、初任給とかが載ってるけど、カウンセラーと学生の比率とか、精神疾患の診断数とか、自殺未遂の数とか、精神的な理由での退学率とかは載ってないですよね。そういう情報も、親は知る権利があると思うんです。大学は、学生の心の健康を改善するために、もっと努力するべきです。
鬱々とした状態は、学生の能力を低下させてしまう可能性があります。医学部の学生を対象にした調査では、憂鬱な気分になると、自殺願望を抱いたり、退学したり、不正行為をしたりするリスクが高まるっていう結果が出ています。例えば、試験中に他の学生の答案を盗み見たり、他の学生の成果を自分のものにしたり、検査を依頼していないのに、結果を正常と報告したり、自分のミスを認めなかったり。
目的意識とか、帰属意識とか、社会貢献意識が低いと、自分のミスを認めることが難しくなってしまうんですよね。医学部の学生たちは、臨床研修を受けるために、一生懸命勉強してきたはずなのに、憂鬱な気分になると、キャリアを諦めてしまうことを考えてしまう。
学校を卒業して、社会に出るとどうなるか?20代、30代、40代の若い世代は、キャリア、結婚、子育てなど、未知の領域に次々と挑戦していくことになります。この時期も、憂鬱な気分になりやすいみたいです。
人それぞれ、ストレスとか、トラウマとか、コミュニティとか、性格とかが違うので、悩みもそれぞれ違うと思います。でも、共通する悩みもありますよね。例えば、日々のストレスがどんどん溜まっていくとか。
特に、母親は、育児の負担が大きくて、孤独を感じやすいので、鬱々とした気分になりやすいみたいです。出産後鬱病は、深刻な問題として認識されていますが、出産後憂鬱症にも注意が必要です。スペインで行われた調査では、参加者の4割が出産後憂鬱症を経験していて、出産後鬱病よりも、母親としての自信を失いやすいっていう結果が出ています。母親としての自信がないと、子供との愛着形成がうまくいかなかったり、母親としてのアイデンティティを見つけられなかったり、育児を楽しめなかったりする可能性があります。自己肯定感とか、柔軟性とか、回復力とか、パートナーや家族からのサポートが、出産後憂鬱症を予防する効果があるみたいです。
子供が成長するにつれて、育児は楽になるどころか、ますます難しくなってきます。例えば、子供のための学校選びは、時間も労力もかかるし、ストレスも大きい。税金の申告とか、ニュースのチェックとか、ソフトウエアのアップデートとか、パスワードの変更とか、色々な雑務に追われて、余裕がなくなってしまう。
ストレスに囲まれて、日常を楽しむことが難しくなって、自分の人生の選択を疑問に思ってしまう人もいるかもしれません。住む場所、パートナー、仕事、友達、ワークライフバランス、色々なことを後悔してしまう。仕事のために、大切な人間関係を犠牲にしてしまったかもしれない。もう手遅れだって思ってしまう。成功するために頑張ってきたのに、結局、何も満たされない。
人生の意味を見失ってしまうと、過去の楽しかったこととか、感動したこととかを思い出せなくなって、ますます落ち込んでしまうことがあります。
仕事についても、興味深い現象が起きています。給料とか、労働時間に関係なく、仕事によるストレスを感じている人が増えているんです。労働時間自体は、昔と比べて、そんなに変わってないのに。
平均労働時間っていうのは、あくまで平均であって、実際には、長時間労働をしている人もいれば、短時間労働をしている人もいます。高収入の仕事をしている人は、昔よりも労働時間が増えていて、低収入の仕事をしている人は、労働時間が減っている傾向があります。
どちらのグループも、ストレスを感じています。長時間労働の人は、仕事を持ち帰ったり、休日出勤したりして、休む暇がない。短時間労働の人は、仕事が見つからなかったり、収入が少なかったりして、生活が苦しい。
憂鬱な状態の人は、そうでない人に比べて、年間6日多く仕事を休むっていうデータもあります。また、仕事中に集中できなかったり、早く帰ったりするっていう「プレゼンティーイズム」っていう現象も、憂鬱な状態の人が多いみたいです。
ストレスの多い環境でも、精神的に健康な人は、鬱々とした気分になりにくいっていう研究結果もあります。職場の同僚からのサポートがあると、ストレスを軽減できるみたいです。お互いに助け合ったり、励まし合ったり、温かい雰囲気を作ったりすることが大切ですよね。
ストレスは、憂鬱な気分になるための必須条件なのか?
有名なテレビ番組で、司会者が「素敵な家があって、健康な子供がいて、優しい夫がいるのに、何か物足りないと感じることはありませんか?心のどこかに穴が開いているような気がして、『これが全てなのか?』って思ってしまうことはありませんか?」って質問をしたことがあったんです。
番組に出演した女性たちは、満たされない気持ちを語っていました。結婚生活がうまくいっていても、子供が健康でも、仕事があっても、良い家に住んでいても、何か満たされない。魂の奥底に、空虚感がある。
ある女性は、「食べ物とか、お金とか、愛とか、セックスとか、自己啓発とか、色々なもので、その空虚感を埋めようとしたけど、結局、何も満たされなかった」って言っていました。
また、別の女性は、「まるで飛行機に乗って、滑走路の上空を旋回しているみたい。危険な状態ではないけど、いつ着陸できるのか分からなくて、不安になる。周りの状況に敏感になって、色々なことが気になってしまう。退屈な日常が続いて、本当にやりたいことができなくて、イライラする」って言っていました。
彼女たちは、客観的に見れば、恵まれた生活を送っているけど、人生の充実感を感じていない。それは、期待しすぎなのでしょうか?この混沌とした世界で、充実した人生を送ることは、不可能なのでしょうか?充実した人生っていう言葉を聞くと、幸せなイメージを抱いてしまうかもしれないけど、全ての要素が揃っていなくても、充実した人生を送ることはできるんです。
人生の目的とか、自己肯定感とか、帰属意識とかは、人間が生きていく上で必要なものですよね。高い期待を持つことが問題なのではなくて、もっと基本的な欲求が満たされていないことが問題なのかもしれません。
老年期になると、どうなるか?人生の充実感は、60歳から65歳くらいでピークを迎えることが多いみたいです。色々なストレスが減って、自分の時間が増えるからかもしれません。でも、同時に、人生の目的とか、社会貢献意識は低下していく傾向があります。75歳を過ぎると、また鬱々とした気分になる人が増えてくるみたいです。
寿命が延びて、長生きする人が増えているから、当然かもしれません。高齢者の鬱々とした気分は、糖尿病とか、高血圧とか、脳卒中とか、癌とか、心臓病とか、命に関わる病気よりも、便秘とか、痔とか、腰痛とか、睡眠障害とか、足の怪我とか、命に関わらないけど、痛みとか、恥ずかしさとか、不自由さを感じる病気が原因であることが多いみたいです。
私の親戚の88歳のおじいさんは、飛行機に乗るのが怖くて、私の家に遊びに来なくなってしまいました。昔はよく来てくれたんですけどね。飛行機の中で失禁してしまうんじゃないかって、心配なんだそうです。それで、会う機会が減ってしまって、寂しい思いをしています。
高齢になると、他人と直接会う時間が減ってしまうんですよね。1日に数時間しか、誰とも話さないっていう人もいるかもしれません。
でも、良いこともあります。高齢になるにつれて、人間関係がより親密で満足のいくものになる傾向があるんです。社会的な繋がりを減らして、その分、質の高い人間関係を築こうとする人もいます。
終わりを意識することで、本当に大切なものが見えてくる。若い頃は、時間がたくさんあると思って、何も考えずに過ごしてしまうけど、人生の終わりが近づいてくると、自分の人生が自分の価値観に合っているかどうかを真剣に考えるようになる。他人との交流も、感情的に満足できるかどうかで判断するようになる。嫌な人とは付き合わなくなるし、尊敬できない人とは時間を過ごさなくなる。
また、高齢になるにつれて、人間関係のトラブルを回避する能力も高まるみたいです。夫婦は、お互いを傷つけないように、デリケートな話題を話し合う方法を学ぶ。
充実した人間関係を築くためには、平等な関係とか、感情的な親密さとか、年齢とか、階級を超えた繋がりが大切です。高齢になっても、人生の目的を持って、社会に貢献している人は、長生きするだけでなく、より意味のある人生を送ることができる。
憂鬱な気分は、かつて罪とされていた。
カトリックの少年だった頃、私は毎週土曜日に教会に行って、自分の罪を告白していました。幸せは、自分の罪を洗い流して、お祈りを捧げた後にしか訪れないと教えられていました。
私は、自分が空虚だと感じているとか、憂鬱だと感じているとか、告白したことは一度もありませんでした。でも、それも告白するべきだったのかもしれません。特に悪いことをした週は、良い行いをしなかったから、心に空虚感を感じていました。良いことをした週は、満足感と誇らしさを感じて、日曜日に神父様の助手をしているときも、輝いているように見えたと思います。
憂鬱な気分は、かつては「第八の罪」と考えられていたんです。もちろん、憂鬱な気分は、罪なんかではありません。私たちは、虚栄心とか、嫉妬とか、暴飲暴食とか、肉欲とか、怒りとか、強欲とか、怠惰とか、色々な罪を知っています。でも、昔は、「アケディア」っていう、憂鬱な気分を表す言葉も、罪の一つと考えられていたんです。
アケディアは、ギリシャ語の「アケーディア」っていう言葉から来ていて、人生とか、自分自身に対する無関心っていう意味です。初期のキリスト教の修道士は、アケディアを、修道生活から離脱させようとする、落ち着きのない退屈として説明しました。初期のシリアの作家は、アケディアを、絶望的な精神と同一視し、4世紀のキリスト教の神秘家は、アケディアを、心の疲労として説明しました。アケディアと呼ぶか、憂鬱症と呼ぶかは別として、それは、あなたが最高の気分でいられないようにしたり、最高のパフォーマンスを発揮できないようにしたり、自分の状況を変えることができないようにしたりするものです。
アケディアは、6世紀に教皇によって、罪のリストから削除されました。でも、アケディアは、歴史を通じて、様々な階層の人々を苦しめ続けました。
憂鬱な気分は、昔と同じように、今でもあなたにとって悪いものです。憂鬱な気分は、罪なんかではなく、個人的な問題であり、世界的な公衆衛生上の問題なんです。