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Calculating...

えーっと、今回はですね、変化のスピードに合わせて学ぶっていう、そういうお話をちょっと、してみようかなと、思います。

あの、ある人が言ってて、オートメーション化が進むと、労働者が産業から離れる一方で、学習そのものが、ね、主要な生産活動、そして消費活動になるんだ、みたいなことを言ってるんですよね。で、また別の人が、知識労働者の生産性にとって最も重要な要素として、継続的なイノベーションと、継続的な学習を挙げてて。

いやー、本当に、周りの世界って、常に変化してるじゃないですか。小さい変化もあれば、大きい変化もあって。で、どんな変化であれ、知識のギャップが生じるから、脳はそれを学習で埋めるんですよね。ただ、今は、今までとは違う、人類史上、かつてない時代に突入してて。変化のスピードが、脳の学習速度を上回ってる、っていう状況なんです。

ある人がね、テクノロジーの進歩の速度が、人間の適応力を上回ってしまった、って説明してて。グラフでそれを表すと、人間の適応力は、緩やかな右肩上がりの線で、テクノロジーの進歩は、最初は下にあった線が、人間の適応力の線を追い越して、その後、急激に、指数関数的に上昇していく、みたいな感じになるんだって。で、まさに今、その交差点を超えたところなんだ、と。テクノロジーの曲線がどんどん進んでいくから、新しい状況とか、製品とか、情報とか、問題とかが、めまぐるしい速さで、目の前に現れる、っていう状態なんですよね。

昔は、学校とか大学で得た知識って、一生ものだったじゃないですか。でも今は、数年で obsolete、つまり、時代遅れになっちゃうリスクがある。実際、僕も、眼科医として、そういう経験をしてて。資格試験に合格したときには、OCTっていう、眼の検査の技術が、まだ試験範囲に入ってなかったんですよ。でも、数年後には、OCTを使いこなせるのが、眼科医として、もう必須スキルになった、みたいな。肺の専門医が胸部X線写真の読み方を知ってるのと同じくらい、当たり前のことになったんですよね。

だから、テクノロジーの急上昇についていくためには、生涯にわたって、スキルをアップデートして、知識を広げていく必要があって。成功と失敗を分けるのは、もう、学校教育だけじゃなくて、卒業後も学び続ける能力なんだ、と。進化の過程で、学習能力の高い人が選ばれて、学習能力の低い人が淘汰される、みたいな。で、「やる気」の差が、今まで以上に重要になる、って言われてますよね。

AIがアシストしてくれる時代の学習は、常にシラバスが変わる試験勉強みたいなものになるかもしれない。常に目標はあるんだけど、その目標が、絶え間なく変化していく、みたいな。時には、新しいスキルを学んだり、新しい情報を学んだり、複雑な概念やアイデアを学んで、それを記憶したり、みたいな。それぞれの学習タイプに合わせて、ギアを切り替えることで、効率的に学習できるようになると思うんですよね。

今の知識社会で、面白いことの一つは、学ばなきゃいけないのは、知識労働者だけじゃない、ってことなんです。ツールも学んでるんですよね!多くのAI技術は、継続的な学習を通して、自分自身を改善していくから。もし、AIの学習速度が、自分の学習速度を上回ってしまうと、AIの方が、自分がAIの使い方を学ぶよりも早く変化しちゃう、みたいな。大規模言語モデルとかが、いい例ですよね。前のモデルをマスターする前に、新しいモデルが出てきちゃうから、従来の学習方法を捨てて、実際に飛び込んで、仕事を通して学ぶ、っていうやり方に慣れていくしかないんですよね。

以前に、未知のものに直面したときに感じる、あの不快な緊張感は、脳の神経ネットワークが活性化して、ノルエピネフリンが放出されるときに感じるものだって、言いましたよね。でも、あのノルエピネフリンの急増は、学習を促進する効果があるから。つまり、慣れないこととか、予期せぬ状況に直面したときに感じる不快感は、脳が学習能力を最適化しようとしてるサインなんです。

もし、不確実性が高すぎて、不快感が過剰になってしまうと、脳はギア3に入ってしまって、新しい情報とか、アイデアとか、概念とかを、確実に学習できなくなってしまう。高いエネルギー状態のギア2ゾーンに留まることができれば、仕事を通して学ぶ能力が、飛躍的に向上すると思うんですよね。

ある人が、大手IT企業に新卒で入社したとき、システムとか、ライブラリとか、デザインパラダイムとか、何もかもが、恐ろしいほど新しくて、慣れなくて。コードがどんな仕組みになってるのか、完全に理解するまで、コードを修正するのが怖くて、なかなか仕事が進まなかったんだって。3週間後には、上司に、仕事をしてないって怒られてしまって。で、彼は、思い切って、知識が少ないまま、飛び込んでみることにしたんだって。で、コードを読んで、一番馴染みのあるところから、小さな変更を加えてみた。そしたら、コードが壊れなかった。少しだけ勇気が出た彼は、もう一度、今度は、少し範囲を広げて、未知の領域に踏み込んでみた。でも、やっぱり、何も壊れなかった。彼は、そうやって、新しいことに挑戦するたびに、スピードを上げていったんだって。振り返ってみると、資料を読んだり、コードを勉強したりするよりも、ずっと早く、スキルを習得できたって言ってましたね。

また別の人が、初めてマネージャーになったとき、自分の専門外のプロジェクトを任されたんだって。しかも、新しいチームで、まだ誰も自分のリーダーシップを信頼してくれてなかった。彼は、飛び込むしかなかったから、まず、自分が慣れてるプロジェクトとの共通点を探した。データ収集とか、人材管理とか、コミュニケーションとか。それらを一つずつ、着実にこなしていったんだって。その結果、自信がついて、未知の領域にも挑戦できるようになった。そして、徐々に知識の土台を広げていったんだって。彼は、効率は悪くても、自分のスキルが最大限に活かせる分野から始めて、達成感を得ながら、他の分野を成長させていく方が、ずっと良いって言ってましたね。

AIの時代には、ツールの方が自分より早く学習するから、未知の領域に飛び込む方法、そして、そのプロセスを心地よく感じることが、非常に重要なスキルになると思います。そのスキルは、どんな状況でも、どんな仕事でも応用できるし、恐れずにそれができれば、大きな advantage、つまり、有利な立場になれると思うんですよね。

情報を学ぶっていうのは、必要な情報を手に入れて、それを一時的なメモリーの棚に置いて、長期記憶に整理されるまで、保持するみたいなイメージなんです。

学習する上で、注意力を管理するっていうのは、すごく重要で。注意を払ってない情報は、頭に入ってこないから。学習中に、気が散ってしまってると、情報がそもそも頭に入ってこない。だから、単純な事実とか、概念とか、情報を学ぶのは、ギア2の状態が一番いいんですよね。

一時的な棚に情報を置いたら、他の新しい情報とか、面白いアイデアとかで、気が散らないように注意する必要がある。じゃないと、せっかく覚えた情報が追い出されちゃう可能性があるから。何かを学んだ直後に、ちょっとだけ意識を内側に向けたら、この追い出しリスクを軽減して、学んだことを思い出すのに役立つ可能性があるんですよね。ウォーキングをすると、周りのものに注意が向かなくなるから、単語とか、事実を覚えるのに役立つ、っていうのも、そういうことなのかもしれない。

少し時間が経って、追い出しリスクがなくなったら、ギアを上げるような合図に注意を向けると、新しい知識を定着させるのに役立つかもしれない。ノルエピネフリンを増やして、学習を促進する効果もあるのかな。ある実験で、単語リストを覚える必要があった人が、その後、刺激的なビデオを見たグループは、見なかったグループよりも、次の日に多くの単語を覚えていたんだって。別の実験では、心理学の講義を受けた学生が、その後、面白いビデオクリップを見たグループは、2週間後のテストで、見なかったグループよりも良い成績を収めたんだって。

フランスの研究チームが最近、脳が大量の認知負荷をかけるときには、糖(グルコース)だけでは燃料として十分ではない可能性があることを示したんだって。大量の情報を処理するには、第二の燃料である乳酸が必要なんだって。運動がメンタルパフォーマンスをサポートする経路の一つとして、一時的に体内の乳酸レベルを上げて、それを脳に送り込む、みたいなのがあるらしいんですよね。

運動は、脳が新しい情報を学習して記憶する能力を、様々な方法で促進するけど、それらの経路の多くは、非線形で、時間的に分散してて、運動の種類によって活性化されるものが違うから。ある運動が、特定の学習にどのような影響を与えるかを正確に予測するのは、難しいんですよね。

例えば、画面上の異なる画像の場所を記憶するように言われた人がいたとして、画像を見た4時間後に運動した人は、運動しなかった人や、直後に運動した人よりも、2日後に情報をよく覚えていたんだって。また別の研究では、単語を学ぶ15分前に、3分間のスプリントを2回行っただけで、学習速度が20%向上したんだって。不思議なことに、40分間、強度の低い運動をしても、効果はなかったみたい。

運動は、ギアを上げて、ノルエピネフリンを放出することで、学習を促進する。この効果を利用して、最も学習が捗る、高エネルギー状態のギア2に入れるんですよね。ただ、頑張りすぎると、疲れてしまって、ギア1に落ちてしまう可能性がある。そうすると、学習効果は落ちてしまうから。運動の効果は、疲労感とか、その日の基礎的なエネルギーレベルとか、学習内容の複雑さによって変わってくるんですよね。

学習中に運動をする場合は、ウォーキングみたいに、軽い運動じゃないと逆効果になる可能性があって。ウォーキングをすると、ギア2の状態を維持できるから、学習に役立つみたい。ある実験では、軽いサイクリングは、最初から成績の悪かった人だけが、成績が向上したんだって。

単純な情報を学ぶのが、本を棚に並べるようなものだとすると、複雑な概念を学ぶのは、コンテンツと構成が常に変化する巨大な図書館で、特定の本を探して、特定の場所に並べるようなものなんです。新しいアイデアを、自分がすでに持ってる知識のネットワークに組み込む必要があって。それには、ギア2の状態を柔軟に切り替えながら、対応していく必要がある。集中するときもあれば、注意力を緩めて、思考の枝を周辺に向かって広げていくときもある。優しく彷徨ったり、興奮した好奇心で、点と点を結びつけたりする。また、集中力を内側に向けて、心の図書館を整理したりもする。散歩をするっていうのは、その方法の一つで。何時間も苦労して、ある概念を理解しようとしていた人が、長い散歩中に、突然理解できた、みたいな話もよくありますよね。

例えば、すごく良いニュースとか、逆に、酷いニュースを聞いた時に、体が揺さぶられるような感覚になったときのことを思い出してみてください。普通だったら覚えてないような、その時の状況を、すごく鮮明に覚えてるはず。あんな風に、感情が強く伴ったときに、まるで五感で感じたかのように、その瞬間を覚えていて、場面とか、感覚とか、匂いとかを鮮明に思い出せる記憶のことを、「フラッシュバルブ・メモリー」って言うんですけど、あれは、ギア3の状態で形成されるものなんです。この精神状態では、考えたり集中したりする必要があることは、何も学習できない。学習するためには、ギア2の状態じゃないとダメ。例えば、学校の期末試験の「フラッシュバルブ・メモリー」があったとしても、試験問題の内容は覚えてなくても、試験会場の匂いは、いつまでも覚えてるかもしれない、みたいな。

感情は、学ぼうとしてることを際立たせて、記憶に残しやすくすることで、学習プロセスを助けることができる。ある研究グループは、感情的な意味を付与することで、感情的に中立な文章を verbatim、つまり、そのまま暗記する能力が高まることを示したんだって。でも、情報とか概念を学ぶときは、感情に流されて、ギア2から外れないように注意する必要がある。感情的な混乱のせいで、まともに考えることができないときには、フラッシュバルブ・メモリーしか作られないんですよね。

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